第439話 黒幕
―――最後の聖域・揺り籠
「か……」
「はっ……!?」
アイリスを覆っていた氷が砕ける。先ほどまで俺を心配してくれていたメルが崩れ落ちる。2人の左胸には、神が用いる槍、聖槍が突き刺さっていた。この時になって初めて、俺は遅く凝縮されていた時が動き出すのを感じた。そして、直ぐ様にメルの元へと駆け付ける。メルが床に倒れる前に、何とかその体をキャッチする事ができた。
『メル、呼吸を整えろ。白魔法で回復させながら槍を抜く!』
メルの返事を待たずに回復の処置を施し、聖槍ルミナリィに手を掛ける。一気に抜いて、瞬間的に傷口を塞げば出血は抑えられる。傷ついた臓器も復元できる。だから抜く、早く抜け、さっさと抜けろ!
―――だが、聖槍は俺の意思に反するかのように、メルの体からピタリと動こうとしない。いくら力を入れようとも、倍以上のパワーを持つ万力で押さえ付けられるかの如く、メルを放さない。
『これ、は…… 力が、吸い取られて、いる……?』
『おい、しっかりしろ!』
メルの体から、魔力が抜き出て行くような流れを察知する。これは、聖槍に力を吸収されている? 鑑定眼で確認。 ……何だ、これは? メルフィーナのステータスが、軒並み低下していっている。急激な勢いで数字が下がり、スキルまでもが黒字からグレーへと変色、次々とステータスから消えてやがる! それに、表示されない筈の隠しスキル『神の束縛』が、赤字でわざと目立たせる意図でもあるかのように記されていた。
『これも、消えた……!?』
しかし、赤字で表示されていたそれも、最早役目を果たし終わったと言いたいのか、次第に灰字となって、薄く薄く、ああ、消えてしまった……!
数千を越えていたのメルフィーナのステータスは今や見る影もなく、その全てに1が刻まれるだけ。これでは、聖槍を引き抜いたところで―――
(―――ええ、死んでしまうでしょうね。けれども、それは仕方のない事です。だって、もうそれは役目を終えてしまったのですから)
また、あの声が頭に響いた。おい、何なんだ、お前は? なんで、その声で話す? なぜ、その声で笑う?
(―――ああ、大変失礼致しました。何分、あなた様との会話が楽しくて、楽しくて、堪らなかったのです。それに、まだ受肉していなかったものでして。ですが、今ならば直接の会話も可能でしょう)
正体不明の声がそう口にすると、メルを貫いているルミナリィから黒い靄の塊が放出された。同時に、アイリスを貫くイクリプスからも。2つの靄は祭壇の頂上に置かれた揺り籠へと移動し、その中へと消えていく。次の瞬間、俺は得体の知れない気配を感じた。
「―――あ、あ、あー…… あら、この姿で顕現してしまいましたか。まだ神としての復活が不完全という事でしょうか? ふふ。ならば、その権利をこれから賜りに向かわないとなりませんね」
揺り籠から、何者かが静かに立ち上がった。さっきまで頭の中に響いていた声とは違う。いや、違うというよりも、幼くなったという印象だ。ああ、そうだ。俺の感覚は正しかった。その人物は、メルフィーナを反転させたかのような黒い軽鎧を纏い、黒い翼、黒い天使の輪を携えていた。髪色は灰。されど、その長さは瓜二つ。それでいて、幼いながらも確かにメルフィーナの面影を残している。ああ、クソ、これではまるで―――
「現世でお会いするのは初めてですね、あなた様。改めまして、初めてお目にかかります。私はメルフィーナの黒い心を統合した存在――― そうですね。黒いメルフィーナ、クロメルとでもお呼びください」
―――まるで、幼くなったメルフィーナ、そのものじゃないか。
「クロメル、だと……!? お前は、何を言っている……!?」
「驚かれるのも無理はありません。私としては、あなた様と一から百まで悠長にお話ししていたいところなのですが…… どうにも時間が足りないようでして」
黒いメルフィーナ、クロメルは悪戯を成功させた子供のように無邪気で、だけれども死体を弄ぶような残酷さを含んだ笑みを浮かべている。
「ふふっ、そんな顔をなさらないでください。ちょっとつまみ食いをしたくなるではありませんか」
「……お前が本当にメルなら、それはつまみ食いじゃ済まねぇよ」
「確かにそうですね。私も済ませる自信がありません。ですから、我慢します。ええ、大丈夫。もう数百数千と待ったのです。待てます、待てますとも。今日は少し、お話しするだけ」
クロメルが、今度はやたらと妖艶な表情で微笑みかけてきた。これはやばいな。性格的にも、性能的にも色々と破綻している。
「そんな状態の白い私を、今も治療しているあなた様の甲斐甲斐しさに免じて、要点だけお話し致しましょうか。私はメルフィーナが神の座に就く際に白と黒とに2分された、黒い感情を司る方の存在なのです。捨て去られた感情とも呼べますでしょうか?」
「……は?」
神になる時に、2分された……? こいつは、何を言っているんだ?
