7.物語のラスト
7.物語のラスト
ボクは警察でもなければ探偵でも、ない。
学校ではただのボンクラな高校生だし。
家庭ではダメな兄貴でしかない。
特出している何かを出せと言われたとしても、この十何年間の月日を一から読み直したところで特別なことなんか一つもない。
つまらない奴だ。
趣味といえば、小説ともいえないような物語を書くコト。
それだって、完結させたものなどなくて、ほどほどに書き散らかすような馬鹿な遣り方しかできていない。
でも。
だからこそ、警察でも探偵でもないボクは物語の続きを読みたいと思った。
物語を完結させたいと願えたんだと、思う。
ボクは生まれて初めて書き上げたいと思った物語に、今、立ち会っている。
「……ボクには真実も真相も、いらないんだ。
ボクはボクの納得できる物語を書きたいと思ってる」
ボクは朝に近い夜に、語った。
「リオは死んだよ。自分で握ったナイフが自分の首を切ってしまい、死んだ」
ボクは思い出し口にすることで、その現実を目の当たりにしてしまう。
見慣れぬ制服を着た美しい少女が、腰の高さほどの壁に背を預け眠るように目を閉じている姿を。
その制服は破られ、染まっていた。
破られ、赤黒い液体に斑に染められたグレーの制服はひどく印象的にボクの中に戸惑う感情と共にある。
血の気を失くした少女の肌を、強調するためだけに存在するかのようだと、感じた。
青いように白く肌蹴られた少女の肌。
柔らかにとがる胸。
健康的にすらりと伸びる足。
ボクは溢れかえる激情に無様な無力を晒しながら、ただ少女の骸を呆然と目にしていた。
死しても美しい少女はボクが知る名を持っていた。
首から流れ出る醜く赤黒い液体で穢されながらも、損なえもしない美しさを世界に突き立てた少女の名は……リオ。
ボクが恋心なんて柄にもないことを持ってしまった相手の最後の姿を、ボクは思い出している。
「でも、そこに彼女の意志はなかったと思うんだ」
ボクは目を閉じる。
思い描いていたのは、眩しいリオの笑顔だった。
「なんだろう、きっとリオにだって色んなコトあったと思うんだ。辛いことだとか寂しい事だとか色々ね。
……だけど、自分で死を選ぶような人じゃなかったと思う」
想像する。
リオのコト。
ボクが知るリオは本当に少ないのかもしれない。
だけど、それは想像よりも確かにボクの胸にある。
「なによりもね…。
沼クンも言っていたけど、ボクもリオが宝物のようにしていたコドモタチノヨルを壊すような。
そんな、場所で、リオが命を落とすコトを選ぶなんて、思えないんだ」
リオがコドモタチノヨルの創始者だと知ったのは、最近のこと。
だけど、そんなこと知らなくたって判る。
感じていたもの。
リオが、コドモタチノヨルを宝物のようにしていたコト。
「だから、ボクはリオの死を…『自殺』とは物語に書くようなことは…しない」
ボクは断じている。
それがボクが納得できる物語だからだ。
「……なら、殺されたと、でも?」
問いかけられた言葉にボクは苦笑を浮かべる。
「それも違うって、ボクは思ってるよ……」
リオが誰かに殺されるってのも、ボクは物語には書きたくない。
許されるものならば、ボクはリオの最後にそう書き加えないままでいたいと、切に願っている。
「真実も真相もいらないんだ。ボクは、だって、警察でも探偵でもない」
ボクは力なく頬を緩ませる。
立ち上がったボクは、公園にあるコンクリートの塊としか思えない遊具に背を預けると自嘲するように頬を歪めた。
「思い通りにならない現実から目を逸らす為だけに、自分の好き勝手なことを物語にして、こっそりと楽しむような……。
しょうがない物書きだもの」
ボクは我侭にも、物語のラストを自分の気に入ったようにしようとしている。
初めて完結を望んだ物語だから。
何より…。
リオの物語だもの。
悲しいだけの結末は、ボクには望めなかった。
「だから、アレは事故だったって……ボクは、そう、キミから聞きたいんだ」
ボクは顔を上げるとまっすぐに見つめていた。
理知的な瞳を隠すように眼鏡で覆う線の細い少年……沼クンをボクは縋るように見つめている。
「そうだね。アキラさんは、小説を書く人だったね」
いつもと変わらない少し冷めた表情を浮かべて、沼クンは口を開いた。
「それで? その小説家さんは、どんなラストを知っているの?」
小説なんて呼べるような代物を作れた試しはないんだけどね。
ボクは射るような視線を前に、少しだけ緊張を覚える。
「…何も。ボクはリオの物語のラストについて、何も知らないよ」
リオの最後にボクは登場もさせてもらえなかった。
だから、ボクはリオの物語を終わらせられないでいる。
だけど。
幾つかの疑問を物語として捉え、なぞらえることで、ボクはこの物語の最後を知り書き上げることができるだろう。
「じゃあ。なんで、俺をこんな時間に呼び出したんだ?
