193話
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「――――失ったものは大きい。しかし、そのおかげで私たちは勝つことができました。まだ生きることを、私たちは許されたのです。だからこれからは、失ったものたちに恥じぬよう、私たちは生きねばなりません」
ユーリティシアスはセフィラ・ティファレト城の大広間に設けられた壇上で静かに目を閉じる。
その周りには、生き残ったマルクトの騎士たち、さらに非難していたマルクトの民が嗚咽を噛みしめていた。
そんな光景をユーリティシアスの後ろで眺めていたヒルデシアの心には、本人にもわからない何か大きな穴が空いている。
そのせいで彼女の瞳には、深い影が堕ちていた。
あいつはいったい、こんな時に何をやっているんだ。
ヒルデシアは唇を固く結ぶ。
帰ってこいと、あれだけ言ったのに……あのばか。
彼女は目から出てきそうになったものを拭った。
猛攻していた魔族たちが突然に戦うことを止め。
それから遠くのある一点へと目を向けながら一斉に咆哮し、そして消えて。
戦いが終わったことに気づいた彼女はすぐに王家の戦馬で駆けて行った。
しかし、その先にあったものは、荒野に咲いた一輪の小さな蒼い花と、その隣に突き刺さっていた旗槍の獅子が小さく揺れていただけだった。
それから“彼”の姿を見たものはいない。
「今日この日、私は皆に言わなければならないことがあります」
勝利を刻んだ戦いがあけてすでに五日が過ぎようとしていた。
一時間ほど前から続いていたユーリティシアスの演説は終盤に入りかけている。
「私は、思い知りました。自分はまだ未熟であると。確かに、敵は強大でした。でも、もっと他に手はあったのではないかと、私は……いいえ、だめね。言い訳はしないわ。だから、はっきりと言う。この国の、マルクトの最期の指導者として私は言うわ。皆が愛したこの国は、今日この日この時点をもって、滅びの刻を迎えました」
確かに魔族の軍勢を多大な犠牲を払って撃退することに成功した。
しかし早馬の偵察から、すでにマルクトの王都に別の四天王を祖とする魔族の軍勢たちが集結し始めているという報を受けたのは耳に新しい。
もはや王国の再建は現時点では不可能だった。
それにユーリティシアスは、援軍の代償としてケテル帝国の王の側室となることになっており、彼女もまた、マルクトの難民の保護と最低限の生活の保障と引き換えにそれを受諾していた。
事実上、マルクトは領土を魔族に奪われ、王家の血筋はケテルへ吸収されてしまう形となったのである。
ヒルデシアは拳を握りしめた。
爪が手のひらに食いこむが、彼女はその痛みを感じなかった。
「でも、謝らないわ。私はあなたたちに、謝らない。そのかわり、一つだけ誓う。私は、いつか必ず、再びこの地に獅子の旗を立てるわ。だから、皆、それまで苦労をかけるだろうけれど、少しだけ待ってちょうだい。少しだけ、雌伏していてください。必ず私は、王に相応しい器を携えて、ここにまた、帰ってくるから。私の大好きだったこの国を、また建てるから、だから――――」
壇上で頭を下げたユーリティシアス。
ヒルデは彼女の両目から大粒の涙が流れているのを認めた。
そんな王に、彼女の臣たちは手を叩き始める。
護衛と監視の任で付いていたケテルの兵士たちも、手を叩いている。
こうして、その日。
盛大な拍手とともに、マルクト王国は滅亡した。
しかし、そこにはやっぱり、“彼”の姿はなかった。




