第322話 加熱調理
―――火竜王の塒
(我が、炎に押し負けた?)
遅れてやって来た右腕の痛みの感覚。変化を終えたのも束の間。疾走する多首極蒼火竜に噛み千切られた火竜王の右腕が飲み込まれ、蒼炎によって焼却されてしまった。しかしながら、火竜王が放心する事を許される時間はない。エフィルを乗せる首を除く、残る6体の蒼竜が四肢を食らい尽くさんと迫っているのだ。
―――ゴウッ!
火山から供給したマグマを翼に取り込み、高エネルギーを得た火竜王はそれらを後方から噴出させ、尋常でない速さで飛行し始めた。多首極蒼火竜でも追い付く事ができない程だ。
「これは……」
現代知識を持つケルヴィンとリオンであれば、例えその分野に詳しくなくとも現在の火竜王の形体に思い浮かべるものがあるだろう。 ―――ジェット戦闘機における、アフターバーナー。それに酷似した炎の束が、幾つも火竜王の翼から噴き上げていたのだ。それも後ろばかりではなく、翼の一部を微妙に調整することで全方向に対応可能。これにより火竜王の軌道は予測できぬものとなった。
「クハハ! 我が司る炎に飲まれるなど、初めての事であるぞ! だが―――」
「それでも、的が大きい事には変わりありません」
またも言葉を断つように放たれるエフィルの矢。極蒼炎の焦矢が不規則に高速移動している筈の火竜王に、狙ったように吸い込まれていく。
「ヌウッ!」
火竜王は咄嗟に灼熱の爪を払い、蒼き矢を弾き飛ばす。が、直後に走る熱の痛み。接触は一瞬だったにも関わらず、エフィルの矢は炎熱を模る火竜王の爪を砕き、負傷させるにまでダメージを与えていた。耐性や無効化能力など無駄だと言わんばかりである。
「何という火力の高さよ! 礼だ、受け取れ!」
触れれば負傷は免れない。だが、それは蒼炎もまた同様。火竜王の激烈な攻撃を受ければ、たちまちのうちに露と消えてしまうだろう。これは特化した破壊力と破壊力のぶつかり合い。詰まり、如何にして大火力の攻撃を相手にぶつけ、焼き尽すかの勝負なのだ。
広範囲に広がる放射型の息吹。火竜王が放出したそれは、先に放った紅玉の炎とはまた別物。隙間なく放たれる炎の海が、自身を追い込まんとする多首極蒼火竜の各首を逆に飲み込み、炎を炎で焦がしていく。その対象はエフィルも含まれており、旋回した火竜王の息吹が次のターゲットとして襲う。
蒼竜が懸命に疾走するも息吹は息切れする事なく続き、空中は烈火の渦となっていた。やがて、エフィルの騎乗する多首極蒼火竜の首にも全てを蝕む炎が引火する。
「つっ……!」
エフィルが蒼竜から跳躍し宙に逃れる。が、如何に敏捷性に優れるエフィルといえど、空中において火竜王の炎に囲まれたこの状況は最悪だ。その上、火竜王は翼から炎を噴射させて自由自在に空を駆け巡る。機動力の差は歴然であった。
「これでしまいだ。燃え尽きるがいい」
襲来するはより一層激しさを増した炎。眼前に、死が迫る。
―――ドゴォーン!
