第398話 修羅
水晶玉に魔力を送る。そんな簡単な行為をしたその瞬間、気化付けば俺達は別のどこかへと転送されていた。視界が光で溢れる、魔法陣が出現するなどの何かしらのギミックがある訳でもなく、ただただ瞬間的に移動を済ませてしまったようだ。ちょっと肩透かしを食らった気分。
「しかし、本当に何もない空間だな」
「はい、マリア様が用意した場所とはとても思え――― いえ、これは失言でした」
「いや、ちょうど俺も同じような事を思っていたところだよ。まあマリアの趣味趣向ってより、この空間を作った職人さんが、シンプルなものを用意してくれたんだろう」
エフィルと並んで周囲の景色を見渡す。事前のマリアの説明になったように、そこには灰色かつ平らな地面がどこまでも続いていて、その他に物体らしきものは何一つ存在していなかった。一本の雑草も見当たらないし、石ころも全く転がっていない。つま先で軽く蹴ってみた感じ、灰色の地面は限りなく滑らかな硬い何か、ってところかな。例えるとすれば、平らなコンクリート? 実際はそれ以上に頑丈なんだろうが、そんな地面が延々と続いているとのを目にすると、少しメンタルに来るものがある。
「空も雨雲がある訳じゃないのに、灰色で統一されているんだな。本当に不思議な世界だ。ただ、他に違和感はないかな」
「ええ、空気が薄いという訳ではありませんし、重力も変化がないように思えます。これであれば、いつも通りの能力を発揮できるかと」
「それは幸いな事だ」
俺達の目の前に、急にアダムスが現れる。ああ、やっぱそんな感じで転送されるのね。
「さて、無事に戦場へ赴く事ができた訳だが…… 始める前に、何か確認しておきたい事はあるか? 制限時間がある故、するのであればこれが最後の機会になるぞ?」
「またまた親切にどうも。なら、個人的なお願いを一つだけ言っておこうかな」
「個人的な願い? 貴様、流石のただの我もわざと負けるような事はできんぞ?」
「いやいや、あそこまで啖呵切っておいて、そんなせこいお願いなんてしないって。つか、普通にもったいないじゃん」
なぜに俺の楽しみを放棄せねばならんのかと。
「戦いが始まったらさ、まずは俺から狙ってほしいんだよ。エフィルに攻撃を仕掛けるのは、可能であれば俺を倒してからにしてくれ」
「ほう…… 別に構わんが、理由を聞いても?」
「一秒でも多く、嫁さんに俺の雄姿を見せたいから――― って、そんな理由じゃ駄目かな?」
「うむ、それで構わんぞ。納得しておこう」
光の如きアダムスの返答。いや、うん、ありがたいんだけどさぁ。
「……良いのか? 俺と戦っている間も、エフィルはお前に攻撃を仕掛けるぞ? かなり無茶を言っている自覚があったんだけど」
「安心せよ、十分に理解した上で納得している。貴様の希望通り、ただの我は貴様から狙わせてもらう。但し、攻撃の余波までは責任が持てん。その辺りは妥協せよ」
「いやいや、妥協も何も十分過ぎる返答を頂いて、逆に驚いているくらいだよ。そういう事で、エフィルも油断せずに気を付けてくれな」
「もちろんです」
さてさて、最後の確認作業もこれにて仕舞い。エフィルが距離を置いたのを確認し、無機質な地面を踏み締めながら、改めてアダムスと視線を交える。まあ、まだ顔は見えない訳だけど、恐らくぶつかってはいると思う。じゃないと泣いちゃう。
「貴様の真の力、ただの我に示してみせよ」
「お前の最強の力、遠慮なく俺に叩き込んでくれ」
杖を地面に突き立て、俺の中に居る皆と心を一つにする。そして口にするのは、とある決め台詞だ。
「―――権能、顕現」
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その言葉と同時に、ケルヴィンの全身が眩い黒の光で覆われた。それらは流星の如く絶えず移動を繰り返し、時に天使の輪や翼を構築したかと思えば、直ぐ様にその形を崩して剣や悪魔の尾を模したりと、非常に忙しない。
(異様な魔力だ。光のままに流動し、時に物質化する。しかし、それ以上に気になるのは…… なるほど、そうか。式場にて激励していた仲間の数、それが妙に少ないとは思っていたが――― そこに居たのか)
ケルヴィンが権能の権限を宣言して以降、アダムスはその場で腕を組み、ただただその様子を注視していた。権能の起動中、その隙を突いての攻撃はしない。権能は自分がもたらした力であり、授けたのも昨日の話。であれば、不慣れであるのは仕方のない事。また、それ自体が強者の振る舞いに値しない行為であると、そう考えたからだ。そもそもアダムスの目的はケルヴィン達に勝つ事ではなく、その力を見極める事にあった。
(若人の才が今にも花開こうとしている。成長とは何と素晴らしき事か。ケルヴィン、貴様はただの我の力に、どれほど近づいてくれる?)
