第413話 神々の玉座
惑星上にある地面や空中、或いは水中、果ては星の海と呼ばれる宇宙空間――― かつてアダムスとエバが作り出した神域は、そのいずれにも属さぬ次元にあり、下界の者達はそこに到達する事ができないようになっている。逆に神域に住まう神々もそのまま下界に降りる事はできず、義体という魂の器を用いる必要があるなど、この二つの次元には絶対的な隔たりが存在していた。それが現在の『主神』、または『創造神』と呼ばれるエバが敷いた、この世の理なのである。
「……遂に、この時が来てしまいましたか」
神域の最奥、その空間には茜色の大空がどこまでも広がっており、その中心には神々しい王座がポツンと置かれていた。そして、その王座に腰掛けていたのは先の声の主に他ならない。長く美しい紫の髪を持つ少女は、両目を瞑りながら何かに想いを馳せている様子であった。彼女が白と金を基調とした神々しい衣を纏っている事もあり、その儚げかつ幻想的な光景は芸術的な絵画のようだ。
彼女の名はエバ、前述の『主神』であり『創造神』でもある、この世界を統べる神々の頂点。この世のものとは思えぬほどの美しさを有しているが、その一方でまだ幼さを残している年齢のようでもある。しかし、その実態は宇宙の始まりより存在していた神々の始祖で、年齢という概念がそもそも通じない異端者だ。
「失礼致します。『秩序の神』、お呼び出しに応じてただ今参りました」
「……右ニ同ジク、『宙ノ神』、ココニ参上シタ」
「お待たせした。『戦の神』、命に応じて馳せ参じましたぞ」
そんなエバの前に音もなく現れたのは、彼女の直属とも呼べる上位の神達であった。金の髪が光に映える小柄な美少年、不気味な仮面を被った片言の人物、恰幅の良い軍服姿の男――― 彼らの姿勢は例外なく空中に膝をつき、頭を垂れている状態だ。
「……先ほど、邪神アダムスの気配を感じ取りました。彼の邪神は既に復活を果たしています」
「「「ッ……!」」」
エバによってもたらされた驚愕の事実を前に、三柱は様々な反応を示していた。僅かにピクリと動く、思わず顔を上げる、過剰に反応して全身を震わせるなど、本当に様々だ。
「そそ、それは確かなのですかな!?」
次いで、特に大きな反応を見せていた『戦の神』が声を発した。大声だが、それまでもが震えてしまっている。
「ええ、残念な事に真実です。牢獄の中に居た何者かが、邪神の封印を解いてしまったようですね」
「か、彼の地を管理を任せていた転生神は一体何を!? 一刻も早く、管理責任を問わなければ……!」
「落ち着きなさい。それも大切な事ではありますが、その前にすべき事をまずはしませんと」
「す、すべき事、とは……?」
「無論、宿敵アダムスを討伐する事です。まもなく彼はこの領域に攻め込んで来る事でしょう。『戦の神』、貴方には防衛の第一線をお任せします」
「ワ、ワシが、ですか……!? し、しかし……」
戦果を誰よりも愛する『戦の神』にとって、大任を拝する事は非常に名誉な事であった。しかし、それはあくまでも現実的な戦場での話である。あの邪神に勝つ? そんな事は不可能だ! 勝ち筋があるとすれば、エバの支配能力しかないだろう!? ……と、暗に彼はそう言いたいのだ。遠い昔に刻まれた悪しき記憶は、今も『戦の神』にとってのトラウマなのである。
「安心してください。今のアダムスは義体にその魂を宿しています。つまり、もう神ではないのです」
「えっ? そ、それは本当ですかな? 今のアダムスの力は下界の水準にまで低下している、と……?」
「その通り。義体とは下界に要らぬ影響を与えぬよう、神々の大いなる力を封じ、枷をはめる為にあるものです。神でなくなってしまったが故に、私の絶対支配の対象からは外れてしまいましたが、そもそも義体程度の相手にこれを使う必要はありません。 ……私の真意、理解してくれたでしょうか? 私は貴方にチャンスを与えているのです。義体程度の出力しかない元邪神をその手で打ち倒す、大いなるチャンスを」