「何っ!?」
「なるほど、炎にはそういった使用方法もあるのですね。勉強になります」
エフィルが行ったのは、矢を至近距離で爆発させる事による飛翔だった。正に、火竜王が今やっている高速移動の真似事である。加護を持つエフィルでなければ火傷では済まない大惨事に成り得るこの飛行方法。発想を逆転させれば、火竜王にできるのならば同じ特性を持つエフィルにも可能なのだ。更には早撃ちで進行方向の炎を爆撃しながら吹き飛ばしている。
「どこまでも楽しませてくれる!」
再び始まった空中戦。眩い爆撃によって照らされる大空では、時に蒼竜が飛び交い、時に火竜王の咆哮が響き渡る。そんな激戦を観戦するケルヴィンらはというと。
「ま、眩しいよぉ……」
「シュトラよ、あまり慣れぬなら凝視するでないぞ!」
―――燦爛たる戦いに、かなり目が疲れていた。
「しかし、これじゃまるで爆撃機と戦闘機の戦いだな。片やでか過ぎるけど」
「エフィルねえ、たまに思い切った戦い方するよね。僕なら思い付いてもできないかなぁ……」
「ああ、火傷どころじゃないから絶対止めとけ。ところでメル、何食べてるんだ?」
「ふふぁ? ふぇんふぁふぁ(これですか? そこに落ちてました)」
「それ、火竜王の腕じゃ……」
「メル、流石に拾い食いは止めなさい! 女神以前に人として!」
「ふぁふおんふぁ……(美味ですのに……)」
その時、空にて締め付けるような圧迫感が走る。
「ケルにい、アレはちょっと……」
「やばいな。メル、早く食え―――」
「あなた様、ふざけている場合ではないですよ」
「え? あ、うん……」
少々納得のいかないケルヴィンと、時既に食事を終えていたメルフィーナの視線の先。浮遊する火竜王の左手のうちに、小さな赤黒い球体があった。沸々と静かに燃え滾り、常軌を逸したオーラを放っている。
「まさか、これを使う事になるとはな」
エフィルも同じくしてその異常性に気付いていた。周囲では何体目かの多首極蒼火竜が警戒するように巡り回り、エフィルは魔法を詠唱する。
「極蒼炎四方城塞」
ゴオッと一瞬で展開される蒼き炎の城塞。ダイス状のそれは牢獄であるかのように、火竜王を中心にして城壁を巡らし、幽閉する。
S級赤魔法【極蒼炎四方城塞】はその内部にいるだけで直ちに水分を失って干上がり、やがて燃え上がり、そして死に繋がる恐ろしき魔法だ。万が一に数秒生き残って逃れようとしても、対象を囲うは最高火力の炎壁。どちらにせよ抜け出す事はできず、調理されるのを待つばかりとなってしまう。だが、火竜王は不敵に笑っていた。
「無駄だ。これには我の力の殆どを納めている。壁を作ろうと、素早く動こうと、決して逃れられない」
球体に巡るエネルギーが徐々に回転し始める。
「来たれ、絶望。来たれ、破滅。我に全力を出させたその傲慢、誉れと思い逝くといい。 ―――残火滅却」
火竜王が球体ごと拳を握り締めると、そこからカッと発せられる紅蓮の光。その光に飲み込まれた瞬間、極蒼炎四方城塞が弾け、多首極蒼火竜が消え去り、一帯の火山群が真っ黒に炭化した。見渡せる景色全てが標的となったとでも述べようか。遠方にいたケルヴィンらは幾重にも緑魔法と青魔法を重ねるも、こちらも建造物が破壊される程度に甚大な被害を被る。
「クハハ。言ったであろう? 残火滅却から逃れる手立ては―――」
「そうですね。少々我慢を要しました」
「なっ、グハッ!?」
火竜王の更に上空より、言葉と共に降り注いだ蒼き矢が左腕を焼き落とす。ボロボロとなったメイド服とカチューシャ、されどエフィルは無事であった。
「貴様、なぜっ!?」
供給したマグマの力も残り少ないのだろう。大部分の熱を失って赤黒くなりつつある各部位を再び燃やしながら、火竜王が問う。
「貴方が無事なら私も無事。分かり切った事ではないですか」
「また意味の分からぬ事を……!」
「では、分かりやすく言いましょう。料理人は、炎を恐れないのです」
エフィルが弓に矢を番える。
「ヌウッ! 我が力、これが底と思うなっ!」
翼のアフターバーナーを灯し、サマーソルトの要領で火竜王の強靭な尾がエフィルに接近する。体内に宿る全ての力を刺々しい尾に集約させたのか、尾は炎の剣を纏っていた。
「炎帝尾剣!」
これまでの火力のぶつかり合いを見るに、両者の攻撃力はほぼ互角。魔力と力が尽きかけるこの中で、勝敗を分けるは気力か運か―――
「お母さん。ほんの少し、力を借りるね」
エフィルの髪を結っている髪留め、母ルーミルの形見が翠色の優しげな光を放つ。やがて弓から放出された蒼と翠が交わった鮮やかな矢は、火竜王を尻尾ごと串刺しにして地に落とした。