第370話 悪魔四天王セバスデル
―――試練の塔
「ンン、ここは……?」
長いようで短い微睡みからの覚醒、調理場の床に横たわっていたビクトールが目を覚ます。節々が痛む体を起こして辺りを見回すと、倒壊した筈の試練の間が元通りとなっていた。
「おう、気が付いたか」
声の先に視線を向けると、そこには座り心地の良さそうなソファに座るケルヴィンの姿があった。調理場は修復されているが、テーブルや椅子はケルヴィンの重風圧に押し潰されてしまい残骸のみが残っている。このソファは恐らく個人的に持ち込んだものだろう。
「貴方は…… そうですか。負けたのですね、私は」
「進化に適応し切れてない拙さに助けられた感もあったけどな。ま、いい勝負だったよ。奥の手である高位魔法のⅢ連打は流石の俺も辛いものがあったからな」
「クフフ、その割にはまだまだ余裕のようですがね。それに、まだ何か手段を隠していたのでは?」
「さあ、どうだろうな。気になるなら、もう一戦いっとく? いっとく?」
瞬く間に表情を輝かせて次の戦いへと誘うケルヴィン。大事なお誘いなので2回言いました。
「さっきので固有スキルの扱いに慣れただろ。次はもっと良い戦いができると思うぞ」
「遠慮しておきますよ。貴方の試練はまだ続きますし、私も少々疲れましたので」
「まだどこか痛むのか? 一応、戦闘で負わせた傷口は完治させたつもりなんだけどな。それともクライヴの呪いの方か? あいつ、久しぶりの肉の感触に張り切っちゃったみたいでさ。後遺症は残らないと思うけど、解呪するのに手間取ったからなぁ……」
鞘から愚聖剣を抜き、心なしか光沢の増しているクライヴの刀身を眺めるケルヴィン。自らの白魔法での手当を済ませているようで、戦闘で与えられたダメージの名残は既にない。そして呪いやら後遺症やら肉の感触やらと悍ましい単語が並んでいるのは気のせいだろうか。とてもではないが聖剣らしくない感じがする。
しかしそんな不吉な言葉とは対照的に、ビクトールのコンディションはむしろ良かった。戦いの最中に受けた頬の傷は完治しているし、勝負を決めた最後の一撃による致命傷も傷跡すら見受けられない。ステータスで状態を確認しても、呪いという文字は並んでいなかった。
「ええと…… その話はよく分かりませんが、調子自体は悪くありませんよ。単なる疲労感です。そう、心地好い疲労感と言いましょうか。心の底から胸がすく気分です」
「そうか、残念だな」
「そこは良かったな、でしょう?」
「ん? ああ、そうか。でも俺は残念なんだ……」
「……本当に変わっていないのですね。一周して逆に感心してしまいます」
ソファの上で項垂れるケルヴィンはややオーバーリアクション気味だ。半分は冗談だと伝える為の演技だろうが、残りの半分は本気だったりするので始末に困る。
「さ、私の試練はとうに終わっています。余りに遅いとグスタフ様がお怒りになるでしょうし、次の試練に向かうのがよろしいかと」
「もう出発するところだから安心しろって。クロト」
立ち上がるケルヴィンが手をかざすと、ソファが袖の中へと消えていった。それを機にケルヴィンはそそくさと階段へと向かって行ってしまう。
「あー、そうだった。ビクトール」
何かを思い出したかのように、階段を2、3段上ったところでケルヴィンが立ち止まり、顔だけを振り向かせた。
「あの後セラがさ、泣くほどお前の事を恨んでたぞ。だからさ、もう死ぬなよ。また泣くから」
「……心得ました」
それだけ言うと、ケルヴィンは悪食の間からさっさと退室してしまう。残された悪魔は暫く天井を見上げ続けていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
