178話 またせたな(よく見ると回文じゃない)
ヒルデシアは自分の耳を疑った。
その声は確かに自分がよく知る主人のものだ。
彼女はユーリティシアスを見た。
ユーリティシアスの双眸はウォーギガントをまっすぐ見ている。
すでに自壊装置の引き金から両手を離している。
「やっぱり、やめるわ。だって――――」
ウォーギガントは目の前の標的が何かをしゃべっても意に返さず、振り上げた拳を落とそうとしてた。
そんな敵の姿を、ユーリティシアスはじっと見て言う。
「私を殺すのはお前ではないもの」
その声は、戦場を支配した。
人間を殺しまくっていた魔族たちの手がぴたりと止まる。
ヒルデシアはぞくりとしたものが背筋をかけるのを感じた。
そして、当のウォーギガントは一歩後ずさってさえいる。
一方、逆にユーリティシアスは一歩前に踏み出しながら再び言った。
「私を殺すのはお前ではない」
その声に威圧されたかのように、ウォーギガントがたじろいで周囲を見回している。
ヒルデシアにはいったい何が起こっているのかわからない。
それでも彼女は長年付き慕っていた自分の主が怪物のようなよくわからないものの片鱗を見せていることだけはわかる。
グアアアアアアアアア――――――ッ。
殺す側であるはずのウォーギガントが、まるで自分を鼓舞しているかのように叫ぶ。
すると、ハッと気でも抜けたかのようにユーリティシアスはへなへなと腰を落とした。
ウォーギガントを見上げて失禁し、放心しているその姿にはすでに覇気はない。
ただの人間に戻ってしまったユーリティシアスを見下ろしたウォーギガントは首を傾げるも再び拳を振り上げる。
「ひ、ひめ、さま――――ッ!」
同様にして再び人間を殺し始める魔族たちに斬りかかられて防御していたヒルデシアは、ウォーギガントの拳がユーリティシアスへ落とされるのを垣間見た。
そして、その拳がユーリティシアスに触れる寸前で止まったのも確認した。
ウォーギガントの頭蓋を、一本の長槍が貫通していたからだ。
「な、何が……」
ヒルデシアは長槍の飛んできた方向へ目を向ける。
すると大広間奥にある黒い扉が――――。
爆発にも似た音をたてながら開け放たれている最中だった。
そこから大広間に入ってきたのは鈍く光を放つ赤銅たち。
彼らの先頭に立っていた大男ヨナタン・リューティカイネンは厳めしい顔をぴくりともせず、ぶっきらぼうに言った。
「少し、早すぎましたかな?」
座り込んだまま振り返っていたユーリティシアスは小さく微笑む。
「ええ、べつに待ちわびたりはしていませんでした」
「それでは我らも、ともに死に往くことをお許し下さりまするか」
「もちろん」
そんな短いやりとりの後、ヨナタンは腰に吊った剣を引き抜く。
それに合わせて、赤銅色の戦士たちは一斉に剣を引き抜いた。
「全軍突撃、いざもののふども武功をあげよ――――ッ!」
オオオオオオオオオオオオオオオオゥ――――ッ。
いつぶりか人間の鬨声が上がる。
そうして彼らは魔族たちの群れへ飛び込んでいった。