まるで、俺を犯人扱いする……そうだな、探偵の役でも演じる気なのかな?」
そんなにカッコイイものになれるなら、なってみたいけどね。
ボクには分不相応というものだろう。
「でも、これは沼クンも望んでいたと思ったんだけどな…」
「そ、それは…。リオの死に場所に疑問をあるとは、言ったが」
沼クンの歯切れは悪かった。
確かに、沼クンがボクに言い出さなければ、物語は途中のまま、いつものままでボクはただ現実から目を逸らしたままでいられたのだろう。
リオがコドモタチノヨルを壊すような場所で自殺を計る訳がない、と。
言い出しさえ、しなければ。
沼クン…。
ボクは、この対峙さえもキミが望んだものだと気付いてしまったから、物語を終わらせることを選ばなきゃならなかったんだよ。
「ボクね。リオの最後に繋がるもう一つの物語を知ってしまったの」
突然に切り出したボクの言葉にも、沼クンは表情を崩さない。
だから、ボクは沼クンも物語のラストに必要な話だと思ってくれたのだと、勝手に納得させてもらう。
「瑞恵に…あ、ボクの妹なんだけど、沼クンも会ったことあるよね?」
沼クンは短く頷くと、先を促すように顎を動かす。
「瑞恵の方がボクよりも年代が近い子供の話だから、探すのに適してるかなと思って、頼んでみたんだけど、正解だったみたい」
まぁ、瑞恵はボクと違って社交的で頭もいいし、ボクなんかがモタモタしちゃうようなこともサクッと出来ちゃうスペシャルな妹だからこそ、なんだけどね。
「……そうして、ボクは生きているリオと最後に会っていた時に、登場した一人の男の役割を知ることができた」
「だから、俺…か」
ひどく詰まらなそうに沼クンは呟く。
「短絡的だな」
「だけど、そう言うってコトは……沼クンがリオの物語のラストに登場したって認めてるコトになるよ」
ボクは悲しい気持ちを持ちながら、沼クンを見る。
「そう、したいんだろ?」
ボクじゃなくて、沼クン…キミが、ね。
「あの大人は、直接的にリオには繋がらない物語の登場人物だ…」
ボクは語る。
瑞恵がボクの元へと運んでくれた物語を。
あの男は、昔、医者の息子さんを誘拐していた。
理由は噂話から推測するしかないけど、仕返しといった色合いが濃いように思う。
彼は自分の子供を救おうと駆けつけた病院で、息子を失うことになる。
最愛の息子、愛していたし大事な自分の子供だったんだろう。彼はひどく落胆し、ひどく混乱した。
そして、持て余す怒りを外へと向ける。
ボクにも判らないでもない感情だ。
愛している人を誰かの手で失ったと考えるほうが、まだ楽だもの。
その相手を怨める分だけ、少しだけ、気持ちが外に向かう。
それだけでも、失くした事を悲しむ気持ちから逃げられるし、目を背けられる。
自分を救いたい。
そんな、ただの自己防衛本能から、彼は思い始めた。
医療行為に問題があったんじゃないのか、と。
思いは加速する。
悲しさが、疑いを暴走させる。
そうして、彼は自分の息子を奪ったと決め付けることで、自分を保とうとしたんじゃないだろうか。
彼はとうとう良心を壊してしまったかのように罪を犯してしまう。
最愛の息子を殺した、医者の息子を誘拐したのだ。
同じ目に合えばいい。
と、ばかりに。
「だけど、彼の心は随分と疲れていたんだと思う。
誘拐して監禁していたみたいだけど、子供に手を上げていたような跡もなかったし。警察の人が来ても、抵抗なんかしなかったっていう話だった」
それが、あの男が登場していた物語だ。
