第116話 一弾指
―――精霊歌亭・酒場
急遽設営された決闘場は冒険者を中心に更にヒートアップ。酔いに押されてか、祭事による影響か、異様な盛り上がりを見せていた。
「へえ、今日はこんな出し物まであるんだな。ジェラールの旦那とセラちゃんもやるねぇ。で、その相手は誰なんだ?」
「キャー! セラ姉様がんばって~!」
「アンタ、この騒ぎは何事なんだい? うん?」
「ク、クレア!? 違うんだ、事の成り行きでこうなってしまったと言うか……」
「おーい、獣人のあんちゃん! 10秒は持ってくれよ!」
酒場に集まった冒険者の殆どが身内ということもあり、セラを応援する声が大半だ。まあ、事の原因が恐喝紛いなものだったから、他でも同じような結果になっていただろうが。
「っは、好き放題言ってくれるもんだぜ。10秒なんて笑えもしねぇ」
「初めて意見が合ったわね。3秒で十分よ」
「「「おおー!」」」
セラが3本指を立てると再び会場が沸きあがる。その挑発にナグアの青筋は破裂せんばかりに膨らんでいた。
「……自己紹介がまだだったな、女。俺の名はナグア。『凶獣』のナグアと言えば分かるか? ああ?」
ナグアの言葉に一部の冒険者がどよめく。
「『凶獣』って言えば、『氷姫』のとこの傭兵じゃねーか!」
「あのガウンでも凶暴なことで有名な?」
「待てよ。去年、女剣士に打ち負かされたって聞いたぞ」
どうやらナグアを知っている者も少なからずいるようだ。最後の情報の相手はシルヴィアだろうか?
「知らないわよ。誰よそれ?」
「ッチ! これだから無知な女は…… もういい、さっさと始めようや」
「ええ。リオン、合図をお願い」
「う、うん……」
リオンが不安そうに俺を見る。
「リオン、大丈夫だからセラを信じてやれ。何だかんだで俺らに迷惑がかかるようなことは絶対にしないからさ」
酒が入ってなければな。
「待って、ナグア」
今にも戦いが始まろうとしていたその時、シルヴィアがナグアに声をかけてきた。
「止めておいた方がいいよ。ナグアじゃ彼女に勝てない」
「っは、シルヴィアの冗談が聞けるなんて今日はラッキーだぜ! 心配すんな。こんな女、速攻倒してとっとと飯だ」
「えっと、冗談じゃなくて……」
「いいからさっさと壁際に戻れ」
ナグアにしっしと手を払われ、シルヴィアは渋々と元いた場所へ戻っていく。しゅんとして赤髪の少女に慰められているところを見るに、意外と彼女はメンタルが弱いのかもしれない。
(シルヴィア、分かってるってぇの。お前はあの女を気遣ってそんな芝居したんだろ? だがな、ここまで言われたとあっちゃあ後に引けないんだよ)
しかも彼は盛大に勘違いをしていた。
「待たせたな。さ、やろうぜ」
ナグアが姿勢を低く、前のめりに構える。その姿は獲物を狩るハンターの様であった。対してセラは仁王立ちのまま不動を貫く。構えを取る気配はない。
(ああん? やる気あんのかこいつ?)
「それじゃあ、始めるよ」
リオンが手を振り上げる。酒場に集まる者達の視線がその小さな手に集まり、一時の静寂が訪れた。皆、固唾を飲んで見守っているのだ。緊張感に包まれる中、リオンの腕が今、振り下ろされた。
ナグアが低い姿勢のまま前に特攻する。その動きは獣のようにしなやかで、瞬時にして目にも留まらぬ速度へと至る。驚くべき加速と言えるだろう。
「さあ、楽しもうじゃぶふぇあっ!」
「―――3秒」
そんなナグアの眼前に現れたのは、先ほどまで構えもとっていなかったセラであった。ナグアはセラを認識できていただろうか。次の瞬間にはセラにぶっ飛ばされ、外へと続く精霊歌亭のスイングドアへと綺麗に吸い込まれていく。ズザザと激しく転がる音が暫く続き、それが止み終わるまで酒場は粛然としていた。
「あら、結局表に出ちゃったわね」
セラが仁王立ちの体勢に戻る。
「ナ、ナグアー!」
エルフの女性、アリエルが叫びを上げながら外へと駆け出した。シルヴィアの忠告を受けて、彼女はこの結末を想像できていただろうか。その叫びを境にして冒険者達も我に返っていく。
「お、おいっ。お前、何が起こったか分かったか?」
「いや、セラさんがいきなり『凶獣』の前に現れて、何かしたくらいしか……」
「私は見えたわ! セラ姉様の拳があの男の顔面を捉えていたものっ!」
観客と化した冒険者達は何が起こったのか理解できていないようだな。彼らの殆どはD級前後のランクだ、ナグアを吹き飛ばした最後の一撃を認識できれば上出来だろう。
「エマ、コクドリ、見えた?」
「攻撃は全部で3回、いや4回だったか? 見に徹して漸く見切れるかどうかの領域だ。1対1ではあっしでも彼女には勝てんだろう」
「……驚いたわ。あの無防備な状態から加速したナグアの顎を正確に捉えるなんて」
シルヴィアとドワーフのコクドリ、赤髪のエマは大方何が起こったか理解しているようだな。鑑定眼は当日の楽しみということで敢えて使わないが、この3人はナグアとアリエルよりできそうだ。
事の詳細を明かしてしまえば、セラは3秒の間に攻撃を4回行った。
