第459話 リゼアの魔王
「がっ……」
首の後ろを手刀で叩かれ、倒れ込む兵士をケルヴィンが支える。音が出ぬよう静かに寝かせ、改めて周辺を見回すと、フロアの床は大量の気絶者達が転がっている状態になっていた。
「これで最後かな?」
「そうみたい、ですね。ですが殺していないとはいえ、兵士に手を出して良かったのかなぁ……?」
「無断で侵入してる時点で、一般的にはアウトだよ。ま、魔王を倒したって名目ができれば大丈夫だろ。これは警備中、兵士がうっかりと眠ってしまっただけ。そんな風に処理してくれるんじゃないか?」
「……城内に魔王がいただなんて、リゼア側も公表されたくないでしょうからね。分かりました。俺達は眠っていた兵士の横を通り過ぎただけ。危害は加えていない。そう考えましょう」
「全員が居眠りをするとは、警備体制がなっていませんね。働く者たるもの、睡眠時間は勤務外でしっかり取るのが常識です」
「お前みたいに寝過ぎるのは非常識だけどな…… さ、舞桜。お目当ての部屋はどこだ?」
「えっと……」
舞桜が天麟結晶を確認しながらフロアを歩き回る。前後はケルヴィンとメルフィーナが固め、不意打ちを警戒しながらの巡回だ。フロアの通路を一巡して、舞桜はある扉の前で足を止めた。
「……ここですね。天麟結晶が、一際淀んでいます」
「宰相の部屋か。またえらい大物が魔王になったもんだ」
「戦闘に特化した魔王でなければ、寝込みを襲って楽に始末できそうですね」
「メルフィーナさん、天使としてその発言はどうなんでしょうか……」
「そうだぞ。戦闘特化じゃないなら、ここに来た意味がないだろ」
「そうじゃなくて」
突撃前のコントもここまでにしておき、いよいよ一同は部屋へ。扉は鍵がかかっておらず、想像よりもすんなりと開ける事ができた。息を潜め、ケルヴィンを先頭に宰相の部屋へと足を踏み入れる。
部屋の中央には天蓋付のベッドがあり、その中で恰幅の良い中年の男が、そしてその隣に、美女といって差し支えなかったであろう女が寝ていた。就寝に至るまで何をしていたのかは各々の想像に任せられるが、2人とも裸である。いつもの調子であれば、少し初心なところのある舞桜辺りが視線を逸らしていたかもしれない。が、この時ばかりはそうならなかった。
―――女の方が、干からびて死んでいたのだ。首元には何かに貫かれたような穴が開いており、そこから血を抜かれたのだと考察できた。器用にも頭部だけは以前のままで、首より下だけがミイラのような有様。こんな美人の死に方としては、惨いと言わざるを得ない。
「決まりだな。こいつのステータスに『天魔波旬』がある」
「では、やはり……」
ケルヴィンは腰に差した長剣を抜き、ベッドに横たわる宰相に向けた。
「いつまで狸寝入りしているつもりだ? 夜に眠る『吸血鬼』なんか聞いた事ないぞ、宰相様」
「……ククッ。敵国の暗殺者かと思えば、そうでもないらしい」
男の声が聞こえる。しかし、宰相の口は動いていない。代わりに彼が寝ているベッドと天蓋が、まるで上顎と下顎であるように動き出し、そこから鋭利な牙が何本も生え始める。ひと時の安らぎを与える筈のベッドは既にそこになく、ただただ大口を開けるモンスターが姿を現した。男女は横たわっていたのではなく、舌の上で転がされていたのだ。
「随分とチープな演出だな。それ、撒き餌のつもりだったのか?」
「クク。何、ちょっとしたお遊びよ。外が少しばかり騒がしかったのでな、貴様らを待っておったのだよ。しかし、勇者が来るとは予想外であった。折角入城を禁止し、見逃してやろうと考えていたのに、まさか自ら潜入して来るとは…… むざむざ我に殺されに来たのか?」
「いいえ、俺達は貴方を打ち倒しに来ました。そこにいる彼女の無念を晴らす為にも、俺は貴方に勝たなければならない。魔王、覚悟を決めてくださいっ!」