この最中にも姿を消したエフィルが、どこからか自身を狙撃しようとしているのかもしれない。だが、アダムスはケルヴィンから目を離さなかった。ケルヴィンがこの戦いを楽しみにしていたように、彼もまた、今この瞬間を楽しみにしていたのだ。だからこそ、存分に堪能する。例えこの瞬間に、何が起きようとも。
「……待たせたな。攻撃してくれても良かったんだぞ?」
光の流動が止まり、その煌めきがオーラの如く周囲に浮遊する。その中より現れたのは、他でもないケルヴィン――― なのだが、何やら雰囲気がおかしい。神々しくもあり、禍々しくもあり、重々しくもあれば、純粋さも感じられる。そこには相反する要素が混濁する事なく、同時に存在していたのだ。とてもではないが、一人の人間から発せられる気配ではなかった。
「ただの我の矜持に文句を言ってくれるでない。それに攻撃を仕掛けたところで、全くの無策だった訳ではあるまい?」
「まあ、そうかもな。それじゃ、そっちの矜持に乗っかる形で、開幕くらいは正々堂々やらせてもらおうか」
「ほう、楽しみだ」
アダムスは腕を組んだまま、その構えを崩そうとしない。対するケルヴィンは、黒き輝きの一部を再び流動させ、黒杖に纏わせ始めていた。それら光が次々に物質化、直後に大剣が形成される。漆黒の刃に脈打つ血を張り巡らせた、何とも不気味な得物である。しかし、アダムスはその剣に見覚えがあった。
「フッ、迂闊に触れられんな」
「おいおい、開幕前にネタバレかよ」
そんなやり取りを最後に、二人の姿が音もなくその場より消え去る。次に二人が現れたのは、遥か上空、灰の空の中であった。双方が剣と拳を放つ度、切り裂くような衝撃破が周囲に撒き散らされる。が、剣の刃と拳の先は、直接交わってはいないようだ。あまりにも強い剣圧と拳圧が衝突してしまい、両者が接触する前に弾かれてしてまっている。
「フハハッ、やはりそうか! 貴様、権能を経て仲間の力をその身に宿したのだな? しかも単純な足した引いたの話ではなく、乗算による力の上昇と見た!」
「大した洞察力だな、好い線いってる。けど、乗算? 馬鹿を言ってくれるなよ。んな単純な計算で測れるほど、この力は浅くないぞ」
激突する最中にも光は次なる創造を行い、何もなかった宙に巨大な竜を生み出していく。その竜の見た目は一見ボガのようであるが、口や火口からは猛毒の霧らしきものを放出させており、全くの別物である事が伺えた。
「俺の権能は契約した者達の力を戦いにのみ集約し、素晴らしき戦いを望むほどに、強い相手と戦うほどにその強度を高める『修羅』。だから、アダムスも魅せてくれよ。かつて主神とやらと渡り合った、その偉大なる力をッ!」