第511話 聖女の暴走
―――水燕三番艦
「しまった。俺とした事が、こんな重要なところを見落としていたなんて……!」
海底に潜ってから半日が経過し、今になって俺はある事に気が付いてしまった。悔やんでも悔やみ切れない、そんな思いでいっぱいだった。
「一体どうしたのよ? そんなに頭を抱えて?」
「どうしたもこうしたもない! セラ、よく考えてみろ。俺達この船の中にいる間、全く戦闘を行える機会がないぞ。屋敷と違って耐久性防音性に優れた修練場もないから、仲間同士で模擬戦もできない……!」
そう、水燕の内部では好き勝手にバトる事ができず、フラストレーションが溜まりに溜まってしまうのだ。こんなところに数日間もいてしまえば、腕は鈍るばかり。俺の理性もいつまで保てるものか、これじゃあ分かったもんじゃない。
「あー。戦闘狂特有の悩みね、それは」
「うわ、思いの外冷静にツッコまれた……」
俺のベッドに寝転びながら本を読み、エフィルの作った菓子を傍らに置くセラ、意外と動じず。このままでは、クロメルとの大事な一戦にベストコンディションで臨めないというのに、なぜに落ち着いていられるのか? 俺はそう問い質したい!
「むむっ、それは確かに一大事ですね。早急に対策を練らねばなりません!」
「コレット、真面目に考えてくれるのは嬉しいんだけどさ、いい加減俺の腰から離れない?」
俺の後光粥を半分ほど盗み食いしたコレットは、半日経った今でも俺の腰にしがみ付いていた。あれかな? メルフィーナが不在だから、遠慮を知らない状態にあるのかな?
「ご迷惑をお掛けしているのは重々承知です。ですが、この身は暫くケルヴィン様とお会いできていなかったのです。どうか! どうかもう暫く、ここに置かせてください!」
「分かった。分かったからよだれを拭こう! それさえやってくれれば、もう好きにして良いから!」
「好きにして良いのですか!?」
コレットがくわっと目を見開く。この聖女、ちょっと怖いんですけど。クッ、メルフィーナ不在のしわ寄せが、まさか俺にまとめて降り掛かってくるとは……! だが、この狂信者をリオンのところに行かせる訳にはいかない。俺自らが防波堤となって、愛しの妹を護らなければ!
「ケルヴィンお兄ちゃーん、トランプしよー」
「うん? もしかして、何か面白そうな話してる?」
言ってるそばからリオンとシュトラが入室。妹達よ、今この部屋に入ってはならぬ! しかしこの子らは、話の分かる良い子ばかり! 念話、退避すべしと念話を飛ばす!
「あ、う、うん。了解。コレット、ほどほどにね~」
「仕方ないね。リオンちゃん、トランプを10組くらい使って、大神経衰弱でもしよ?」
「そ、それは僕の頭じゃちょっと…… スピードとかはどう? ちょうど2人でできるゲームだよ」
「速さ勝負じゃ私が不利だよー」
2人の退避が完了した。危ない危ない、いつの時代も巫女は油断ならないからな。今は遠ざけておくが吉だ。
「ねえねえ、ケルヴィン君」
「うおっ!? ……アンジェ、いつの間に?」
瞬きの隙間を縫ったのか、コレットとの逆サイドにアンジェがベッドに腰掛けていた。クレアさんの料理を食べた補助効果のせいか、いつもよりも速く感じる。
「リオンちゃん達が部屋から出る時に、皆の姿が見えてさ。ついつい入ってきちゃった」
「頼むから普通に入って来てくれよ。首を取りにくる時と違って殺気がないから、反応しずらいんだ」
「普通に入ったら、リオンちゃん達が不公平に思っちゃうかもでしょ? お姉さん、その辺りはしっかりしているのです」
「な、なるほどな……」
「それでさ、話は戻るけど、ケルヴィン君のストレス解消方法について、お姉さん考えついた事があるんだ」
「ほう?」
