はしわたし
これがドッキリとかでなければ僕が異世界に来てからそろそろ半年になる。
東京タワーくらいありそうな大樹の半ばをくり抜いて作られたこの村にも随分慣れた。
言葉は通じないが、森で倒れていた見ず知らずの僕を迎え入れてくれた村の人たちの好意はとてもありがたかった。
たまに床が抜けて数百メートル下方に遠く地面がみえる様には未だに肝が潰れるが。
「あ……」
からんと乾いた音と共に小さな声が対面の席から聞こえてくる。
僕は食事から顔を上げて発言者をこっそり見遣った。
見た目は10歳かそこらと思しき小柄な少女が箸の先から零れた豆を恨めしそうな顔で見ている。
悪いとは思うのだが、若干の憐みと微笑ましさを感じてしまうのは仕方のないことだろう。
少女の銀髪から覗くちょっと尖った耳とほっそりとした肩が羞恥からかぷるぷると震えている。
「××××……」
漏れ出た言葉は半年経った今でもなじみのない異世界の言語だが、それが「畜生!!」とかそういう類の言葉であることは察しがついた。
ちょっと涙目になっていることを加味すると「ちくせう……」といったところだろうか。
……うん、今日もいい日だ。
っと、ひとりで満足していても仕方がない。
僕は席を立って不確定名:エルフ、ご家族からはサーリャと呼ばれている少女に覆いかぶさるようにして小さな手をとった。少女の手は箸をがっしり掴んでいるせいか白い肌が余計に白くなっている。
サーリャの小さな背はぴくりと震えはしたものの、拒みはせずに箸と手をこちらに預けてくれた。
「力が入り過ぎだよ。箸はこっち側だけを軽く動かせばいいんだ」
「×××」
無言で指導するのも味気ないので声に出しながらサーリャの箸の持ち方を直して、無駄に入った力を抜いていく。
嫌がられていないのはせめてもの救いだろう。
「箸は指の延長だと思って。指で豆掴むのにそんな力入れないんじゃない?」
指先から箸までをとんとんとついてなんとか意志を疎通する。
サーリャは小さく唸りながらも素直にこちらの指導に従ってくれる。頷く度に銀髪がさらさらと揺れる。
こういうとき言葉が通じないというのは不便だと思う。
なくなってわかる大切さ、とは言い過ぎだろうか。
いつかはこっちの世界の言葉をちゃんと覚えて会話できるようになりたい。
サーリャの声は綺麗なのだ。声変わり前の少し高い透き通った声。
洋楽を聞いていた時のように言葉が分からなくても美しい声であることはわかる。
会話できるようになる日が楽しみだ。
一通りの指導をして僕は元の席に戻った。
「××、×××……」
サーリャは先程とは異なり、箸先で掬いあげるようにして皿から豆を持ち上げようとしている。
工夫しようとする向上心は汲んであげるべきではないだろうか。
震える箸先からは今にも豆が転がり落ちそうだが。
ここの人達は基本、金属を用いていない。少なくとも僕が見れる範囲内では。
彼らは食事においては手掴みか、木製の先割れスプーンに似たカトラリーを使う。ナイフやフォークはみたことがない。
たまにざく切りのレタスっぽい葉野菜が食事にでてくることがあるので、包丁的な何かはあるらしい。
だが、世界間レベルで他所者である身としては余計ないさかいを起こしたくないので調理場には近づいていない。石包丁とか使っているのだろうか。気になる所ではある。
閑話休題。そんな彼らの一部に流行らせたのが『箸』である。
清潔でまっすぐな枝を適当に削って加工しただけなのでチートでもなんでもないが、彼らにとっては衝撃的だったらしい。
特に染物などの手が汚れる仕事をしている人たちが葉野菜とかのスプーンでは食べにくい料理相手に重宝しているようだ。
ただ、この森中樹上の村においてエルフっぽい人達の主食は大豆っぽい豆を乾燥させたものである。
つるつるとした表面を持ち、とてもよく転がるこの豆をみているとこの村に箸文化が生まれなかった理由が良く分かる。