そして、その物語に登場していた医者の息子さんが、目の前にいる少年…沼クンだった。
「そんな話、覚えていた奴いたんだ」
呆れたように沼クンは言っていた。
そうだね。
テレビや新聞で騒がれたって、次の日には忘れるような世の中だ。自分に関わりがなければ、それは対岸の火事でしかない。
ボクだって痛感したさ。
リオの死だって、誰も彼もが今や関心のない話だと思う。
本当に心を痛めた者、以外にはどうでもいいことなんだと痛感する。
足を向けた学校で対面を気にしたがる大人たちはまた対策に騒いでいたようだけど、その心にリオの死はなかった。人が死んだという学校でも、他校生という気楽さからか、生徒達にも感心はまるでない。
不思議なほど、いつも通りの学校風景に、ボクは苛立ち呆れるしかできない。
世の中、そんなものだ。
そう考えても一抹の辛さがボクの中に根深く残る。
「リオは、覚えていた…みたいだけどね」
彼女が呟いた言葉を今更ながらに、気付ける。
物語に登場したあの夜には気付かなかったけど、物語としてなぞらえて初めて気付けたボクはとても抜けているのかもしれない。
だけど、リオがあの男を見て反応していたことは、物語としてなぞらえた今となって初めて意味を持てる。
リオは、あの男が何を意味して物語に現れたかを知っていた、と。
「美化されちまっているようで、腹が立つから、言っておくが…。
子供にも手を上げたし、子供相手によくもまぁクソ下らない大人の事情をブチまけるような大人だったぞ? アレは…」
ボクの小さな呟きを耳にもせず、沼クンは燻る苛立ちを吐き出すように毒づく。冷静な言葉だけに、その裏にある感情が判るようだ。
「……」
真相なんて、そんなもんだと思う。
現実だって自分の思い通りに歪められるのが、人間だもの。
残酷で悲しい現実を、物語として納得できるように書き上げようとしているボクが言えた台詞じゃないけど、さ。
「そんなアレが、ボクとリオの前に現れたんだよ」
ボクはリオと二人っきりで過ごした初めてのコドモタチノヨルを思い返す。
「リオも、実は、彼を目の前にするまで忘れていた物語だったんだろうね。
だけど、直接、その男を前にして気付いて、沼クンのコトを尋ねられて、決定的に思い出してしまう」
苛立ちと共にボクはそれを見ていた。
男の声なんか聞こえなかったから、それは推測でしかない。
あの時、ボクは暗い怒りを持っていたのだと思う。
リオが痛がることなんか考えもせず、男から引き剥がすようにリオの腕を掴み寄せたのは、ボクとしては苦い思い出だ。
「だから、リオは心配したんだ。沼クンのコト、コドモタチノヨルのコト」
「フン。…リオは俺たちの親鳥気取りだったからな」
冷めた言葉だけど、その中にはとても暖かい親愛の情があるようでボクは嬉しさを覚えている。
「そして、二人で計画したんでしょ?」
ボクは尋ねる。
けれど、答えは待たない。
「あの男の人が、身動きが制限されるような、少しでも動きをけん制できるように…。
それが、レイプの汚名をきさせるコトだった」
ボクは言葉を飾ることをやめている。
乱暴だとか暴力だとか、そんな簡単で上辺だけで語られることのほうが、ボクには残酷な気がしてしまうから。
「誘拐をやった前科もあるからね。
あの人の動きを封じるには充分すぎる手だね」
大人は信用できない。
どうせ、コトが起こるまで動きもしないだろうと、二人は考えた。
コトが起きてからでは遅いのに、大人たちは無駄に歩みを遅らせて、子供たちは無駄に先を急ぐ。
「らしいといえば、らしい…のかな?
