第382話 断罪者
―――魔王城最下層・月の館
投擲されたキューブが地下の壁と衝突して、粉塵が盛大に舞い上がる。壁によって密閉されてはいるが、最下層はベルの屋敷が丸ごと入るくらいに広大な空間だ。視界は直ぐに晴れ上がる事だろう。
「いっつ~……! もう、私の体にこんな物騒なものを刺してくれちゃって。痕が残ったらどうするのよ」
セラはわき腹に突き刺されたパイルバンカーの杭を力任せに抜き取り、ポイッとその辺に放り投げながら愚痴をこぼした。普通、そんな物騒な杭を無理に抜いてしまえば血が大量に噴き出してしまうものだが、セラには血操術がある。杭を抜いた瞬間に負傷箇所を血で固めてしまえば心配はない。
「ま、ケルヴィンかメルに頼めば綺麗に治してくれるかしらね。って、あう…… 表面上は誤魔化せても、流石に中は痛いかも…… 内蔵と骨が完全に逝ってるわ、これ。うーん、黙っていれば完治まで1時間くらい?」
安静にしていればそれで治るような口振りである。恐るべし、S級『自然治癒』スキル。尤も、余裕そうに見えるセラであるが、わき腹の他も万全とはとても言えない。右拳はズタズタに切り裂かれ、粛清蒼通貫によるダメージを複数回負っているのだ。実はやせ我慢もちょっとしている。
先の戦闘時、セラはベルの風切りの蒼剣と蹴りから放たれたパイルバンカーをもろに受けてしまった。風で武器全体を覆った攻撃が相手では、セラは血を付着させれず、能力を発動する事ができない。ここまでは戦闘馬鹿ケルヴィンと親馬鹿グスタフの戦いの再現でもある。
この逆境を打破したのは親友ゴルディアーナより伝授された武術、ゴルディア。そのオリジナルでもあるセラの無邪気たる血戦妃は闘気を纏う事でステータスを底上げし、微弱ながらも血染と同じ効果を秘めていた。注目すべきはその適応範囲だ。紅のオーラは風や結界に遮られず、何物も透過して効力を発揮する。風切りの蒼剣が途中で消えてしまったのも、パイルバンカーが制御不能となったのもこの為だ。
対象を染めるまで時間が掛かり、血染のような即効性はないが、ベルやケルヴィンのように接触を避けようとする相手には抜群の効き目のある力なのだ。使い方次第では、ゴルディアーナの慈愛溢れる天の雌牛にも有効な手段となるだろう。嵌ってしまえば抗う事は許されず、女帝の前に平伏すのみである。
「念話で呼ぶ? でも大見えを切った手前、呼び辛いような気も―――」
セラがどうしようか迷っているうちに、向かいの粉塵はもう消え去っていた。
地面には傷だらけとなったベルが倒れている。魔人紅闘諍の拳によって全身を握り潰され、怪我の度合いで示せばセラよりも数段酷い状態だ。満身創痍で最早自身で立つ事も叶わないだろう。特に2度の締め付けを受けた右足は使い物にならず、残った左足も蒼き鎧は解除され、半壊した純白の脚甲を辛うじて装備しているといった感じだ。戦いを続けれる容態ではない。
「……ふ、ふふっ」
「あら、意識はあるのね。大丈夫?」
「大丈夫に見えたら、貴女の眼は腐っているわ、ね。セラ・バアル……」
「うん、軽口を叩けるのなら大丈夫そうね!」
「………」
悪気のない笑顔に毒を抜かれてしまったのか、はたまた呆れてしまったのか。ベルは天井を見ながら黙ってしまった。彼女らの姉妹喧嘩によって底の抜けてしまった天井の穴から、微かに紅の月が顔を出している。ベルの赤い瞳に映る月は、妖しくも美しい。
「やっぱり、グレル、バレルカは…… 良い国よ、ね?」
「何よ、突然?」
「いえ…… こっちの、話よ」
そう言い終えると、何とベルはあらぬ方向を向いている腕で地面を押さえ、無理を押して立ち上がろうとしていた。自分はまだ戦える。まるでそう意思を示しているかのように。
「そう、私はまだ、大丈夫…… うん、戦える。この程度、で、私の剣は……」
「ちょっと、無理に動かない方がいいわよ。貴女、回復手段がないんでしょ? 見たところ、自然治癒で回復している様子もないし」
セラの指摘の通り、ベルの怪我は治る様子を見せない。それでもベルは忠告を無視して、上半身を起き上がらせた。
「ハァッ、ハァ……」
「ねえ、聞いてる?」
「私は、断罪者…… 罪を、断つ者。そう、ね。早く、私たちの罪を、清算しなくちゃ…… 私の、大好きな、故郷を……」
ベルの息は荒く、自分に言い聞かせるように血を吐きながら譫言を呟き続けている。セラの言葉を聞く素振りもない。しかし、瞳には何か決意じみた確固たる光が灯っていた。
「……いい? よく見て、おきなさいよ?」
ベルの言葉が天井へ吸い込まれていく。セラではない誰かへと向けられて、発したかのように。そしてこの瞬間、セラの警戒は最大値へと移行する。
(―――黒い本?)
突如として、表紙を黒で塗り潰された1冊の本がベルの目の前に現れたのだ。どこから出てきたのか、それが何なのかは不明。ただ、とても嫌な感じがする。セラの直感はそう訴えていた。それほどまでに胸騒ぎがして、悍ましい気配が漂う。
「ベル、早く離れ―――」
「―――ああ、それと」
セラの叫びを遮るは、飾らぬ、ベルの本心からの言葉。
「姉妹喧嘩、まあ、うん…… 楽しかったわ。合格点かな。セラ姉様、貴女なら大丈夫でしょ?」
ベルの拙い笑顔は、黒の書から放出されたどす黒い泥に包み込まれてしまう。伸ばしたセラの手は間に合わず、眼前には黒の球体へと変化した泥が残った。
「これは……?」
『セラ、無事か!?』
戸惑うセラに、ケルヴィンからの念話が届く。
『ケルヴィン? どうしたのよ?』
『メルが魔王の気配を感じ取ったんだ! 言っておくが、義父さんじゃないぞ!』
『ま、魔王って、あの魔王?』
『その魔王! 出現する周期的に、次に現れるのは何十何百年先の筈らしいんだが…… ああ、細かい事はいい! で、気配の出所は正にお前がいる場所だ! ベルの他に誰かいるのか!?』
『ええっと……』
球体にピシリと亀裂が走る。形状が形状だけに、卵が孵化しようとしているような様子だ。
『ベルが、魔王になっちゃった、かも?』
『……神の使徒が魔王ってありなのか。ちょっと待ってろ。直ぐに俺も向か――― あ、ちょっとお義父さん、腕を放してください! 娘がどうしたのかって? 説明している暇は、というか念話のスピードに付いて来るどころか割り込むってどういう…… イタタタッ!』
―――苦しげな声と共に、念話が打ち切られてしまった。
「どちらにせよ、ケルヴィンが駆け付ける時間はなさそうね」
球体の全面にヒビが入っている。セラの予感が正しければ、もう卵(?)は殻を破られる寸前だ。右拳はまだ使えない。お腹は痛いし、肩も悲鳴を上げている。万全には程遠い。しかしそんなセラの状態とは関係なく、新たな魔王は誕生しようとしている。
「ベル……」
セラは悲痛な面持ちで球体に向かい合った。




