第445話 世界の理
この世界が誕生したばかりの頃、世界には3つの大陸があった。現在にも知られている東大陸と西大陸、その2つに加えて三角形の頂点を成すような位置に、言わば北大陸と呼べるであろう巨大な大陸が存在していたのだ。
だが、そのような大陸がある事など現代のどの国々にも発見記録がなく、物語の中にでさえ存在していない。長い歴史の中で新たな大地、新たな発見を求めて大海を渡った者が大勢いたというのに、だ。しかし、それは仕方のない事だった。仮に北大陸があった場所にその者らの船が偶然に通ったとしても、太古の神々が施した大結界によって認識できず、空間を歪められて素通りしてしまっていたのだから。
神々の大結界は北大陸を丸ごと囲うように付与されており、空は勿論の事、海の底までもが範囲内となっている。外からは存在を隠匿するありとあらゆる効果が発揮され、先に記述したように空間にまで作用する。どのような力を使用しようと結界の外界から北大陸を探し出すのは不可能であり、それがこの世界の歴史から北大陸が幻となってしまった要因だった。
ならば内部から結界を素通りできるかと問われれば、これもまた不可能であると答えるしかない。外界から隔離された北大陸の周りを覆う海は、青から赤へとその色を変え、まるで血であるかのように粘性が高く不透明。この血の海を泳ぐのは至難の業であり、更には年中天候が荒く、嵐が止まない特殊な気候となっている為に船を出す事もできない。仮に無理矢理に泳ぎ渡ったとしても、外界と同様に空間を捻じ曲げられていつの間にか元の場所へと戻ってしまう。
最後の手段となるは、一見空にしか見えないこの蒼天。大陸の場所によって天候から色合いまで様変わりしてしまう特性だけを見るならば、飛行能力を持つ者であれば突破が可能そうにも思える。だがやはりと言うべきか、この結界はそう甘いものではなかった。結界は飛行能力を有していようと届かぬであろう高度にまで伸びており、そこに壁があると確認するだけでも馬鹿げた距離を上昇しなければならないのだ。かつてとある悪魔がこの壁、世界の天井を確認したが、破壊するまでには至らなかった。神が形成した結界を破壊するには、神と同等以上の力をぶつけるしかないのだ。
これらの事から結界を越えて外界に出る事は適わず、閉ざされた北大陸に住む者達はこの世界が地底の底にあると信じ、いつしかこの地を奈落の地と呼ぶようになった。但し、神々はこの地と外界とを繋ぐ二つの道を残した。それが西大陸ファーニス領の『煉獄炎口』と北大陸東端の『無限毒砂』、東大陸トラージ領の『天獄飛泉』と北大陸西端の『暗黒牢』である。奈落の地にて悪魔の魔王が誕生した際、古の勇者達はこの道を通り、竜王の試練を乗り越えたとされている。
では、なぜ北大陸はこのような形で封印されてしまったのか? それを語るには神代とされる時代にまで遡る。原始の昔、この世界は神々と堕天した邪神との戦争、その決戦の場となり、この世界の者達も多く参戦していたという。長きに渡って続けられた戦いは神々の勝利という形で終息したが、神々は強大な力を持つ邪神を倒せはしても、その存在を消滅させ切る事ができなかった。
そこで代案として実行されたのがこの大掛かりな封印術式、邪神を封印した禁忌の地を中心に、北大陸を丸ごと呑み込んだ結界だった。範囲を限定させた朦朦たる第一の結界を、今でいうところの邪神の心臓に。次いで範囲を拡大させた第二の広範囲結界を、北大陸全体に施した訳だ。第二の結界は邪神を封印する為というよりは、邪神に組したこの世界の者達に対する牢獄的な意味合いが強いという。
神々の戦争には様々な種族が参戦した。人型であったり、獣であったり、虫であったり――― それは邪神側に組した者達も同様で、結界という牢獄によって北大陸の中のみで生きる事を余儀なくされる。神々は北大陸に住まう者達を『悪魔』であると一括りにし、姿形は違えど種族を強制的に統一させた。彼らは悪魔の始祖となったのだ。