事件が起きる前に、こちらから事件を起こして、相手の身動きを封じようとする…なんて、さ」
乱暴だけど、大人を信用したくないボクらには、縋るしかない方法なのかもしれない。
「レイプ事件を起こそうと考えたのは…どっち?」
聞くまでもない質問だった。
「…リオだ」
悲しいけど、そうだろう。
重大な事件を必要としていたのは、判る。
だけど、男の沼クンが提案して、女の子であるリオがそれを決行しようなどと考えるとは思えない。
「リオは過去に一度、レイプとは言わないまでも、度の過ぎた痴漢行為を受けたことがあるんだそうだ。周りにも、知られている。
だから、自分の評判は気にしないでいい、そう言ってくれた」
それを素直にきいた沼クンではない筈だ。
反対したんだと思う。
沼クンにとっても、リオは特別な相手だもの。
自分の為に、そんな事件を起こして彼女に降りかかるであろう様々な被害を考えない訳がなかった。
「ちょっと自暴自棄になってるトコ、あったもんね…」
ボクは知ってしまったリオの過去を思い、悲しい気分になっていた。
「あぁ…」
相槌を打つ沼クンの表情も、さすがに苦い。
一度、広まってしまった自分への風評にリオは腹を立てていたんだと思う。
痴漢をされて、それが事件となったことへのリオの怒りは、それほどでもなかったかもしれない。
けれど、それが自分の与り知らぬところで話を大きくして広まった噂には、彼女は強い憤りや怒りを持ってしまうのだろう。
事件を境に、自分を避ける者たち。
腫れ物に触るように接するようになった身近な人たちもいただろう。
リオなら、手の平を返す周りのそんな対応に腹を立ててしまう。
自分は自分なのにと。
言い知れぬ悲しさを感じながら。
「どうせ。みんなに何かを言われるくらいなら、自分で起こした事件で非難されたい…なんて。
…リオなら、考えちゃうんだろうなぁ~」
ボクは苦笑を浮かべてしまっていた。
掴み所のない人だったけれど、物語の登場人物と考えれば、何となくだけどリオのことも判ってしまうような気がする。
「…流石だね。リオは、そうも言っていたよ」
いくぶん悔しさも混じった声が、ボクの予想を裏付ける。
リオのコトが理解できたようで嬉しいけど、ボクはリオの考え方には賛同できそうもなかった。
嬉しさより寂しさが胸の奥底で募る。
「じゃあ、なんでリオは死んだのか…。それも判るのかな?」
「だから、知らないってばさ」
ボクはつい笑ってしまう。
「言ったでしょ?
