92話 やはり人間って面倒なゲテモノだ
「私らの家系は底辺騎士ながらも代々この狼煙台を守ってきたですじゃ。今までは軍事的には何の役にも立たない、ただケテル帝国より来る行商人たちの道案内くらいしか意味のなかったこの狼煙台を、ずぅっと守ってきたですじゃ。それを守れそうになくなったら投げ出すなどもっての他ですじゃ。先代たちに顔向けできませぬじゃ」
「でも無意味なことをして死ぬよりかは意味のあることをして死んだほうがよくありませんか」
「無意味でも意味があったても、死は死でしかありませぬじゃ。それに無意味かと言えばそうでもないですじゃ。エライムにはいつ来るかもしれぬ敵の気配におびえる者たちであふれておりますじゃ。しかし私らが狼煙をあげればたちまち敵が今、どの位置にいて、どれくらいで砦へたどり着くのかわかりますじゃ」
「でも僕でもそれを知覚することができますし。今だって進撃している魔族の軍勢の位置はわかってます。ここから南へ一日いったところをゆっくり北上してますよ」
「かっはっはっ! そんなすごいことがおできになりようとはっ! しかし、もしそうだとして、貴殿が何を言われても、いくら姫さまが連れてきたとはいえ見ず知らずの人間は誰も信じませぬじゃ。そして一方、こう見えても長年、私らは砦の衆に信用だけは振りまいておりましたじゃ。だてに騎士の位にしがみ付いていただけのことはありませぬじゃ。偵察兵は信用が第一ですじゃ。私らが狼煙をあげれば一発で砦の衆を安心させてみせましょうですじゃ」
「なんならこういうのはどうです? 僕がここに残って、狼煙をあげる。あんたたちは逃げる」
「かっはっはっ! 素人が良い狼煙を上げるなんてできるわけもないですじゃっ! その点、私らは狼煙上げの鍛錬だけは怠りませなんだですじゃ。貴殿はエライムにて私らの最初で最後の大仕事、立派な狼煙をご覧になればよろしいですじゃ」
「まあ、そこまで言うなら。僕はもう行きますけど。あんたたち、死にますよ?」
「覚悟の上ですじゃ。私も、そして孫も。そのためにここにいるのですじゃ」
「それならいいんですけどね。僕にはやることがあるのでこれで失礼します」
アルデバランの頭をエバル山脈の方へ向ける。
老兵は剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がってお辞儀した。
「それでは御達者で。姫殿下さまにもよろしくお伝えくださいですじゃ。姫殿下さまも、私らを連れて行こうとなさったですじゃ。私らの説得のために、貴重な時間のうち一刻や二刻ほども無駄に費やされたですじゃ。そのことに、もう一度、感謝しておいてくださいですじゃ。あと、連れて行くなら自害すると脅してしまったことも、謝っておいてくださると嬉しいですじゃ」
「嫌です。ありがとうとごめんなさいは、面と向かって言ったほうがいい。だから言いたいなら、あんたが言え。僕は知らない」
「かっはっはっ! それは骨が折れますじゃっ! まあ、善処してみますじゃ。そんなことよりも、イズレール殿。姫殿下さまのことをお頼み申しますじゃ。姫殿下さまはどういうわけか、貴殿のような信用に値せぬ化け物をいたく信じておられるようですじゃ。姫殿下さまのその藁をもすがる信用に恥じぬよう、お頼み申しますじゃ」
「あっはっは! ユーリよりかはあんた、見る目があるよ」
「かっはっは! だてに長生きはしておりませぬじゃ」
馬上で老兵にお辞儀してアルデバランの腹を蹴る。
アルデバランは徐々に駆けはじめる。
『ばっかだなぁ~。人間ってどうしてあんなに面倒臭い人が多いんですかねぇ~。私たちにはさっぱりですよぉ~、ねぇマスターぁ? あれ? マスター聞いてますかぁ~? おーぅい』
振り返らなくてもわかった。
背後では来た時と同じように、二人の兵士が大きく手を振っていた。




