第373話 馬鹿は死んでも治らない
―――試練の塔
試練の塔の最上階。そこはまさに魔王が居る場所であり、髑髏や悪魔の像の立ち並ぶ暗然たる部屋だった。塔の外見よりも内部が広大なのはここも例外ではなく、それどころか5層からなるどの試練の間よりも広々としている。部屋の最奥中央には魔王城の王座にあった椅子と同じものが鎮座し、闇の中をも見通すかのように睨みを利かしていた。ただ、その場所に座るべき大悪魔の姿はない。
王座から視点をややずらそう。雄々しい暗黒竜の石像背後、その壁際には秘密裏に作られた外を覗く為の隠し窓が存在する。
「……行ったか」
―――居た。双眼鏡を構えて窓を覗く、ジェラールをも超える巨体な悪魔が。セラの巻き角に酷似した悪魔の角を頭に持ち、背中には巨大な悪魔の翼、そして強靭なる悪魔の尾。彼は過去に前勇者、セルジュ・フロアによって討伐された悪魔である。奈落の地の支配者、悪魔の王、紅髭公。魔王となってしまう固有スキル『天魔波旬』から解放され、呼び名は数あれど、その本質は変わりはしない。
「うむ、今日も我が愛娘達は気高くも美しい。絶対に、世界で最も美しい」
どうしようもなく親馬鹿なのである。悪魔の名はグスタフ・バアル。馬鹿は死んでも治らないとはよく言ったもので、グスタフは正しく死に、生き返った上で病気のままだった。
「セラよ、天真爛漫な純粋のままで、よくぞここまで育ってくれた。母であるエリザとは瓜二つ、スタイルはそれ以上に凄まじい。満面の笑顔なんて魅せられた日には、敵国の一国を粉砕するまでにエネルギーが湧いてくる。お前の魅力は世界全ての男を魅了し、惑わす程のものだ。悪魔でありながら太陽の如く愚民を照らす、一種の魔性である。親の我が言うのだから間違いない。よって近寄る者は我が直々にすり潰す」
グスタフは拳を熱く握り、なぜか語り始めた。
「ベルよ、お前は容姿の成長こそは途中で止まってしまったが、だからこそ娘としての愛は悪魔一倍だ。比喩するのもおこがましいが、まるで有象無象の畜生の中で一輪だけ咲く孤高の花。一見冷静沈着であるが、実は感情の起伏が激しいところなど実に愛しい。見えぬところで優しさを発揮する不器用な一面など、実に心をくすぐり、悶えてしまいそうになる。これも魔性だ、魔性。我が娘達ながら恐ろしい悪魔よ。よって近寄る者は我が直々に処刑する」
グスタフの放つ殺気に当てられた石像に亀裂が走る。まるで、それがグスタフの怒りを示すバロメーターであるかのように。
「セラとベルには世の煽りを受けぬよう、窮屈な生活を敷いてしまった。暴政を敷いた事によるクーデターの恐れ、狂いに狂った吸血鬼の女王の度重なる来襲、何よりも愛娘を狙うであろう下種な男共の視線を逃れる為とはいえ、詫びなければならぬ事だ」
グスタフが頭を抱え始めた。
「しかし、しかぁーし! 今ならばこの選択が正しかったと確信できる! 現に我を蘇らせたベルの話によれば、セラはあのケルヴィンとかいう小僧の■■■■、■■■■■■っ~~~!」
近くに設置されていた暗黒竜の石像がグスタフの拳に触れ、粉々に粉砕されてしまう。地団駄を踏みながら放たれるその怒りは恐ろしいものだが、言葉までも呪詛に塗れ過ぎてよく分からないものと化していた。グスタフ自身は自覚していないだろうが、その言葉を聞くだけで常人が泡を吹いて倒れるレベルの呪いに仕上がっている。
「……よし、我は決めた。決めちゃった。ケルヴィンは我が殺すべきリストのトップにその名を刻んでやろう。美しいだけでなく心までも優しいベルの厚意で、辛うじて生き長らえているセバスデルを追い抜いての抹殺対象だ。こやつも光栄であろう」
実に身勝手、実に一方的な論調。それが悪魔である所以と言ってしまえばそれまでであるが、グスタフの頭に迷いはない。遠慮もない。あるのは娘を脅かす不届き者に与える裁きだけだ。
―――バァン! ズザァー!