しっかりと冒頭の話を理解している辺り、どこかで盗み聞きしていたらしい。屋根裏にいたのか? いや、船の中だし、そもそも屋根裏じゃないか。いずれにせよ、忍者ができそうな事は殆ど実現可能なアンジェなら、どこからでも盗み聞きはできただろう。
「ケルヴィン君が溜め込んだフラストレーションを、別の事にぶつければ良いんだよ。例えばさ、趣味のゴーレム作りとか!」
「なるほどな、別方向へのアプローチか…… けど―――」
「―――だけど準備したゴーレムの最終調整、もう済ませているのよね。試運転の必要もあるし、余計に手を加えるのは得策じゃないと思うわ」
パリッと菓子を食べる小気味良い音を鳴らしながら、セラが俺の意見を代弁してくれた。そうなんだよ。決戦に備えて、やれる事はもうやってしまっているんだよ。
「うぐっ、直接手伝ってるセラさんにそう言われると、これ以上言い返せない……!」
「いやいや、方向性はかなり良い意見だったよ。ありがとな、アンジェ」
「うー……」
頭を撫でてやるも、アンジェはまだ少し残念がっているようだった。
「まあまあ、水でも飲んで少し落ち着きましょう。皆さんにお配りしますね」
「あら、気が利くわね、コレット」
「ありがとー」
「悪いな。コレットにこんな事させ…… おい、ちょっと待て」
がしっと、水差しを持つコレットの腕を掴む。
「……ケルヴィン様、如何されましたか?」
「コレット君、その水は何かな? 一体どこから取り出したのかな? 俺、すっごく見覚えがあるんですけど?」
容器は違えど、俺はこの水を覚えている。忘れもしないぞ、デラミスでの運命の夜は。そして今、鑑定眼でコレットの容疑を再確認した。
「た、ただの清い水ですよ?」
「清い水は媚薬成分なんて入ってないと思うんだけど?」
「そ、それは、ええと…… そう、自分の気持ちに素直になれる水なんでいたたたたぁーーー!」
コレットの頭にアイアンクローをかます。この際、身分や性別なんて関係ない。コレットが耐えられるであろう、限界の強さでかます。
「何でこのタイミングで媚薬を盛るんだよ、お前……」
「その、蓄積したフラストレーションを解消するには、別方向へのアクションが必要。となれば、これが最も手っ取り早い方法かと思いましてぇいたぁーい!」
頭が良過ぎるのも考え物か。信仰心で抑制すべきところが制御不能になっとる。リオン達を帰して本当に正解だったわ、危うく大惨事になるところだった。おっと、まだこっちの手を緩める訳にはいかないな。メルフィーナが言っている気がする。ここでストレスを発散すべきだと。
「痛い痛い、痛いです! ですが、これもある意味で愛の形! 詰まるところ、私の信仰心が試される試練とも呼べるでしょう! そう思えば不思議と頭の痛みも気持ち良くなってくる気がします! いえ、甘美な快楽であると、今確信致しました! さあ、もっとくださいケルヴィン様! 私は今、進化の時を迎えています!」
コレットの息が段々と荒く、瞳は潤んできている。改心するどころか、瞬く間に新たな道を見い出したぞ、この聖女…… やはりこの世界、変態ほど最強なんじゃなかろうか。
「ねえ。思ったんだけど、コレットの秘術で船が壊れないように補強して、結界の中でドンパチやれば良いんじゃないの? 多少なり広い部屋でも借りれば、取り敢えずは大丈夫でしょ」
「「……あー」」
本のページをめくりながら放たれた、セラの何気ない一言。これにより、俺の抱える問題は完全解決した。船内でこういった波乱の日々を送る事、数日。いよいよ俺達は、目的地である海域へと到達する。
「ハァハァ…… あの、ケルヴィン様? 手の力が弱まっていますアァー!」
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これからもよろしくお願い致します。