それでも、大抵の人は数回練習すれば箸をそこそこ使いこなせるようになるのだが、時たま不器用に転がしてしまう人も一定数いる。
たとえば今、目の前で皿の上を転がる豆を涙目で見つめているエルフっ娘とかだ。
どうしたらこうなるのか知らないが、箸から転げ落ちた豆がルーレットの玉のように皿の中を勢いよく転げまわっている。
諦めてスプーン使えばいいと思うのだけれど、サーリャは頑なに箸の使用に拘っている。
あるいは、箸エルフの第一人者としての矜持があるのかもしれない。
僕のつたないボディランゲージに応じて村に箸を紹介してくれたのはサーリャなのだ。
村に箸が受け入れられた時に、薄い胸を精一杯自慢げに張っていたのを昨日のことのように覚えている。
僕の方は少し前に食事も終わっているのだが、目前で繰り広げられる奮闘を見ている内に席を立つタイミングを逸してしまった。
そのまま何とはなしに悪戦苦闘するサーリャを微笑ましい目で眺めていると、不意に顔を上げた彼女と目があった。
軽く瞼の下がったジトっとした銀色の眼は真一文字に結ばれた口元と相まって不機嫌ですと言わんばかりの表情を醸し出している。
言葉が通じないとはいえ、無言で睨まれるのはちょっと怖い。
「ど、どうしたの?」
相手の実年齢は知らないが、見た目は子どもなのだ。ジト目が悪化して泣かれでもしたら精神的に辛い。
とはいえ、ここでスプーンを差し出したらそれこそ目元のダムが決壊する。前に一度やって懲りたのだ。
どうする。手持ちの札は殆どない。僕は考えて、考えた末に彼女の箸をそっと取り上げた。
「××?」
首を傾げるサーリャに対し、彼女の体温の残る箸を繰って皿の中から豆を摘み上げる。
「あ、あーん」
「×、×? ――×××!!」
数秒してこちらの意図に気付いたのか、サーリャは小鳥のように口を開けた。
舌先に載せるようにして慎重に豆を運んでいく。
やってみて気付いたが、ちょっと子ども扱いし過ぎだろうか。サーリャの頬が赤く染まっていて恥ずかしそうだ。
ただ、その割には視線が箸と皿の上を行き来して次を催促されているように見えるのだが。
「――×」
「むむ……」
見上げるようにして口を突き出す仕草が可愛くて、結局、皿が空になるまで続けてしまった。
食事が終わり、食器を拭いて片付けると、サーリャはそそくさと部屋を出て行ってしまった。
やはり恥ずかしかったのだろうか。年頃の女子との付き合い方が難しいのは異世界でも共通のようだ。
ともあれ、次は豆腐でも作って箸の有用性を証明したい所だ。近くに海がないと難しいが、さすがに大豆三昧の食事にはちょっと飽きかけているのでここらで技術革新を起こしたい。
と、そんなことをつらつら考えていると、部屋を出て行った筈のサーリャが扉から半分顔を出していることに気付いた。
「どうしたの、サーリャ?」
ひらひらと手を振って気付いているよアピールをすると、サーリャはもごもごと暫く口内で言葉を転がしていたが、意を決したのか、きっと音がしそうなほど真剣にこちらを見上げて、
「……アリガ、トウ」
「え?」
その一言を告げて、サーリャは即座に扉の向こうに引っ込んでしまった。
驚きで追いかけることすらおぼつかなかった。
今、確かにサーリャは日本語で喋っていた。
あれか、某ウサギよろしく事ある毎にありがとうって言っていたのを覚えられたのだろうか。
僕は未だにこっちの世界の単語ひとつ覚えられていないというのに。
「それはこっちの台詞だよ、サーリャ。ありがとう」
遅すぎる返礼は彼女には届いていないだろう。
久しぶりに聞いた自分以外の口から発せられた日本語に思わず目頭が熱くなる。
追いかけるのは少し後にしよう。今の自分の表情を見られるのはさすがに恥ずかしい。
ああ、でも、今日は本当にいい日だ。