第154話 ダン・ダルバ
2015.10.04 加筆修正を行いました。
―――ガウン、トライセン国境
ガウン領である紋章の森を東に越え、幾ばくか歩けばそこはトライセンとの国境近隣である。エルフの里への襲撃が発覚して以来ガウンはここに砦を構え、獣王の息子である3人の王子達の部隊が護りを固めている。獣王に認められ、ガウンを名乗ることを許されるだけあって、王子らの兵は精強なことで有名だ。サバトとゴマの兄である彼らも冒険者として自らを鍛え、心から信頼し合える仲間を作り国に戻ってきたのだ。今ではその仲間達と共に一軍を率いる将となり、ガウンを支えている。
トライセン領から白金に輝く鎧を身に着けた軍勢が列を成し、ガウンを目指して進軍して来るのを発見したのは2日前のことであった。威力偵察レベルの人数ではない。それも相手は老いたとは言え今なおトライセン最強の男、ダン・ダルバが率いる『鉄鋼騎士団』だ。それからの砦の猛者達の行動は早かった。すぐさまに防衛陣が敷かれ、王子らも戦線へと赴く。
「止まれぇ! これより先はガウン領なり! 貴様らの入国許可は受けていない! 直ちに軍を退けぇ!」
警告は一度きり。ガウンの領土へ一歩でも足を踏み入れれば侵略行為と見なし、攻撃を行う。ガウン側もこの勧告で退いてくれるとは全く期待していない。あくまで体面上の問題だ。これまで何度も小競り合い程度はあったものだが、後々こういった警告のしたしないが外交面で引っ掛かるのだ。
だが、トライセンは予想だにしない動きを見せた。軍勢の中から重厚な鎧を着込んだ男が一人、前へ歩み出たのだ。白髪頭に兜を被り、鎧は太陽の光を反射する。その男こそ、鉄鋼騎士団将軍のダンであった。
「この老いぼれ一人に対して随分な歓迎ではないか。まあ固いことを言うでない。ほれ、手土産にと我が国の地酒を持ってきておるのだ。まずは腹を割って話でも―――」
酒瓶を掲げ語り掛けながら歩みを進め、ダンは国の境界線上に差し掛かる。ガウンとトライセンの国境には一定の間隔で石柱が建てられている。この柱は大戦終結時に和約を締結した際のもので、明確にボーダーラインを定める為の役割を担っているのだ。その柱の真横を通り国境線を踏み越えたとき、砦より放たれた矢がダンの掲げる酒瓶に当たり、上質であったであろう命の水が辺りに零れ落ちる。
「ふぅむ、ワシとしては穏便に済ませたかったのだが」
ダンは尚も歩みを止めない。
「退けと言っている!」
最初に飛び込んだのは長兄であるジェレオル・ガウンの精鋭部隊であった。兄弟の中で最も早くガウンの名を与えられた彼は飛び抜けた戦闘力を持ち、ゴマの師であるほどの格闘術の達人である。冒険者ランクこそはA級で止まっているが、単騎でS級モンスターを討伐した経験もある。部下が周囲を包囲し槍を構えた上での、獣人の瞬発力により一瞬で間を縮めた彼の渾身の一撃は――― 空を切った。その鎧姿からは考えられぬ速さで、槍で囲うが関係ないとばかりに、ジェレオルの放った拳をダンは軽快に躱す。
「ちと強い酒だ。我慢しろ」
すかさず放たれるカウンター。ダンの手の平にあったもの、それは先程の酒。ほんの少量掬い上げたそれを、ダンはジェレオルの顔面へと叩き込む。
「~~~!?」
言葉にならない激しい痛みがジェレオルを襲う。眼球に注ぎ込まれたアルコールの痛みと、結果としてダンの岩のような掌底をも食らってしまったのだ。達人であろうと悶絶ものだ。
「ジェレオル様!」
「舐めるなぁ!」
それでもジェレオルは痛みに打ち勝ち、逆に突き出されたダンの右腕に組み付き関節を決めることで動きを封じることに成功する。いや、成功したと言っていいのだろうか。屈強な男であろうと等しく耐え難い痛みを与えるサブミッションホールド。しかしダンは平然とした表情で、長身であるジェレオルを腕一本のみの力で空中に静止させていた。
「俺に構うなぁ! 穿てぇ!」
ガウンの精鋭達は即座に槍をダンに目掛けて突き出す。鎧の弱点である繋ぎ目に精密な突き刺しが繰り出され、四方より首や肘などの間接部に槍が差し込まれる。
「ぐっ! 槍が動かない、だとっ!?」
槍は確かに鎧の中で突き刺さっているはずだった。だが、突き刺したはずの槍が微動だにしない。ただ、途轍もない力によって押さえ付けられているような、そんな感触が槍より伝わってきた。
(兵は兎も角、こやつの筋力は600、いや700といったところか。アズグラッド様と良い勝負をしそうではあるな。だが、どちらにせよまだ未熟)
ダンは首に突き刺された槍をガウン兵ごと左手で持ち上げ、そのまま周囲の敵へと振るう。
「ぐあっ!?」
「ぎゃっ!」
ダンが振るう度に兵がドミノのように薙ぎ倒され、悲鳴が沸き起こる。槍が折れれば今度は腕に組み付いたジェレオルを無理矢理に剥がし取り、武器代わりにと振るわれる。やがて突き刺した槍を持つ者はいなくなり、カランカランと鎧の隙間より槍が抜け落ちる。槍の刃先に血痕はなかった。
