第405話 恐るべき不治の病
「ぶわっっぐぅじょっん!」
唐突に轟いたのは、アダムスによる大きな大きなクシャミであった。呼気ひとつで辺りの氷塊を粉砕し、そのまま彼方へと吹き飛ばし、ついでに地面をも揺らしてしまう。最早クシャミなどではなく、超大型竜の息吹のようだ。
「ばぁっぐぢぃんぐぅおおおん!」
しかし、花粉症とはクシャミひとつで終わるほど甘いものではない。二度三度とクシャミは続き、そこが花粉舞うど真ん中の場所であったとすれば、終わりの見えない無限連鎖が始まってしまう。今のアダムスは正にその最悪の状態に陥っており、力強い爆風が何度も発生する有り様だ。
(ぬうう、これは……!?)
アダムスを襲った花粉症の恐怖はそれだけに終わらない。先ほどから口から出ているクシャミの他に、目や鼻からも水分の放出が止まらないのだ。しかも異常な量、異様な速度で出続け、ものの数秒ほどで彼の足元には大きな水たまりが形成されるほどだ。それでも尚、放出は止まる兆しを見せない。アダムスが巨体である事を差し引いても、体内に宿せる一般的な水分量、その限度は疾うに超えてしまっているだろう。
(なるほど、これが噂に聞く花粉症……! 人の身には不治の病であり、相当に辛いものだと耳にしていたが、まさかこれほどとは……!)
神の座から降り、一応は一介の生物となったアダムスであるが、まさかこのタイミングで花粉症の恐怖を体験する事になるとは、夢にも思っていなかっただろう。但し、その花粉症は脱水のみで生物を死へと導く、かなり特殊なものなのだが――― ともあれ、アダムスはこの瞬間に花粉症を恐れた。それだけは紛れもない事実である。
―――パキィン!
その結果、アダムスの顔を覆っていた最後の影が砕け散り、遂にその素顔がケルヴィンの前に晒される事となる。花粉症が決め手で良いのか!? と、どこからかツッコミが入ってしまいそうだが、この戦いに観客は居ない為、その心配もないだろう。ともあれ、ともあれだ。ケルヴィンは漸く素顔のアダムスと対面する。
(ん、んん~~~、影が全部剥がれたっぽいけど…… 顔から吹き出る涙やらで、結局顔が見えねぇ……)
……が、残念な事に不運が重なってしまい、未だに見えていないようである。
(視界が確保できぬ。謦咳が止まらぬ。その反復で先の頭痛が酷くなる。更には生物の身故に干からびる。ククッ…… 恐ろしい、恐ろしいぞ花粉症! だが、だからこそ、ただの我は生を実感できる!)
最強のスライムとの対峙、最悪のコンディション――― そんな状況下になろうとも、アダムスは喜々としてこの現実を受け入れ、向き合っていた。だからなのか、ケルヴィンとクロトが放った攻撃も、この状況下で躱せてしまう。
「おいおい、心眼でも発揮させているのか!?」
「分からぬ。ただの我の肉体が、空気の流れを教えてくれるのだ。いや、教えてくれるのはそれだけではないな。これは……」
目の前が涙で溢れ、超眼力を封じられたこの状況においても、残った触手達による不規則な追撃を完全に回避してみせるアダムス。同時にクロトのスライムボディから新たな花も射出されるが、やはりそれらの射線も視えているようであった。全ては己の肉体が教えてくれる。
(そうか、この涙は震える心から来ているものなのか……! うむ、ただの我は感涙しているのだ! この身の不自由さにッ! そして、そんな我と対等に渡り合える貴様という存在、その生誕にッ!)
(何かツッコミどころ満載な考えをしている気がするけど、それで強くなってくれるなら、まあ良し!)
そんな感動シーンの合間にも、攻撃を敢行中の触手と影の手、その両方が地面(氷塊)の下より新たな動きを開始していた。と言うのも、それぞれの根本の部分をクロトにドッキングしているようなのだ。クロトは最強の矛であり、最強の盾であり――― そして、他創造物の拡張装置でもあった。これにより触手達は、最強なクロトを経由して新たな力が付与。更なる強化が施される事となる。
「フハハッ、何やらパターンが変わったな!?」
だがそれさえも、アダムスはしっかりと見抜いていた。見抜いた上で、今度は直に拳を叩き込む。
(直接攻撃、だと? 物理反射は突破できるとしても、セラの血や能力劣化は健在なんだぞ。なぜ突然そんな事を……?)
