117話 それが長い別れになるとは思いもしなかった
って、あれ。
彼女の両の目から大粒の涙が次々と溢れ出している。
そんな泣くほど暗閉所恐怖症が彼女を苦しめているのだろうか。
どうすればいいのか困った。
おろおろしていると、彼女は口を開ける。
「……………」
最初の内は何かを言おうとしているようだが、口から洩れてくるのは空気だけだった。
「ぢ……っ……で…」
けれどもだんだんそれは音の体をようしてくる。
「ぢ……な……いで」
だんだんそれは意味を持った言葉になってきて、そして――。
「ぢなないでっ」
初めて僕はアンミの言葉を耳にした。
それは長らく使われていなかった声帯が必死に出した、かすれてガラガラの声だった。
けれどもそれはちゃんと僕の鼓膜に届いていた。
言わんとすることが伝わったということがわかったのか、アンミは声を大にして泣き叫ぶ。
僕は大きく息を吐いた。
「大丈夫だよ。僕は強いしね。死ぬつもりなんて毛頭ない。約束だ」
アンミが小指を出してきたので指切りげんまんする。
「っていうか、むしろきみの方が心配だよ。これからできる限り生きて、そしてたくさんの人間を泣かせるんじゃなくて、たくさんの人間を笑顔にできるような人間になってほしい。僕にはできなかったからね。だから僕の代わりに。頼むよ。はい、指切った」
返事を待たずに約束を取り付けた僕はアンミを抱き上げた。
そのままドワーフの坑道へと続く黒い扉の前まで歩いていく。
どういうわけか、城の広間にたくさんいた兵士たちは、何も言わなくても道を空けてくれた。
なのでスムーズに黒い扉の前に着く。
彼女を向こう側に下ろし、そして最後に一回だけ頭を撫でておいて、扉を閉めてもらうよう頼む。
「いいの?」
ユーリが聞いてきた。
僕はそれに頷く。
「いいんだよ。何も永遠の別れでもないし。生きてればまた会える。アンミもそれでいいよな」
アンミは泣きながら、それでも深く頷く。
それを見ていたユーリは、兵士に命じて扉を閉めさせた。
両開きのその扉がぴたりと閉じる間際のこと。
アンミは涙を拭って、僕と出会ってから初めての笑顔を魅せてくれたのだった。
「可愛い」
「あら、イズィってばそういう性癖があったなんて知らなかったわよ?」
僕の漏れ出た本音に黒い扉にゴツイ鍵をかけ始めるユーリが笑う。
「いやでも、あの可愛さは反則だぜ。たぶん笑っただけでお金とれそうだった」
「だったらちゃんと、心の底から笑わせてあげなさい」
「まあ、そうだなあ。今度出会ったときは脇でもくすぐってみるかな」
「……つっこまないわよ?」
何を突っ込むのか知らないが、黒い扉に厳重な鍵をかけ終えたユーリはくるりと身体の向きを変えて、城の広間を見回した。
そこには出陣前のたくさんの兵士たちがこちらに視線を投げている。
ユーリは胸を張って声を上げる。
「これから貴方たちに唯一の命令を発する。守りなさい。この扉を。例え命を落とそうとも守りなさい」
オオオオォ――――。
利き手を高く振り上げた男たちの声が空気を震わせた。
果たして、この士気がいつまで持つのか。
それを冷静に考えていた僕も、空気を読んで万歳した。