そんな殺気が充満する中、部屋の扉が大きな音を立てながら開けられ、何者かが飛び出した。投げられるように床へと転がり、そのまま這いつくばる。
「グ、ググ……」
「何だ、セバスデルか」
満身創痍となった執事の悪魔は息も絶え絶えの様子だった。オールバックに纏めていた黒髪は乱れ、しわ1つなかった執事服も今では汚れるどころか破れている箇所まである始末。ただ、その表情はどことなく幸せそうだった。
(……こいつ、やっぱり最初に始末した方がいいんじゃなかろうか?)
セバスデル、ちょっと抹殺ポイントを稼ぐ。
「いやー、なかなか面白かった。極度の興奮状態にして鋭感になった後の殴り合い読み合いが楽しかったし、最後に部屋の壁ごと距離を縮めて俺を押し潰そうとした手も良かった」
セバスデル以上に満足気な表情で扉から歩み出た黒ローブ。その手には邪な気配を発する聖剣とセバスデルのもぎ取られた片翼が握られていた。
「壁が脆過ぎたのと、能力に頼り過ぎていたのが残念だったけどな。翼、返すぞ。後で綺麗に回復してやるから安心しろ」
翼がセバスデルに覆い被さるように放り投げられる。
「ええっと、ここは――― 断罪の試練?」
扉にはそう書かれている。
「断罪って…… 裁く前にもう決定してる系ですかね、お義父さん?」
ケルヴィン、自ら煽り抹殺ポイントを稼いでいくスタイル。
そう言いながら笑顔を向けるケルヴィンに、グスタフは分かりやすくビキビキと血管を浮かべていた。ただ、こちらも笑顔である。人間も悪魔も、一定の怒りを振り切ると笑顔になるようだ。この場合ただただ不気味で、殺気だけがさっき以上に垂れ流しになっている。
「ここは断罪の試練。否、試練と言う名の処刑場よ。無論、お前のな」
「まだ何にも話してないんですけどね。自己紹介くらいはしたいのですが」
「不要だ。事のあらましはベルから聞いておる。今後一切の言葉を発する必要もない。死ぬがよい」
血が滲むまでに握られた拳から、真っ赤な血が宙に流れ始める。やがて血は1本の偃月刀を作り出し、グスタフの手へと納まった。
(血染、か)
その様子を眺めていたケルヴィンは、真っ先にセラの固有スキルを思い浮かべた。血を自在に操作している事から、『血操術』も所持していると推測する。
「えらくド直球ですね。流石はセラの血筋の元なだけはなる。あ、いつもセラには良くして頂いて―――」
「死・ぬ・が・よ・い」
ケルヴィンが立っていた床に、血の偃月刀が投じられる。空気を斬り、目で追えぬスピードで放たれた偃月刀を初見で躱せたのは度重なる連戦のお蔭だろう。今も尚、ケルヴィンは絶好調の状態なのだ。
「ハハッ、親子揃ってそこまで一緒の反応をされると困ってしまいますね! いやー、困った!」
いつもの事であるが、全然そんな顔はしていない。
「安心しろ、すぐに物言わぬ屍にしてくれる」
「なら、しっかり正当防衛しなくては。ところで、そこに転がっている執事をどかさなくていいのですか? 巻き添えになりますよ?」
「それこそ安心するがいい。鴨が葱をしょってきたようなものだ。纏めて葬ってくれるっ!」
ああ、やっぱりターゲットにされていたんだな。ケルヴィンはそう思いながら、幸せな夢の中へと旅立とうとしているセバスデルを横目に見ていた。