ナグアが高速で近づいて来るのに対し、セラは一歩で懐に入り込みナグアの顎に初撃のジャブを軽く放つ。軽くと言ってもピンポイントで狙ったセラの一撃だ。俺は受けたくない。ナグアの脳は大きく揺さ振られ、彼はこの時点で意識を失う。
順当にいけばそのまま膝をついて試合終了なんだろうが、セラはそれを許さなかった。落ちようとするナグアに今度はアッパーカットを打ち込み、ほんの僅かにではあったが彼は宙を舞った。沈んだり浮いたりと彼も忙しいな。
そして僅かに浮いたところをすかさず左ボディを決め、ラストに顔面目掛けての右ストレートで場外と言う訳だ。最早サンドバック状態である。それでも、セラは手加減をしてくれていた。セラが本気で打ち込めば素手であろうとナグアは原形を留めていなかっただろうしな。重症ではあるが死んではいないはずだ。後は仲間に回復してもらえ。
「仲間がやられたって言うのに、随分と悠長だね。あのエルフのように追わなくいいの?」
「えっと、手加減してくれたみたいだし、大丈夫だと思うから」
「何でそう思う?」
セラは勿論、リオン達には俺の『隠蔽』がかけられている。S級の鑑定眼でも防ぐことができるので、ステータスを見ることはできないはずなのだが。
「……何となく?」
ああ、こいつもセラと同じ感覚派か。
『ケルにい、この人ギリギリ大丈夫そうだよー。今、仲間のエルフの人が回復魔法かけてるところ。歯とかは何本か折れちゃってるけど……』
リオンから安否の連絡が届く。
『了解。後はそのエルフに任せて戻って来い』
『はーい』
これであっちは安心かな。今度はこっちの処理だ。
「シルヴィアがこう言ってるんで、たぶん、本当に大丈夫です。ナグアにとっても良い薬になると思います。それで、私たちがご迷惑をお掛けしてしまったことについてなんですが…… ええと……」
エマの言葉が詰まる。まあ気持ちは分かる。S級冒険者のシルヴィアを筆頭とした彼女のパーティの者が何者かも分からない格下相手に喧嘩を売り、更に負けてしまったのだ。その場を目撃した証人である冒険者も多数。立場上、シルヴィアの沽券に関わる事態である。おそらくは表沙汰にしてほしくないのだが、どうすればいいのか分からず当惑しているのだろう。まあ、俺としてもこんなことを大事にしたくはない。
「そうだな…… ジェラール」
「む?」
膝上ですやすやと眠るリュカをあやすジェラールに念話を送る。エルフの里で見せたお前の口説、思い出したくはないがここで発揮してくれ。
『うむ、承知した』
ちょうど酒場に戻ってきたリオンにリュカを渡し、ジェラールが決闘場であった酒場の中央へ歩いて行く。脇に抱えるは木製のお立ち台だ。お立ち台の設置を終えたジェラールはおもむろにそこに上がりだし、咳払いをひとつした。
「皆の者、今回のセラと凶獣による見世物はどうであったかな!? 始めからやらせであったとは言え、なかなかの迫力であったろう!」
ジェラールの口上は続く。先ほどジェラールに指示したのは、決闘を完全な八百長ショーにさせることだった。隠し切れない事実があるのなら、その根本の認識を変えてしまえば良いのだ。
「な、なにぃ! あれ、演技だったのか!?」
「動きが見えないくらいの速さだったぞ。S級冒険者ってやっぱやべぇな……」
「ほ、ほらクレア、やっぱりケルヴィンの差し金だった…… だからそろそろ勘弁して……」
「あらま。アレ、宴の演目だったんだね~。完全に騙されたよ!」
そりゃ迫真の実演でしたから。しかし、クレアさんにはテーブル代を払わないといけないな。粉砕してしまったし。しかし迷惑料も含めて返すとしても、クレアさん受け取ってくれないからな…… よし、色を付けてまとめて渡してしまおう! ウルドさんの治療費も含めて!
「騙して悪かった! 侘びと言っては何だが、今日の代金は俺がまとめて払おう。明日は大事な昇格式、模擬試合もある。皆、今日はドンドン飲んで盛り上げてくれよ!」
「「「うおおおー!」」」
今日一番の盛り上がり。誰だってタダ酒は嬉しいのだ。そして飲んだだけクレアさんの懐も潤う。自然に代金も渡せる。おっし、こっちも解決!
「あ、あの、何でここまで? こんなことをしても、貴方にメリットは……」
「なら、ひとつお願いを聞いてもらえないかな?」
「―――!」
エマとコクドリが「やはり!」みたいな警戒をする。いや、別に無理難題を言うつもりはないから安心してほしいのだが。至って健全なお願いだよ。
「シルヴィア。明日の模擬試合、本気で戦ってくれ」
「本気で?」
「ああ、お願いはそれだけだよ」
「……それがどう貴方と関係するのですか?」
「それは――― ああ、悪い。うちのが帰ってきた。その辺の冒険者に聞けば分かるよ。じゃあね」
「ちょ、ちょっと!」
ジェラールに独占された決闘場からセラが戻って来た。瞳の赤みは多少薄れているが、若干涙目だ。ここからが俺にとっての一番の問題なのだ。言う事は言った。もうシルヴィア達に構っている余裕はないのだ。