ガウン兵が次に視線を合わせたとき、ダンは大剣を抜いていた。フルプレートの鎧と同じく、白金色の無骨な剣。真横に振るわれたその大剣は強力な剣圧を生み出し、周囲のガウン兵を吹き飛ばしていく。その中にはジェレオルの姿もあり、彼とその部下達は砦まで飛ばされ、叩き付けられる。ジェレオルはちょうど堅く閉ざされた砦外壁の門へと衝突し、勢い余って破壊。卒倒するジェレオルの姿は兵の動揺を増長させた。技とはとても言えぬ槍の、剣の一振り。たったそれだけの行為でガウンの一部隊は戦闘不能へと陥ってしまったのだ。
「馬鹿な、ジェレオル兄さんが!?」
「うろたえるな! 弓兵、狙え撃てぇ!」
砦より暴風雨のように降り注ぐ矢。だがダンは動かない。最早躱す必要さえもないとばかりに、大剣を地に突き刺し、降り止むのをジッと待つだけであった。
「なぜだっ! なぜ負傷しない!? なぜ倒れない!?」
「重装歩兵、前へ」
ダンの背後より全身鎧に大盾、そしてハルバートを装備した一団が動き出す。
「穏便に降って貰えればワシも楽だったのだがな。だが抗うのならば仕方がない。王の命により、これより詰めさせてもらうぞ」
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それからの戦いは一方的なものであった。残った王子二人も手は尽くしたが、ダンを攻撃の主軸にした鉄鋼騎士団の包囲網を崩すには至らなかったのだ。護りに特化した兵で前線を固め、後方より強化を施したカタパルトやバリスタといった攻城兵器で砦を攻める。非常に基本的な兵法であるが、完成された騎士団の統率が、ダン・ダルバの存在が状況を覆すことを許さなかった。
ガウン軍は否応なしに砦への篭城を選択せざるを得なくなり、全部隊が砦へと逃げ込み攻城兵器による攻撃を耐え忍ぶこととなる。しかしガウンの砦は堅固であり、陽が落ちるのも早かった為に夜間は攻城兵器による攻撃だけに留められる。両軍の兵は交代交代に束の間の休息につき、明日の本格的な戦いに備えていた。そんな時、ある知らせがダンに届いたのだ。
「竜騎兵団が全滅だとっ!?」
野営天幕にて休息中であったダンの怒り声に、知らせを持ってきた女中がビクリと体を震わせる。
「は、はひっ。さ、先程伝令の方がいらっしゃいまして、早急に将軍様へ伝えるようにと。三日三晩早馬にて走り続けたようでして…… 馬は潰れ、その方も倒れられて今は意識がないです……」
「……ルノアが去ったことで戦力は十分だと認識していたが、冒険者の実力を見誤ったか」
パーズに残る目ぼしい戦力はS級冒険者のゴルディアーナとケルヴィン、ダンはそのように考えていた。シルヴィアとの模擬試合を参考に力量を測っていたのだが、そのケルヴィンの仲間までもがそれ以上の実力者だとは思ってもいなかったのだ。
「そ、それともうひとつご報告が……」
「まだ何かあるのか?」
「そ、その…… 魔法騎士団が交戦せずに、トラージより撤退したそうです」
―――ガシャン!
「ひっ……!」
叩きつけられたダンの拳が机を砕く。
(トリスタンめ、何を考えている? この作戦は攻めこそが決め手、時期を逃せばこちらが不利になるばかりなんだぞ…… パーズを取り逃した今、ガウンとトラージは逃せない。そもそもこの策を立案したのは―――!?)
キンッ!
鞘に収め壁に立て掛けていた大剣を取り、ダンが不意に振るわれた女中の小刀を防ぐ。互いの得物はギリギリと拮抗し、未だ油断ならない状況だ。
「ほう。殺意を消した完全な不意打ちだと思ったが、これを防ぐか。流石はトライセン最強の男」
「……貴様、何者だ」
外見だけを見れば、普段ダンの身の回りの世話をしていた女中そのものの姿。だが女中の顔には先程までの怯えた様子はなく、その内から漏れ出す夥しい闘気がそれを否定していた。
「愚息が世話になったようだからな。少しばかり礼に来たのだ」
「―――獣王か!」
ダンが小刀を打ち払い、女中がバク転で背後へ下がる。
「変装や女装趣味があるとは噂で耳にしていたが、まさかここまで完璧に真似るとはな。攻撃の瞬間まで気がつかんかった」
「人を驚かすのが数少ない趣味のひとつでな。まあ許してくれ」
「女はどうした? 殺したのか? あれでもそこいらの兵より腕は立つはずだが」
「安心しろ。少し横になってもらっているだけだ。傷ひとつ付けておらんよ」
女中に化けた獣王は悪びれることなく自身の胸元を肌蹴させ、害を与えていないことを誇称する。
「ふん…… それで、ここに何の御用かな? まさか小刀片手に一杯やりにきた訳でもあるまい」
「そう好戦的になるでない。用も何も、先の話の続きだよ。ダンよ、良いことを教えてやろう」
女中が見慣れた笑みで、聞き慣れぬ言葉を吐いた。