ボクは警察でもなければ、探偵でもない。真相なんか、いらないんだ」
挑発的な視線を向けてくる沼クンに、ボクはおどけるように肩を竦めてみせる。
ここまで知っても現実から目を背けようとする自分に滑稽ささえ、感じながらもそうすることしかできないでいる。
「ボクは勝手な人間だから、ね。
自分の気に入ったか、納得できるラストを。リオの物語に求めているだけだよ」
結論を急ぐ沼クンに改めてボクは言った。
「だから! 小説家センセーは、何をラストに求めているんだよっ」
苛立つ沼クンを前にして、ボクの気持ちは静かだった。
リオの死んでしまった物語だというのに、不思議なくらい心は穏やかなままでボクはいられる。
「…そうだなぁー。
リオはあの男にレイプされたと見せかけるために、狂言自殺も考えていた。
ほら、遺書みたいな走り書きも出てきたんでしょ?」
そこらへんはボクも確認している。さすがに、走り書きを書き留めたノートを直に見せてもらった訳ではないけれど、人づてに内容も聞いている。
そう、リオは死ぬことなど考えていない。
ボクとの約束も少しは気にしていてくれたんじゃないかと、そんな儚い希望を持ってしまいながら、ボクは語る。
「最初は薬でも使うつもりだったんじゃないかな?
レイプをされそうになったコトを苦に、被害者が自殺まで計ろうとしていたとなれば……
事件は大きくなるからね。目的は、より達成し易い」
遺書の点は、これで納得できる。
リオが死ぬ気などなかったんだと、繕うことができる。
都合のいい考え方なのかもしれない。
だけど、ボクとの約束を覚えていてくれたなら、リオが遺書を残して自殺するなんて、有り得ない。
そこで、リオが狂言自殺を考えていたんじゃないかと、ボクはそう考えたし、そう物語に記したいと願う。
「本当なら、あの男を前にして、そんな事件を演出する方が効果的だけど……。
現行犯にする為には、色々と面倒があった」
何より、あの男の行動を把握してなければいけないし、リオも警察に保護されるだろうから事情は聞かれてしまう。
事情聴取を受けてボロを出す訳にはいかない。
だからこそ、狂言自殺も必要な手だと考えたんだろう。
薬で昏睡状態にでも落ちた後なら、思い出せないなり記憶がアヤフヤになっていても不自然ではないのだから。
「場所についてだけど…。
あれは苦肉の策…だったんじゃないかな?
陥れようとする男の行動を把握するには、なにぶん時間も足りないし……ボクらは結局、子供だからね。調べだす手段なんか、なかった。
唯一、把握している男の行動は、沼クンを探しているというコト」
ボクは沼クンを指差してみる。
沼クンはボクの言葉にも、行動にも反応することはなかった。
一筋の汗を頬に滑らせるだけで。
「男は、沼クンを探していた。
向こうは、大人だから、かな……。沼クンが夜中にこっそりと家を抜け出して、夜の学校で仲間たちと会って遊んでいるコトを知っていた。
大人の目がない夜に一人で出歩いている沼クンと接触したい男は、毎夜、ボクらが集まっていた『あの場所』をマークしているだろう」
きっと、リオは沼クンが不要に出歩いたり、一人になりそうな状況を作らないように指示していた筈だ。
沼クンが隙を見せない以上、男の選択肢も自然と狭まる。
「あそこしかなかったんだよね。
自分たちにとって大切な場所だけど、おの男をレイプ犯に仕立て上げるには、あの男が毎夜、沼クンを探しに行っているであろう……。
ボクたちが、子供でいられる夜の『あの場所』しか、なかったんだ」
何故、犯行現場が『あの場所』でなければならなかった理由は、こんなところだろう。
リオにとっても、沼クンにとっても喜べる選択ではなかった筈だ。
それは、沼クンがボクの部屋で語ってくれた胸の内からも、判る。
「流石だね。小説家のセンセーは何もかもお見通しって訳ですか……」
どうやら、ボクが描いていた物語は、実情に近かったようである。
嬉しくもないが、悲しくもない。
ただ、虚しさが何故だかボクの胸にある。
物語として捉えて始めて導き出せてしまっている現実に、ボクは虚しさを覚えている。
それは、ボクには遠い現実であるように。
ボクがリオの最後に登場しないコトが当然のようで。
寂しさが、ある。
「……でも、リオは薬の量を間違えて死んだ訳じゃないよ」
沼クンは、挑戦的な目でボクを見ていた。
そんな少年を見ながら、ボクは考えている。
薬を用意したのは、沼クンだろうとボクは思う。
医者を親に持つ沼クンなら、少しは知識もあっただろうし、親の持つ書物でも漁れば調べたいことも判る。
沼クンとリオのことだ。
薬の入手方法に至っては、足がつくこともあるだろうから、沼クンの親を頼ってはいないだろう。
どんな薬を考えていたのか、どう入手したのかなど気にかかるところだけど、それを尋ねる暇は与えてくれないようだ。
「リオは自分が握っていたナイフで、首を切っていたんだ。
これは、どう説明してくれるんですか…ね?