径庭の試練。そう刻まれた大扉を開き入室した先は、紅い薔薇が咲き誇る庭園だった。シュバルツシュティレが陣取っていた場所も庭園ではあったが、こちらは鮮やかな色が場を支配する実に見目麗しい庭園である。人間の感性から見ても、思わず見惚れてしまう景色といえるだろう。天井は見当たらず、見渡す限りの青空が広がっている。一瞬ここが塔の頂上かと錯覚してしまいそうになるが、よく見れば奥には螺旋階段がしっかりとあり、その事からここがまだ塔の内部だと推察できた。
「で、次はやっぱりお前か」
「ええ、私です。まずは拍手を。よくぞここまでおいでになられました」
パチパチと祝福の拍手を送るは眼鏡をかけた執事服の悪魔。悪魔四天王筆頭、教養担当のセバスデル。光の反射で眼鏡の奥にある瞳はよく読み取れないが、背筋をまっすぐに伸ばし、にこやかな様子でケルヴィンを出迎える。
「よくぞと言ってもなぁ。猛毒と怪力の試練は留守だったようだし、実質俺はビクトールとしか戦ってないぞ?」
「これはこれは、また謙遜を。1層2層の主であるラインハルトとベガルゼルドは、ケルヴィン様のお仲間が倒されたのではありませんか。多角的に攻め入り、兵を分散。更には試練の塔へ悪魔四天王を配置させる前に撃破するとは、何という連携力でしょうか。兵を預かる身として、実に素晴らしき策と力であると存じます」
「そ、そうか」
当然ながらそんな事は狙っていない。事前に分かっていれば――― 悔やむばかりである。
「……ビクトールも生き返りましたか。彼だけはベルお嬢様も見つけ出せず、行方を探していたようです。なるほど、地上にいたのですね」
「ああ、セラを探していたそうだ」
「セラお嬢様を、ですか。彼はセラお嬢様のお付きでしたからね」
セバスデルが人差し指で眼鏡を押し上げる。
「もう一度、自己紹介を致しましょう。私の名はセバスデル。主に教養指導を担当しておりましたが、その他にはベルお嬢様の執事も担っています。同時にビクトールがセラお嬢様の武術の師であるとすれば、私はベルお嬢様の師であるといえましょう。尤も、拳と蹴りでは全く異なる武となりますが」
「そうだな」
ケルヴィンは頷く。
「偏に武術を教えるといっても、その道は遠いものです。ビクトールはあの人間とはほど遠い外見ですから、比較的早期にセラお嬢様のお付きになれたようですが、私は苦労しました…… 実に苦労しました! 目鼻の整った顔が気に入らないという理由でお嬢様方との同室をグスタフ様が絶対に許さず、仕方なく部下のメイドを通しての指導から始まり、数年の時を経て半径10メートル外側まで近づく事が許され、それからまた数年して直接の武術指導に至りました。3日に1度はグスタフ様に眼鏡を割られたものです」
「うん? ……う、うん」
話の流れがやや外れてきた気もするが、ケルヴィンは頷く。
「しかしながらボディタッチは厳禁です。しようものなら極刑になっていた事でしょう。そんな無理難題の中でベルお嬢様に授けた技は数知れず、挫けそうになった事も度々ありました。それでも執事を続けてこれたのはベルお嬢様の心遣いがあったからでしょう。セラお嬢様に比べれば冷たい印象を受けがちですが、ベルお嬢様は本当はお優しい方なのです。執事たる私がこのような感情を抱く事は禁じるべきなのでしょうが、実の娘のように思える時も多々ありました……!」
「そ、そうなのか。うん」
突然の激白に焦るケルヴィン。それでも何とか頷いた。
「だからこそ、だからこそ…… ベルお嬢様を誑かしたケルヴィン様を許す事はできないのです。ベルお嬢様はグスタフ様と私にこう仰られました。ケルヴィンに大切なものを奪われた、と。色魔は大人しく死んで頂きたい」
「待て、それはおかしい!」
流石のケルヴィンも頷く事はできず、間違いであると否定する。が、セバスデルの眼鏡の奥は怒りで満ちていた。