第428話 シアンレーヌ
―――邪神の心臓・聖杯神域
エフィルが上空にてデゼスグレイと戦闘を開始したその時、地上にてジェラールもケンタウロス型の兵器、シアンレーヌとの激戦を繰り広げていた。暴れ馬の如く猛り狂うシアンレーヌを相手に、ジェラールは巧みな剣術と盾を用いて渡り合う。
シアンレーヌの基本戦術は、軌道の読めない破天荒な走りからのランスチャージだ。重厚な盾とそれを持っていた片腕はエフィルによって爆破されたが、軽量化した分、単純なスピードとパワーは増している。しかし、ジェラールとてケルヴィンのパーティ内で最高峰の力と耐久を持つ猛者。シアンレーヌの突進と突き出される槍は完璧に捉えられ、すれ違い様にカウンターまで当てられていた。ブルーレイジ以上に頑丈であるシアンレーヌのボディーには、夥しい数の剣の爪痕が残されている。
「グゥオオオン……」
降り注ぐ雨に当てられながら、シアンレーヌが排気ガスを吐き出す。奇しくもそれは、シアンレーヌが悲鳴を上げているように聞こえた。
「ふむ、どうやら生前の借りは返せるようじゃの。このまま此奴を片付けさせてもらおう。その後はお主じゃ、ジルドラ!」
「随分と威勢の良いな。だが、それでシアンレーヌを攻略したとは思わない事だ」
「何?」
ジルドラの言葉の後、パキパキという音がした。シアンレーヌの周囲からだ。見れば、スコールで塗れた床が凍結し、雨氷を形成している。シアンレーヌから噴き出されるガスを浴びたものが、例外なく凍て付いていたのだ。
「これまでのデータを見るに、我が娘と貴様には生半可な高熱ガスは通用しないようだったのでな。だからこそ、趣向を変えてみたのだ。その機体には高熱とは真逆である、強力な冷却装置が備え付けられている。さて、どうなるかな?」
シアンレーヌが再びランスチャージを繰り出す。過ぎ去った場所の全てが氷の世界と化し、目を凝らせば槍からも同様のガスが放出されていた。
「ふんっ!」
だからどうしたと、突進して来た敵にジェラールが魔剣で斬り付ける。突き刺しを放った大槍を薙ぎ払い、返す刀で胴体部分に強烈な一撃。金属が破裂したような、甲高い音が響き渡る。だが、想定していたよりも浅い。
(これは……)
ジェラールの鎧の関節部、そこを動かす度にバキリバキリと何かを砕く。
「思ったよりも体が動かないものだろう? 鎧の隙間に入り込んだ雨水が凍り、貴様の動きを制限しているのだ。早く決着を付けなければ、更に体が鈍くなるぞ?」
「ぐっ……!」
凍て付いた氷を馬の蹄で粉砕しながら、シアンレーヌが接近。あれだけのガスを撒き散らしながらも、シアンレーヌ自身が行動を制限されている様子はない。恐らくは、この状況を想定して造られたマシンなんだろう。しかし、ジェラールの鎧にそのような機能は付いている筈もなく、今も降り続けるスコールが容赦なく凍り付いてしまう。
「だから、どうしたぁ!」
「……ほう」
ガキンガキンと続けられる剣戟は一進一退。機敏さには欠けるものの、それでもシアンレーヌと互角に戦えている。鎧の隙間に入り込んだ氷は確かに厄介なものではあるが、生身の体でこの凍て付く世界に置かれるよりかは大分マシに動けるのだ。寒さを感じる事もないし、手の感触が麻痺する訳でもない。不利を想定した戦など幾らでも考えられたし、それに向けての修練を積んできたジェラールにとっては動揺を誘うものには至らない。
「はぁ!」
そして、鎧であるが故に疲れ知らず。幾度剣を交えようと、それ以上に剣筋が狂う事はあり得ない。
「シアンレーヌ」
それは合図だったのか、名を呼ばれた人馬の槍に魔力が集束する。槍に辺りを漂う空気が、雨が吸い込まれていき、何か大掛かりな事をしようとしているのは明らかだった。
「ジェラール、兎も角して貴様の力は把握できた。素晴らしいものだな、トライセンの頃とはまるで別人だ。しかし、その程度の速さではこれは避けられまい?」
