第390話 フィナーレに続く道
1000話記念。
マリアの体を巡っていた光が変形し、口のような形になったそれは、形だけでなく機能としても正しく口であった。それぞれが別々に喋る事ができるし、歌う事だってできる。であれば、その歌に乗せて魔法を唱える事だって可能だろう。駆動した十の口は各々が全く異なる歌を奏で、その歌声別に死を体現し始めた。
「「「「「「「「「「―――♪」」」」」」」」」」
水中に放たれたのは、紛うことなき天変地異であった。戦場の大半を巻き込む、いや、それ以上に巨大かつ強靭な竜巻が、水中にもかかわらず天と地を繋ぎ、それと同レベルの天災が四方八方で巻き起こっている。更にはケルヴィンにされた事をそのまま仕返しするように、鯨をも圧死させるであろう重力の網が場を覆い尽くし、その場に立つ事を許そうとしない。また『水絶除泡際々』の一部効果を無視させるが如く、一同は呼吸も禁止させられた状態に陥っていた。更に、頭上からは嵐による剣の豪雨が――― その他にも多数の異常現象が発生し、それらは一様にこのフィールドの空間全てに及んでいる。この世の終わりを体現した光景が、マリアの歌声によって一瞬にして形成されてしまったのだ。
(ま、ずっ……!)
これまでケルヴィン達は状況的優位性を常に構築する事で、マリアからの攻撃を何とか躱し続けて来た。しかし、それは決して簡単な事ではなく、綿密な計画と状況判断、仲間達との連携――― その他諸々の要素をかみ合わせ、危ういバランスの上で成り立たせていたものだった。冷静に考えてみれば、ステータスの桁からして違うマリアの攻撃なんてものは、一発食らうだけでもアウトなのである。ここまで全員がほぼ無傷で済んでいたのは、奇跡的と言っても過言ではないだろう。
そして、ここに来て遂に均衡が破れてしまう。防御のしようのない即死級の魔法が同時に十種も解き放たれては、如何にこの世界における上位者のケルヴィン達でも、それを躱し切る事なんて不可能なのだ。ましてや、そこに居るだけで圧死してしまいそうな風圧に晒され、呼吸すら封じられてしまっている。それまでの不利を全てを返された今の状況は、一秒も耐える事のできない地獄に違いなかった。
(召喚、解除……!)
ケルヴィンとアンジェ以外の面々には死亡回避の秘術が施されていない。それはつまり、この地獄に触れる事は死を意味する。元々危機的状況に陥った際、召喚を解除して配下を魔力体に戻すつもりだったケルヴィンは、躊躇なくそれを実行。魔力を使い果たしたメルや竜王ズはもちろんの事、確実な回避方法を持たないセラとジェラールも、これにより戦線から撤退する事になる。
『―――ッ!』
『悪いな。けど、ここらが潮時だ』
融合が解かれたセラから念話による文句が飛んで来るが、今のケルヴィンにそれを聞き入れる余裕はない。『遮断不可』を持つアンジェ、一緒に居る事でその力の恩恵を受けているアレックスは、息が続く限り被害を被る事はないだろう。だが、一方のケルヴィンはこの地獄を自力で打破しなくてはならなかった。
(さあ、最強に挑もうか)
フードを深々と被り、口端を吊り上げるケルヴィン。戦闘を開始して仲間の召喚を行った時点から、既にハードを『智慧形態』に変えて纏ってはいる。『不壊』がある限りハードが破壊される心配はないに等しいが、それも絶対ではないし、『不壊』では呼吸禁じと絶対的な風圧に対抗できない。だからこそ、不足分は自力で補う必要があった。
「あれれ? 知らない間に随分と寂しい舞台になっちゃったね? ケルヴィン君は逃げなくて良いの? 妾、やられたらやり返すタイプだから、結構キツく当たっちゃうよ?」
(何だ、この場に及んでくっちゃべてくれるのか? 随分とお優しいんだな?)