舞桜の聖剣ウィルが姿を変え、巨大な大剣へと変化する。ケルヴィンとメルフィーナも今初めて目にしたこの形態が、舞桜が最も得意とする得物の形なのだろう。
「……魔王? ククッ。そうか、そうだな。我の名はダファイ。奈落の地より地上に出でた我こそ、人間が畏怖する魔王と呼ぶに相応しいだろう。実際に驚いたものだったぞ? 地底世界に比べ、この地上に住まう者達の軟弱さには。如何に大国といえど、我が宰相と入れ替わっている事を知り得ない。貴様らがどうやって我の存在を知ったのかは分からぬが、滅してしまえばいつもと変わらぬ明日がまた来るだろう」
「滅する事ができれば、の話だけどな」
「フハハ、口だけは達者のようだな! では――― やってみるといい!」
「「なら、遠慮なく」」
ケルヴィンとメルフィーナの言葉が重なった時、2人は既にダファイの眼前にまで迫っていた。
「……っ!?」
吸血鬼ダファイの上顎にあたる天蓋に剣と槍を振り下ろし、そのまま床へと叩き付ける。それぞれの得物は天蓋を突き破り、下顎のベッドにまで突き破った。苦し気な呻き声を上げるダファイ。一方でベッドの大口が強制的に閉じられる直前、カッと赤い目を見開いた宰相の体が横へと転げ落ち、下敷きにされるのを回避していた。
「あら? このベッド、もう瀕死ですね」
「やっぱこっちはただの配下か。舞桜、そっちの小太りが吸血鬼の本体だ!」
「任せてください!」
ベッドから転がり落ちたダファイ本体に、すかさず大剣ウィルを振るう舞桜。しかし、ダファイは見た目以上に俊敏であった。その体格ではまず無理であろう跳ね起きを容易で行い、鮮やかにバク転しながら窓を破り、外へと飛び出したのだ。この部屋は城の上層部。必然的に窓の外は、目を覆いたくなるほどに高い空中だ。ダファイは隠し持っていた翼を広げ、悠々と空を飛行し始めた。
「フハハハハ、予想以上にやりおる! だがな、我の本来の戦場はこの大空の中よ! そら、我について来れるか―――」
―――ズバン!
自身が飛び出した城の窓へと振り返ろうとしたダファイの片方の翼が、舞桜によって落とされる。舞桜は迷う事なくダファイを追い、空中へと飛翔していた。そこに高所恐怖症を携えている気配は全くなく、彼はダファイのみを瞳に捉えていた。
「ば、馬鹿なっ!?」
「馬鹿なじゃねぇよ。こんな事くらいで驚くな」
舞桜だけではない。ダファイの左右には、ケルヴィンとメルフィーナが城からの移動を終えており、いつでも攻撃できる体勢になっていた。
空を飛ぶ。それは人類にとって、確かに脅威な力であるといえよう。しかし、ケルヴィンと舞桜は『天歩』を保有して空を駆ける事ができるし、メルフィーナに至ってはそもそもが天使である。翼を顕在化しなくとも、飛行が可能なのだ。城壁を手探りで登って来たのは、余計に目立つのを嫌っての行為でしかなく、今更空に飛ばれようと、戦いにおいては何のアドバンテージにもなりはしない。
残念な事に、ケルヴィンの瞳にはもう落胆の気持ちが宿されている。既にダファイから興味を失っているようであった。
「舞桜、俺達は手を出さない。お前がその勘違い野郎に止めを刺してやれ」
「このっ、かくなる上は我の真の力を―――」
「―――何度も遮って申し訳ないです。もう、終わりました」
「ぶぇ……?」
舞桜の聖剣は剥き出しにした吸血鬼の牙ごとダファイをたたっ斬り、彼の体を口元から上下に分断させた。自らの戦場で呆気なく散ってしまった吸血鬼は特に見せ場もなく、自慢の翼をなびかせながら落下し、城の中庭へと墜落。不運にも中庭の剣を掲げる凛々しい騎士石像の上に落ちてしまったらしく、彼の亡骸には追いうちとばかりに石像の剣が貫通してしまう。暫くして、落下音を聞きつけた兵士達の喧騒が聞こえてきた。