72話 いしころぼうし一つください
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ア号で半日ほど駆けた辺り。
魔族の軍勢の気配が濃くなってきた。
ちょっとした小高い丘の上から遠くを見やる。
すると視野限界の向こうに、蠢く黒の絨毯が大地を覆っているのを感じた。
気配の数をざっと見積もって、二十万はくだらないだろう。
しかし、雑魚はいくら群れても雑魚。
問題なのは、その軍勢の中で一際大きな気配。
軍勢の最も後方に控えた場所で異彩を放ってるやつだ。
間違いなく、猿山の大将首だ。
「うおっ」
ぶひひん。
アルデバランが突然、いななく。
前足を上げて、地面を踏み鳴らして暴れる。
「よしよし。どーどー」
僕はア号の首を叩いてゆるりとあやした。
『突然どうしたんですかぁ~、マスターぁ?』
後ろの方で転がってる剣が声音に疑問符を含ませている。
「お前は気づかないわけか。まあ、無機物だからなあ」
『えっ、なになになんですかぁ~? 私だけ仲間外れはいやですよぉ~……ふぇぇん』
「感づかれた。こっちが気配を探っているということを。この距離で」
『え、ええっ!? まじですかぁ~っ?』
「しかもそれだけじゃない。こっちまで殺気を飛ばしてきやがった。普通の人間ならお漏らししちゃうレベルの圧力で。っていうか、僕ですら久しぶりに鳥肌立ったぞ」
『へ? マスターってば鳥肉の食べすぎでチキンになっちゃったんですかぁ~?』
「……お前それ、どっちの意味で言ってるわけ」
『さあ、どっちでしょうねぇ~。ひゅーひゅひゅー』
こいつう。
ぴきぴきと自分の額に這い出てきた青筋を口腔で噛み砕く。
呑気そうなゴミは放っておいて、進むか退くか考えよう。
敵の数はだいたい掴めた。
ここで退くか。
いや、でもなあ。
これだけ多いとなると数を知ったところで何ができるという話だ。
せめて装備とか、編成とか、兵器とか、実りのある情報がほしいところではある。
もうすぐ日も沈むし隠密にはちょうどいいことも考慮に入れて。
だったらここはゴーだ。
進退はすぐに決まった。
アルデバランから降りて剣を腰に回収する。
「お前はこの辺で待っててくれる? もし明日の朝になっても僕が帰らなければ、お前だけでユーリのところへ帰ってほしいんだけど」
僕の頼みを了承したというふうにア号は鼻を鳴らしてその辺の茂みの影に隠れる。
「さて、と」
気配を探るために出していたこちらの殺気を徐々に引っ込める。
まるで、だんだん遠ざかっていくような感じで殺気を薄めていく。
それにともなって拮抗させていたものが無くなっていくので、あちらの殺気が僕の心臓を存分に抉ってきた。
けれども、それをうっちゃってしばらくの間、無抵抗でやり過ごす。
まるで川を流れる葉っぱのように受け流す。
平常心、平常心。
僕はその辺に転がってる、ただの石ころだ。
数分後。
完全に自分の気配を殺す。
すると、あちらさんの殺気が退いていった。
どうやら逃げたと思わせることに成功したようだ。
つまらなそうな感じで強大な殺気は四散する。
「よし、と」
ここからは気配察知のための殺気は出せない。
それに魔族との戦闘も殺気が漏れてしまうので避けなければならない。
五感だけを頼りにして、気づかれないように進む。
面倒だけれど、仕方がない。
首尾よくいけば大将の寝首を刈るのもやぶさかではないしね。




