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第9話 本当は

 バスが来た。


 整理券を受け取って二人は後ろの方に座る。春休みにもかかわらず座席はガラガラで、こうやってお見舞いに来る人は少ないのだろうと光永は思った。

「結城君、ごめんね」

「何が?」

 ポケットに手を突っ込んで回数券を切り離している彼の顔を見ることができなくて、彼女は少しうつむいた。

「色々と」


 不幸だと思い込んで、酔いしれていた自分。いつも明るく笑ってる結城に悩みなんてないと思いこんでいた自分。そんな自分が恥ずかしい。けれど、それを結城に言う勇気が彼女にはなかった。

 うつむいてしまった光永に、彼はやや慌てる。

「うわっ。泣くなよ? それに俺、不幸なんて思ってねーもん。あいつも運が悪かっただけ。運は自分でなんともできないから仕方ねーだろ? 最初はちょっと……うん、そりゃ思うところはあったけどな。やっぱり誰かより不幸ってのはないと思うんだ。まして価値観によって変わるものだから、比べられねーし」

 そう言い聞かせたかったのは誰よりも自分に対してだろうけれど。


「そうだね」

 光永は素直に頷いた。

「でも、結はそうは思ってなくて。同じようなこと言ってた光永ならヒントくれるかなーって、ちょっと期待して連れて行ったのは本当のことなんだけどな」

「ヒント……ねぇ」

 結局のところ、奇しくも結城が先ほど言ったとおり『価値観によって変わるもの』なのだ。人に言われてどうこうというものではなく、自分でどう捉えるかという問題だけに難しい。


 切り離した回数券を渡しながら、「別に思いつかなかったらいいんだ」と彼は困ったように笑った。

「俺と違ってあいつ頭よくってさー。やることねーから勉強してて、でも質問されても俺さっぱりわかんねーんだよ」

 こんなことも分からないの? お兄ちゃん馬鹿? そういわれても全然言い返せない。兄ちゃん頭悪いの知ってるだろーって、笑うしかなくて。今日もそれを言われるようであれば、彼女に代打してもらおうと思っていたことを素直に話す。


 そんな状態では、届けたい言葉が届かないかもしれない。

「ま、アヒルの行列の成績表じゃ、気の聞いた言葉なんてなかなかでてこないんだけどな」

「そんなことないよ」

 彼から渡された回数券は少し温かかった。気持ちがこもっていれば、言葉なんていくらでも届くと思うのだけれど。


「そういえば髪飾り……病室から持ってきちゃったね。明日もう一度届けるの?」

 彼の手にあるピンク色の髪飾りを見て光永が尋ねると、結城は部活があるから無理だと答える。

「本当にさ、俺、図々しいから何をすれば喜んでもらえるのか分からなくって」

 なんでもない様子を装っているが、投げつけられたのはさすがに堪えたのだろう。しょんぼりした様子が切なくて、気がついたら彼女は彼に向かって手を出していた。


「ね。少し貸してもらえるかな? 持って帰ったのがバレたら……きっとお母さんも心配するだろうから」



 それから結城は光永を家まで送ってくれた。

 彼女の手には、可愛らしいピンク色の髪飾りがある。家に戻って食事を作り、宿題をしながらもその髪飾りを眺めていた。

 まさかこんな形で再び戻ってくるなんて誰が想像できようか。

「つらいな……」


 自分が拒絶されたことも、辛いといえば辛い。けれど、それよりも結城の気持ちを考える方が辛かったし、何より……人を拒絶せずにはいられない彼の妹の気持ちを考えるのが一番辛かった。

 ――あの子が一番嫌いなものは自分なんだ。

 だから自分を傷つけるようなことを言う。助けて欲しくて仕方がないとは言い出せない。

「私に似ているから、余計に見ているのが辛い」


 辛いと言って、蓋をして我慢すれば忘れることはできるだろう。でも、それじゃあ今までと変わらなかった。

「変わらなきゃ」

 きっと人生にはそう思うイベントが待っている。その時行動できるかどうかで、人の差は生まれるのかもしれない。


「……変えなきゃ」




 二人が帰った後、結は爪にこびりついたマニキュアの跡を眺めた。もう、爪の端にうっすらと残るだけになっているそれを。


 本当は、ベッドのパイプに爪をぶつけてしまって、マニキュアが欠けたから上から塗り直そうと思っただけだのだ。上から重ねれば長持ちするに違いないと、震える手で初めて爪にマニキュアを塗ったら、溶けて、ダマのようになってしまう。ティッシュで拭いたら、繊維がこびりついて余計にひどくなった。1つだけ剥がれていたら、気になって仕方なかったので、全部剥がした。


 リムーバーなんて知らない。そんなものはここにはない。

 剥がした跡が汚くて……爪を削るように噛む。

「本当は私が悪いのに」

 朝広は悪意を投げつけた結を責めなかった。


 柔らかいサーモンピンクの色合いは、とてもお気に入りだった。血色の悪い自分の爪が、まるで昔に戻ったかのようで嬉しかったのだ。綺麗に補修が出来たら、今日こそは兄にお礼を言うはずだったのに。

 『本当は』こうだった、ああだったと思うことがたくさんあるのに、実際に顔を合わせると心にもない言葉が飛び出してくるのは何故だろうか。

 それが相手を傷つけていると分かるだけに、自己嫌悪に陥る。きっと、向こうはこちらを嫌っているに違いないと思い込む。そして、こちらから嫌おうとする自分自身がいた。


「ふ、ふん。お見舞いが嫌なら、来なければいいのよ」

 彼は楽しいことが好きな人だ。今日のことで、もう来なくなるかもしれない。

 同情なんて真っ平だ。でも、同情でしか付き合ってもらえない。ならば、せいぜい弱者は同情を引くために弱々しい演技をしなければならないのか。そうやって最後まで嘘で固めていれば、周りも偽りの笑顔で見送ってくれるのだろうか。


「お兄ちゃんだったらもっと違ったんだろうな」

 いつも明るくて能天気なあの人なら、この状況も変わっていたかもしれない。

 そんなことを悶々と考えて過ごす1日が長く感じられて、早く過ぎればよいのにと願った。……死ぬのは、泣きたいくらい怖いのに。

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