疑問に思うケルヴィンをよそに、アダムスは降りかかる火の粉を肉体言語で払い続ける。クロトから新たに『打撃無効』と『不壊』を付与された触手達は、破壊される事はないにしても、とんでもない衝撃を受ける事で吹き飛ばされてしまっている。その度にケルヴィンとクロトへと続く道が開かれ、前へ前へと全力前進。気が付けばアダムスは、もう間近にまで接近を果たしていた。
「おかしいな? 血も劣化も、全然効いている気がしない。どんな手品を使ったんだ?」
新たなる攻撃。スライムの体で形成した腕をクロトボディより無数に形成し、その上に血染の騎士王を装着、後方にボガの『火山体質』で戦闘機のアフターバーナーまでもを発現させ、それらを縦横無尽に宙を走らせる。久遠から学んだ合気など、あらゆる技を搭載したスライムの腕は、その全てがセラの拳と化していた。
「汗と涙、そういった努力の結晶が実ったのだと、そう言っておこう!」
「嘘つけ! そんな根性論でどうにかなるもんじゃ―――」
そこまで言いかけて、ケルヴィンは思い直す。アダムスは嘘をつかない。今の言葉も例外ではなく、本当の事を言っているのではないか? と。
先の通り、今のアダムスは花粉症の影響によって、常に諸々を放出している状況にある。本来それは致命的な事で、その発現のみで勝負が決まってもおかしくない、決定的なバッドステータスだ。 ……しかし。
(まさか花粉症で放出した水分、それを膜代わりに使っているのか!?)
そう、アダムスはこの悪条件を逆に利用してもいた。涙などを拳に纏わせる事で、『血染』などの影響を回避していたのだ。言うなれば、獣王祭でゴルディアーナがオーラを纏ってセラと戦った、あの時と同じ事をしているのである。
「……ク、ククッ、クハハハハハハ! とっくにミイラになっていても不思議じゃないってのに、どんだけ水分を貯蔵しているんだよ、その体!? こいつは敵に塩を送ってしまったか!?」
「愚問、ただの我が一日に摂取する酒の量を知らぬのか?」
知らんわと、反射的にそう思うケルヴィン。しかし、何となくメルの食事量を想像し、それを酒の量に変換する事で納得してしまう。ああ、それは枯れないわ、と。
「フゥン!」
そんな最中にも飛来する数多の拳に対し、アダムスは尚も変わらず己の肉体のみで対応する。技には力を、そう言わんばかりの力づくだ。合気も関節も正道も、直に受けた上で食い破っている。正に王者の進撃の如く――― いや、そんなアダムスの行動の中にも、徐々に技らしきものも見受けられるようになっていた。合気を受ければ合気らしき技で返し、関節を決められれば外し方を学び、正道をも飽くなき探求心で受けて楽しみ、その上で取り込む。今やアダムスの動きは肉体のみに頼るものではなく、理に基づいたものへと変化していた。
「何だ何だ、まだ強くなるのか!? つうか、今更スタートラインかよ、遅いっての!」
「何分、これまではこの肉体のみで食っていけていたからな! ただの我、漸く生物としての自覚が芽生えてきたところよ!」
「そうかよ、もっと早く自覚していてほしかったなぁ! でもその成長速度は何だよ溜まんねぇよ! セラの技を堂々と盗み取るつもりか!? この将来性の塊め!」
「貴様こそ、そのスライムとの攻防一体の形は感銘ものだぞ! そこに居れば花粉の影響を受けず、攻撃のみに集中する事ができる! よく考えられておるわ!」
以降の攻防の最中、二人はずっと叫びっ放しであった。好敵手と認めた実力者、そんな相手と気が合う事も判明して、よほど嬉しかったのだろうか。クロト越しに火花を散らす双方の視線は、暫く途絶えそうにない。