「あっはは、声が出せなくても挑発的♪」
次の瞬間、ケルヴィンの眼前にはマリアの拳が迫っていた。その小さな拳を目にした途端、圧倒的なまでの死の予感が全身を蝕む。が、そんな些事にいちいち構っている暇も余裕も、挑戦者であるケルヴィンにはない。飛び出そうになる感情を殺し、『並列思考』を全力稼働。これまでに培った全てを総動員させる。
殺意の塊と化した風の重圧は、重風圧・Ⅸを逆向きに使用する事で対抗。それでも純粋なパワーで随分と押し負けているが、動ける状態にまでは復帰する事ができた。
水絶除泡際々が呼吸以外においては正常に稼働し続けている為、封じられたのは呼吸行為のみ。恐らくはそういった効力の魔法を、あの十の災厄の中に織り交ぜたのだろうと推測。緑魔法で強制的に体内の空気の流れを循環させ、疑似的な呼吸行動を再現。これにより、何とか酸素切れの不安も解消できた。
残る課題はその身に迫る脅威から、如何にして逃れるか。ケルヴィンはフードを被った額部分が当たるように角度を変え、敢えてマリアの拳を正面から受ける事にした。元より『魔力超過』込みの『風神脚』は搭載済み。本当にギリギリのところで、この防御行動に間に合う。
―――バアアァァァン!
水中であるにもかかわらず、金属が破裂したかのような強烈な音が、ケルヴィンの頭の中を駆け巡る。『不壊』の力、そして衝突の寸前に展開した頭部限定版の『粘風反護壁』のお陰で、ケルヴィンの頭が粉砕されるような事態には至らなかった。が、それでも衝撃だけは殺し切れず、ケルヴィンは後方へ大きく吹き飛び、額からは大量の血が噴き出る事に。
「凄いね、この状況でまだ動けるんだ? 同じ風の使い手だから?」
「ッ……!」
額の傷を治療している暇はなかった。吹き飛ばされたケルヴィンの頭上に、拳を構えるマリアが既に移動を終えていたのだ。一難去ってまた一難、再びケルヴィンに死が迫る。
「ギリギリだけど、うまーく対応できている、ねッ!」
ケルヴィンが大きく仰け反った体勢であった為なのか、狙われたのは左胸の心臓部であった。心臓をもぎ取るかのように、貫き手のような形でマリアの拳が放たれる――― が、そこはハードの守備範囲内。マリアの攻撃が貫通する事はなく、強烈な衝撃に襲われ真下に吹き飛ぶだけで、何とか死なずに済むケルヴィン。但しその直後、マリアが魔法で発生させた水流の竜巻の中に、まともに叩き込まれてしまう。
「へ~、絶対に壊れないって能力、本当にあるもんなんだ? まあ、だからって中身が無事とは限らない訳だけど」
突き落したケルヴィンを目で追うも、その姿は竜巻の中へと消えてしまっていた。マリアが生み出した彼の魔法は、見た目以上にその威力が凶悪となっている。具体的に言えば、ケルヴィン程度のステータスの者であれば、巻き込まれた瞬間に四肢が千切れ、仕舞いには真っ赤なペーストになってしまうほどだ。しかし、目を細め竜巻を見詰めるマリアは、その結末を否定しているようだった。
「姿は見えないけど、まだ五体満足な状態かな? 即死防止用の何とかが発動している様子もないし…… でも、次こそはフィナーレ♪」
指先を竜巻に向け、そこに莫大な魔力を集め始めるマリア。ラストは確実に、それでいて最も派手に。そんな彼女の意図が現実のものとして、今にも再現されようとしている。
『攻撃の瞬間こそが!』
『ウウォォン!(最大の隙!)』
マリアの死角よりアンジェとアレックスが現れたのは、フィナーレとなる魔法が放たれる寸前の瞬間であった。
「流石に不意打ちは見飽きたよ」
同時に、この時マリアが有する十の光は、その形を口ではなく目のそれへと変え、アンジェ達を凝視していた。