シアンレーヌの槍が、これまでより遥かに多いガスを噴き出す。更に槍先から根元にかけて4つに分離して、分離した隙間から刺々しい氷が溢れ出した。奴にとっての必殺の一撃、ジェラールはそう感じ取る。
―――この数秒前、ジェラールはエフィルから念話を受け取っていた。
『ジェラールさん、落石その他諸々に注意してください。この雨を破壊します』
『なぬっ!?』
このタイミングでかっ! と叫びたくなるも、雨が止めば鎧に雨水が入る事もなくなる。ジェラールは逆にこれが好機であると考えた。そしてシアンレーヌの槍が変形した時に、それは落ちる。
―――蒼く燃え盛る隕石が。
『エフィル、落石! 落石っ!』
それまで平常心を貫いていたジェラールも、流石のこれには焦り出す。だが雨は確かに止み、落下してきた瓦礫の熱でジェラールを阻害していた氷も全て溶けた。
「む、いかんな。シアンレーヌ、構わず放て」
「グゥオオオ!」
炎の熱気は大槍の氷にまで及び、鋭利であった氷を溶かし始めていた。これ以上時間は掛けられまいと、ジルドラの号令の下、シアンレーヌが槍をジェラールへと突き立てる。膨れ上がった氷が次々と槍先に押し寄せ、歪な形の氷槍となってジェラールへ迫った。
「焦りからの奥の手か。威力はありそうじゃが、隙もでかいな。 ―――天壊!」
魔剣ダーインスレイヴの刃に黒く渦巻く魔力。振り抜かれた大剣から放たれた漆黒の斬撃が、氷槍を呑み込みながら突き進み、丸呑みにしたそれらを破壊力の向上とサイズの膨張に回す。遠慮とは無縁な怪物がシアンレーヌの右腕に到達すると、次の瞬間には巨体を誇っていた人馬の姿はなく、床に張りついた4つの蹄のみが残されていた。工房の壁に衝突した天壊は更なる獲物を求めて、壁を食らい続けて闇の中へと消えて行った。
「ふーむ。あのまま走り続けられては当たらんと思っておったが、何が起こるか分からんものじゃな。のう、ジルドラよ?」
魔剣の剣先をジルドラに向け、ジェラールが睨みを利かせる。
「貴方ご自慢のゴーレムは爆殺しました。これ以上は勝ち目がないと思いますが、まだ抵抗を続けるおつもりですか?」
上空で戦っていたエフィルも勝利を収めたようで、8体の多首火竜の頭と共に降下してきた。
「ふん…… 私は勝利など求めていない。私はデータを採取し過程を検証したいのであって、勝敗には拘らない。勝てば更なる発展を、負ければ別の方法を試すだけの事だ」
「随分と研究以外に無関心なようじゃが、それは神の使徒として、か?」
「いいや、私個人の思想だ。幸いにも代行者が私に下したオーダーは既に達せられている。ならば、後は好きにやらせてもらうだけだ。神に並ぶ生物をこの手で作り上げる為に、私はこれまで生きてきたのだからな」
「……なら、それもここで終焉です。貴方は個人の欲望の為に、人々の感情を蔑ろにし過ぎてきました。仇を取らせて頂きます」
「観念するのじゃな、ジルドラ」
燃え盛る矢と漆黒の剣を向けられるジルドラ。しかし、彼は笑っていた。エフィル達がとてもおかしな事を口走っていると言うかのように。
「クックック…… 実に、実に面白い事を言うのだな。感情を蔑ろにする? 逆だ。私は感情を蔑ろにしている訳ではない。むしろ、その力に大いなる可能性を感じている。長く生き過ぎた私だからこそ、そのケースも多く知っているのだ。特に心の結びつきが強い者ほど、大切な者が傷付けられた時に力を発揮するとな」
「……何が言いたい?」
「私に見せてほしいのだ。己の限界を超えた、理から外れた力を。さすれば、私個人では考え付かぬような発想が生まれるかもしれんでな」
「貴様―――」
ジェラールが言い掛けたその時、エフィルが吐血した。「……え?」と、エフィル自身も何が起こったのか分からない様子だ。ジルドラはただただ笑っている。
「病とは怖いものだ。如何に屈強な戦士であろうと、偉大なる勇者であろうと、その最期の殆どの原因になる。シアンレーヌが蹴り飛ばしていた緑のガラスケースがあっただろう? さあ、ジェラール。あれは何であろうな?」