「白い私はすっかり神を目指した目的を忘れているようですが、それも実に些細な事。白い私にそういった意図がなかろうと、現に憎っくきエレアリスの肉体を用いて作った義体を、ここまで運んできてくれました。エレアリスの魂をデラミスの巫女、アイリスとして転生させたのも滑稽でしたね。彼女、すっかり自分が巫女だと思い込んでるんですもん。アハハ! 聞こえていますか、エレアリス? まだ生きてます? 狂気に満ちた信仰を演じようとしていた貴女のお蔭で、私はとっても清々しい気分ですよ!」
クロメルは力なく俯いているアイリス(エレアリス?)を嘲笑う。身勝手に言い放たれる暴露話の連続。並列思考を用いても、まだ情報の処理が追い付かない。ただ、目の前で起こっている事実を確認して、メルの傷を癒すので頭が一杯だった。そのメルが、俺の手を弱々しく握る。
『あなた、様、私は、裏切るような、つもりは―――』
『分かってる。分かってるから』
今はただ、その手を握り返す事しかできない。
「ああ、そちらの私もまだ生きているのですね。あなた様の愛を感じてしまいます。今も念話で疑念を払おうとしていますが、白い私に悪意は本当にありませんでした。その一点は保証致します。ただ、私の思惑がほんの少し挟まっただけ。だから、どうか白い私を嫌わないでくださいね、あなた様? ですが、やはりあなた様のパーティには黒の意匠が映えますよね? 前々から私は思っていたのですよ。この姿の方が、あなた様のパーティに相応しいと」
「………」
クロメルの目的は何だ? 敵対心を煽っている? いや、俺からの反応を期待しているようでもある。好きな異性に対して、ついついちょっかいを出してしまう幼い意地悪。その最上級をされているような錯覚を覚えてしまう。
「さ、そろそろ時間です。神としての力を吸い切ったというのに、まだどちらも生き長らえていますね。少し、掃除をするとしましょうか」
クロメルが、メルフィーナ目掛けてを手を差し伸べた。構図としては、怪我人に手を差し伸べる天使に近いものがある。が、あれは死の宣告、差し伸べられた手を取れば、魂までも狩られてしまうだろう。聖槍ルミナリィがクロメルに反応している。このままでは、今の状態のメルの体では、持たない……!
「―――なるほど、そうされますか」
聖槍はメルフィーナの心臓から抜かれ、クロメルの下へと飛んで行った。だがその前に、俺はメルフィーナの召喚を解除し、魔力体へと戻すのに成功する。これならば、少なくともメルが死ぬ事はない。
「なら、エレアリスの方はどうしますか? 彼女は配下ではありませんよね?」
再びクロメルが手を差し伸べようとする。その矛先は、もちろん―――
「―――させるかぁ!」
「あら?」
どこからか上がる叫び声。同時に、クロメルが鎮座していた祭壇に、幾本もの聖剣が降り注ぐ。クロメルは聖剣の雨を手元に引き寄せたルミナリィで弾き、差し伸べようとしていた手を止めた。攻撃を仕掛けたのは守護者、セルジュ・フロアだった。なぜ彼女がここに? そう考える暇もなく、続いての来訪者が俺の下へと駆け寄る。
「ケルヴィン、大丈夫!? 怪我ない!?」
「メルさんは!?」
セラとアンジェだ。