89話 彼の根源、憎悪の記憶、そこからすべてが狂い始めた
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「本当にいいの? もう後には戻れないよ?」
今や自分の意思で動かせる数少ない器官である左の眼球を動かして、白い天井から視線を移す。
そこには白衣の色で金髪がよく栄えた彼女が座っていた。
彼女の顔は優しそうに微笑んではいるが、僕にとっては一匹の悪魔にしか視えない。
「この質問が私の最後の良心だと思ってくれよ。ここから先に進めば、もう戻せはしない。それ、ちゃんとわかってる? 私はキミを使って、いいんだね?」
願いを叶えて上げる。
その代わり、お前のゼンブをよこせ。
彼女はそう言っているのだ。
対して僕の応えはただ一つ。
そんなものくれてやる。
だからさっさと願いを叶えろ。
金髪の悪魔はその笑顔を少しだけ哀しそうにゆがませた。
「そう。わかった。キミがそこまで言うのなら、私はそうしよう。プロジェクトは予定通りに進めるよ。だから、ここから感情論は一切なしのお話でいく。いいね?」
眼球で頷く。
「んじゃ、次の議題だ。本当にこの姿でいいのかい? 外面なんて整形でどうにでもなるのに。キミの遺伝的な目つきの悪さだけならまだいい。でも火傷跡まで再現するなんて。これじゃあまるで、シチリア海のマフィアじゃないか。なんなら私好みのもう少しキュートな顔に……いや、ごめんごめん。そんなに睨むなよ。冗談じゃないか。私はね。ただもう少し人畜無害な顔のほうが、この先のお仕事が楽になると思っただけだよ。それで? このままで、いいのかい?」
眼球で頷く。
「そうか。まあ、いいや。苦労するのはキミだろうしね。じゃあ、始めようか。一緒に。キミの家族を尽く殺した、戦争のない世界造りを――」
家族を殺されたのはあんたもだろう。
そういう目を投げかけると、彼女はバツの悪そうに頬をかいて肩をすくめた。




