164話
ちゃっかり激突寸前で跳んでいた僕は、頭を地に伏せるドラゴンの鼻の前に着地。
転がって受け身をとってから立ち上がる。
すると目の前には仰天して目をひん剥くヒルデが立っていた。
彼女の後ろには何人もの騎士たちがこっちを向いて固まっている。
簡易の軍議でも開いていたのか。
「やあ、ただいま」
ヒルデが持っていた各隊の配置を示した砦の見取り図が彼女の手からすり抜けて舞い上がっていった。
っていうか、今はそんなことどうでもいいのだ。
やけに背後が静かだ。
死んだのかな。
そう思っていると、たちまち背後で猛々しい咆哮が震えた。
ドラゴンの方を振り返ってみる。
地に伏せていた巨体をすぐさま両の足で支えはじめ、口から黒煙を咳してむせていた。
「やればできるじゃないか」
肩をすくめる僕にドラゴンは火を噴く。
どんなもんだ、と言わんばかりにドヤ顔をするその巨大な爬虫類的存在が可愛く見えてしまった。
とうとう耄碌してきたのかと目を擦っていると頭を叩かれる。
何をするんだ、と振り返ってみるとヒルデに胸ぐらを掴まれた。
「痛いじゃないか」
「き、ききき、きさまがなぜグリムリュートに乗っているっ!? いや、乗っていたっ!? というかなぜ落ちてきたのだっ!? というかグリムリュートの翼が折れているではないかぁっ!?」
グリムリュートというのはドラゴンの名前だろうか。
飛んできたヒルデの唾にげんなりしつつ僕は彼女の両肩をぽんぽん叩いた。
「まあまあ、ウォードラグーンはぶち殺したんだしいいじゃないか。細かいことは」
「こまかくないっ! あれは私の父のドラゴンだぞっ! そしてこの国に仕える唯一のドラゴンなのだぞっ!」
「ふうん。そういえばお父さんはこのドラゴンの竜騎士だっけか」
「お、お義父さんだと? 私がいつお前の妻になったのだっ! このば、ばかっ!」
「……いやだから、きみのお父さんだろ。なに怒ってんのさ。なに過剰に反応してんの」
ヒルデは顔を真っ赤にして僕を突っぱね、自分の頭をぽかぽか叩いた。
それから気持ちを入れ替えるようにパシンと両頬を叩いてから僕に目を向ける。
「第三層の門がすでに危うくなっている。突破されればいよいよ、落日は近いだろう」
ゆっくりと息を吸い込み、真剣な顔で彼女は僕に告げる。
ヒルデの目はもちろん、この場にいる全員の兵士たちの目は、何かを覚悟したようなものだった。
ふうん、と僕は適当に相槌を打ってから続ける。
「ユーリは? 城の中だろ? 何してる?」
「祈りを捧げておられる」
「勝利を女神さま頼みねえ。それは負ける側がやることだぜ」
「違う。姫さまは、」
ヒルデはここで言葉を切ると、僕の方に近づいてきて耳元で囁いてきた。
「姫さまは昼食前の祈りを捧げておられるのだ」
そう言って離れたヒルデの口元は珍しく緩んで、静かな笑みを浮かべていた。
死地は他人を変えるというけれど、ヒルデは別に冗談を言っているわけではなさそうだ。
僕はお腹を抱えて久しぶりに笑った。
良い気分だ。
本当に、良い気味だ。
僕が地面に転がり始めた段階になってヒルデがむっとした表情に戻る。
「笑いすぎだ」
「いやいや、これで笑わなかったらそいつは人間じゃないね」
ヒーヒー言いながら立ち上がった僕はヒルデと視線を交わす。
それから彼女がぷいと視線を逸らすまで見つめ合った僕は手を叩いた。
「よし、いいよ。いい頃合いだ。“最後の手段”を使おう」
僕の言に、兵士たちは頭上に疑問符を浮かべる。
しかし、その作戦内容を知っているヒルデの咽喉は小さく鳴った。




