第389話 ケーキパーティー
―――魔王城・牢獄
かつて世界を騒がせた魔王の城にて行われるは祝賀会という名の大宴会。ケルヴィンの魔法による応急処置で、黒で補修された城内のパーティー会場では絶えずグスタフの笑い声があがり続けている。
その声を音楽代わりに耳にしながら、見張り役を任されたムドファラクとボガは牢獄の前にいた。牢獄の中にいるのはもちろん、3日前に捕らえた生還者である。皆が楽しく騒いでいるのに、こんな時に見張り役を任命されるとは貧乏くじを引いてしまった―――
「ムド、それは……?」
「エフィル姐さんからのご褒美。ボガも食べる?」
なんて事は、ムドファラクは微塵も思っていなかった。薄暗く殺風景なこの場所に、真っ白なフカフカクッションを取り出してちょこんと座る。そして目の前に並べられるはエフィルが腕によりをかけたホールケーキ群。青ムドは思う存分に甘味を堪能し、頬を綻ばせる。むしろ集中して食に専念できるので、見張り役を任せてくれたケルヴィンに感謝の念を抱くほどだった。
「そんなには、いらないかな……」
「そう? いつもならもっと食べるのに」
「肉とか野菜とか…… た、食べるにもバランスが、その、大事だよ?」
「ダハクが偏食である事には同意せざるを得ない。なぜ生の野菜しか食べないのか甚だ疑問。もぐもぐ」
「………」
それはムドも一緒なのでは、とボガは言い返せなかった。山のような竜の姿と比べれば小さいとはいえ、ボガは人型となっても巨体を誇る。筋肉は岩の如く逞しく、短く刈り上げた髪型と鋭い眼光は見る者をそれだけで萎縮させる事だろう。ダハクの人型と同様に、容姿だけなら明らかにそっちサイドの人なのである。であるのだが、コンパクトになった自分にボガはいまいち自信を持てないでいた。心境としては唐突に小人になってしまった感じだろうか。それまで自分よりも小さかった者がほぼ同等の大きさとなり、心の底で怖がっているのだ。よってどう見ても子供なムドに頭が上がらない。
「それよりも、ボガもこっちに来て座ったら? ここの床、ゴツゴツしてて見てるだけでも痛い」
「おではこのくらいの硬さが丁度良い。フワフワ、落ち着かない。でも、ありがと……」
「ふーん」
それでも決してムドや他の仲間達を嫌っている訳ではない。トライセンからの付き合いであるダハクやムドファラクには一種の絆を感じているし、よく騎乗して特訓してくれるジェラールは男として尊敬している。ただこの姿になる事で初めて、自分が臆病である事を知った。ボガにとってこれは大きな経験であり、これから越えねばならぬ壁なのだ。
「だ、大丈夫かな? おで達だけで、ちゃんと見張れるかな?」
「心配症にもほどがある。この結界は私が主から教わった栄光の聖域に、メル姐さんの氷女帝の荊を被せて更に強化した束縛術。牢獄は主が強固に作り変え、グスタフ王が定期的にあのおじさんの頭部に血を塗り直している。心配するだけ損というもの。ジェラールの旦那やセラ姐さんだって、あの状態になったら抜け出せない。これぞ鉄壁」
「鉄壁、かぁ」
ペロリと口元に付いていた生クリームを舐め取る青ムドを一瞥しながら、ボガは牢獄の中を改めて覗きこむ。生還者は牢獄の中でその身を3つのリングに囚われたまま直立し、氷の荊が何重にもなって更に縛り上げていた。頭にはグスタフの真っ赤な血液がべっとりと塗られており、まるでペンキをぶちまけられたかのような状態となっている。
「おじさん、貴方の能力は何?」
青ムドは空となったスプーンで生還者を指し示しながら問い出した。
「ハッ! 私の能力は固有スキル『帰死灰生』でありますっ! 斬られ、潰され、焼かれ、体の全てが消滅させられようとっ! このギフトを与えてくださった主がいる限りっ! 私はこの世界に帰ってくるのですっ! しかしながら痛覚や恐怖はそのままっ! 迫り来る死は無限大っ! 私は灰色の人生を歩むべくしてこの能力を得たのでありますっ!」
生還者の曖昧な態度が嘘であったように、きびきびとハッキリ答える。拘束されている為に動けないが、恐らく腕が動けたら見事な敬礼をしていた事だろう。
「貴方の生まれは? 本名は? どんな人生を歩んできた?」
「ハッ! 生まれは獣国ガウンでありますっ! 名はニトっ! 若き頃にトラージを訪れ、刀に惚れこみ道場へと入門っ! その後は剣の修行に明け暮れ、虎狼流という流派を興しましたっ! この身は人の現身でありますが、転生する以前っ! 元々は獣人でありますっ!」
「ほら、ここまで自分を曝け出してくれている。怖がる必要はない」
「う、うん……」
それでもボガは不安そうだ。牢の鉄格子が壊れていないか確認までしている。
「ふう…… 尤も、慢心する必要もない。リングに異常が発生すれば私は直ぐに感知できるし、出口に向かうには主やエフィル姐さん達がいるホールを通らなければならない。武器だった剣だって厳重に管理されてる。何よりも――― 私たちにはクロト先輩がいる」
青ムドが食べていたホールケーキの反対側。そちらにもケーキの山々が列を成しているのだが、その中からぴょこんとプチサイズのクロトが顔を出した。どうやら一緒になってケーキを食べていたようである。サイズこそは小さいものの、このクロトは数ある分身体から戦力を集中させたバトルタイプだ。
「ク、クロト先輩! それなら安心、だな」
クロトの登場にボガは漸く安心を取り戻す。ダハク、ボガ、ムドファラクら竜ズにとってクロトは絶対的な先輩配下。その信頼感は圧倒的なものなのだ。実際、クロトが変身した竜の姿は竜ズの憧れであった。
「クロト先輩はボガの力を信じてくれている。だから、ボガも自分を信じてあげないと」
「お、おう。おで、自分を信じてみるっ!」
「なら、今はただケーキを食べるといい。甘味は生物に必須な食べ物」
「おうっ!」
何だかんだでボガの弱気は少し改善されたようだ。勢いよくケーキを食べ始め、そして喉に詰まらせた。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「竜の時より食道は細い。人型でその食べ方が許されるのはメル姐さんだけ」
人の姿に慣れるには、まだまだ時間は掛かりそうである。
「うー…… あ、そういえば。あの剣、クロト先輩のほか、保管? に、入らなかったって?」
「らしい。ジェラールの旦那の力でも鞘から刀身が抜けないし、鞘が頑丈で破壊もできない。鑑定眼もなぜか見えなかったって、主から聞いた」
「か、鎌で斬ったら?」
「貴重なサンプルに主がそんな事する筈ない。たぶん、シュトラ様が率いる研究班にそのうち出番が回ってくる。この場合、刀が重要なのか鞘が重要なのか、よく分からないけど。最悪分からぬとも、クロト先輩の糧となるから安心」
「う、うん。それなら安心だ」
取り敢えず、クロトを過程に通せば安心らしい。竜の胸の内は複雑である。
「んー、おで、やっぱりケーキよりかは岩が――― ん?」
ケーキを咀嚼するボガの動きが止まる。
「……ム、ムド」
「待って、今とっておきのイチゴが」
「あれ、あれっ……!」
「……? っ!」
ボガは酷く驚いた様子で、牢獄の中を指差した。