中には運悪く元から北大陸に住んでいた吸血鬼などの種族もいて、例外的に種族こそは固有のものを保ったものの、悪魔と同じく牢獄に囚われてしまった者達も稀にいるとされている。他には進化を重ねて独自の種族を勝ち取った者もいたようだが、そういった者達は魔王となる事が殆どだった。
悪魔が魔王になりやすい傾向にあるのには理由がある。この閉ざされた北大陸という環境は、悪意が芽生えやすくできているのだ。支配者によってガラリと変わってしまう気候と土地、それらは悪魔同士の争いの火種となり、憎しみの連鎖を生み出していく。神々はこういった北大陸の環境をそうなるようにと意図的に調整し、魔王の素質がある者をランダムに決定する『黒の書』の候補を絞ろうと画策した。神々の思惑は大体がその通りとなり、歴代の魔王の大半は悪魔から生み出される事となったのだ。
黒の書によって魔王が生まれれば、地上ではデラミスの巫女によって勇者が召喚される。勇者は魔王を倒し、邪神に負の力が向かうの止め、復活を防ぐ。この辺りは以前にベルと話した通り。これが神々が作ったこの世界のシステム。魔王となってしまった者を最小の犠牲として、最大の平和を保たせた世界の構造。見方を変えれば、邪神に味方して神々を裏切った悪魔達を糧にしているとも言えるかもしれない。
―――エレアリスの説明を纏めれば、こんなところだろうか。
「ある理由からクロメルは、この世界のシステムをとても嫌っています。自ら奈落の地に施された結界を破壊する事でこのルールを壊し、新たな世界を創造しようとするほどに」
「……それは可能なのか? 説明の中にもあったと思うが、神々が作った結界は同等以上の力でないと打ち破れないんだろう? クロメルはまだ完全に力を手にしていないような口振りだったぞ」
「転生術の力に限ってはそうでしょうが、それ以外に関しては神と何ら変わりない力を、クロメルはこの現世にて得てしまいました。本来であれば、あのような神の力は現世に持ち込む事ができません。しかし、彼女は神であった私の魂を代行者として転生させる事で、神であった私の肉体を義体として送り込む事で、不可能を可能としてしまったのです」
―――ズドガァーン!
さっき以上に騒然とした轟音が上空を支配する。見れば、あの白い戦艦が天井を突き破ろうと強引にぶつかっていた。クロメルが力を働かせているのか、取り巻く嵐の壁が更に荒々しくなっている。
「今の彼女の力を以ってすれば、結界を破壊するのも時間の問題でしょう。普通、ここまでの異常な力が働けば神も動き出すものなのですが…… ケルヴィン、メルフィーナから何か返答はありましたか?」
「いや、今のところは何も……」
エレアリスは俺が何と答えるのかを予め分かっていたように目を瞑り、首を横に振ってみせた。
「この世界を統括するは転生神です。そして、当代の転生神であるメルフィーナは完全には吸収されず、瀕死の状態ながらも助かりはしましたが、ケルヴィンの魔力体となる事で首の皮が一枚繋がっているようなもの…… いえ、もしかすれば、危なくなればケルヴィンがメルフィーナを魔力体に戻すと、クロメルは予想していたのかもしれません。義体から本体に戻る事自体は容易な事。ですが、聖槍で貫かれた状態では魂が固定されて抜け出せず、魔力体となって生き長らえたとしても、本体に戻るには一度ケルヴィンに召喚される必要があります。聖槍を奪われ、神としての力が薄くなり、ステータスの全てが弱体化されたメルフィーナを手負いの状態で召喚してしまったら…… 正直、彼女がどうなるかは私にも予想がつきません。迂闊にメルフィーナを召喚する事は、止した方が良いかと」
「………」
―――ガァーーーン!
舟が衝突を繰り返す光景を眺めながら、メルを想う。この日、世界に第3の大陸が舞い戻り、多くの者に巨大な白の舟が目撃される事となった。