「お、おお、おおおおおぉぉぉぉ!」
感動の咆哮が轟く。腐っても上位の神であるその肺活量はとんでもなく、『戦の神』の横に並ぶ二柱、そしてエバはその瞬間にちゃっかりと耳を塞いでいた。
「……やる気になってくれたようですね。ただ、それでも不安になってしまう貴方の気持ちも分かります。相手はあのアダムス、通常の義体よりも手強くなっている事が予想されるでしょう。また彼の牢獄は他世界とは違い、能力の上限が取り払われた魔境でもある。どうしても無理だと言うのであれば、『宙の神』に代わって頂く事も―――」
「―――い、いえ、その任は是非ともこのワシにッ! 貴女様が最も信頼する、このワシにッッ! これまで誰もが正攻法で成す事ができなかった偉業を、必ずや成し遂げて見せましょうぞッッッ!」
それまでの臆病な様子が嘘のように、鼻息を荒くしそう言い切る『戦の神』。
「では、これにて失礼! クフフッ、すまんなぁお二方」
最早彼に迷いはないのだろう。『戦の神』は残る二柱に自慢気な態度を取った後、時間が惜しいとばかりにこの場を去って行った。
「……アレニ任セテ良イノカ? 負ケルノガ目ニ見エテイルゾ?」
『戦の神』が完全に去った後、それまで沈黙を保っていた『宙の神』が仮面の奥より溜息を漏らす。『秩序の神』もやれやれといった様子で、首を大きく横に振っていた。
「改めて説明する必要がありますか? 誰が行こうと、この戦いは負け戦です。ならば、不用品を使い潰すのが最も賢い判断――― っと、いけませんね。まだ防音設定にしていませんでした」
そう言って、エバがパチンと指を鳴らす。直後、広大な大空が一瞬にして消し飛び、四畳半ほどの手狭な部屋へと場所が移り変わっていた。お世辞にも整理整頓が行き届いているとは言い難いその部屋は、率直に言って、神秘的であった先の光景とは真逆の印象を受けてしまう。部屋の中心には使い古されたコタツが、荘厳であった王座も安っぽい座椅子へと早変わりである。
「―――は~い、遮断モードに移行しました~。私、素に戻りま~す。つっかれたなぁも~、偉そうな演技するのも楽じゃないって~」
「「………」」
変わり果てたのは景色だけでなく、エバ自身もそうであった。彼女が纏っていた神の衣はジャージの上に半纏という庶民的なものへと変化し、綺麗に整えられていた紫の髪も、この場所へ移動した瞬間にくしゃくしゃにされ、今はもうすっかり乱れてしまっている。元の容姿が良い為にそれでも可憐さは凄まじいが、少なくとも神々しさは欠片も感じられない状態だ。仕草や態度、口調も先の台詞の通りで――― 要するに、すっかりこの部屋の住人である。
「うは~、薄暗くて狭い部屋ってさいっこ~。あんなだだった広い空間にずっといたら、神だって頭がおかしくなるってものだよ。あ、このおミカンはあげないよ? 私の貴重な栄養源だからね! カーッ、不摂生を極めたこの体に、ビタミンが染みわたるぅ~」
「……別に要りませんよ。それよりも、これからどうするおつもりで? と言いますか、本当に負け戦だと思っているんですか?」
「ん~? そりゃあ百パー負け戦でしょ~? 義体と言っても、相手はこの私と同じ才能を持った、あのアダムスだよ? 最強の才能を持ったその上で、反吐が出るようなクソ努力を生涯貫くような狂神のアダムスだよ? 無理無理、そんな奴の相手なんて絶対無理。神でなくなった事も、むしろメリットに思ってるでしょうよ、きっと。だからさ――― 逃げよっか? あいつの手が届かないくらい遠い、新しいフロンティアへ♪」
「「……は(ハ)?」」