小説家のアキラさんは」
突き詰めてしまえば、それが今回の最大の難関だろう。
経緯など、隠れていた物語が見つかった以上、想像とほんの少しの組み立て方で真実に近付くコトができた。
けれど、知りたくない真実を前に、ボクは戸惑う。
「…どうなんだ?」
戸惑い、現実から目を逸らそうとするボクを許さない言葉だった。
「言えよ、言ってみろよっ! ほらっ!」
ボクの胸倉を掴んで、少年はボクの竦んでしまう心を鷲掴んでいた。
「アキラさんは、何でもお見通しなんだろ?」
追い詰める沼クンに急かされ、ボクは叫んでしまう。
「…だから、だからっ!」
ボクは、あの場所にいた訳じゃない。
リオの最後に立ち合わせてもらってなんか、いないんだ。
真実なんか知らない。
いらないんだっ。
「いいんだ。
キミが…沼クンが、レイプを装うコトなんて、やめさせようとして……。
ナイフを握って自分の制服を破っていたリオを止めようとして。
二人がもつれた拍子にアンナコトになってしまったで、いいんだよっ!
ボクは、それでいいんだっ!!」
ボクは目を背けている。
「だからっ! 言ってよ、あれは事故だったってっ!」
いつも残酷に裏切る現実から、目を逸らしたいと願っている。
ボクが求めているのは、物語の最後であって、真実じゃない。
「沼クンだって、リオが狂言で…狂言だとしても、レイプの被害者になるコト、嫌だって思ってたんでしょっ!
だったら、止めようとしたって、当然な筈なんだ!」
叫んでいた。
静かだと思っていた自分の心が嘘のようだ。
荒れ狂っている。
「止めようとして、それで…」
荒れ狂う心を前にして、ボクは言葉を失う。
投げ捨てられていた。
頭一つ分は低く線の細い少年に、ボクは掴まれた胸倉を引き倒され地面に無様に転がる。
「なんだよ…アキラさん」
「あぐっ」
ボクは腕を踏みつけられていた。
身長だって、体重だってボクの方が多い。
悲しいけど、体重なんか特にボクの方が多いんだ。腕力で勝負するなら、沼クンが運動神経よくたって、運動不足のボクでも何とか抵抗できる筈だった。
だけど、ボクは体を動かせないでいる。
何度となく振るわれた暴力を前にして、ボクは、心で負けていた。
「嫌だなぁー。
本当に何でもお見通しなんだね、アキラさんは……」
「うぐっ」
腹を蹴りつけられて、ボクは体を丸めている。
「なんで解っちゃうんだろうな、ホント。
小説って書いてると、そんな風に知らないことでも分かりきったようになれるの?
凄いね」
ボクを踏みつけ、蹴りつけている沼クンの表情には、何も伺えない。
きっと。
虫けら相手に、動かせるような感情は持ち合わせてくれないのだろう。
「…気付いてたんだ?」
そうだろ?! と、沼クンは強くボクを打つ。
ボクは痛みと恐怖に震えてしまう体を動かして、なんとかそれに答えようと半身を起こした。
「沼クンが、リオを、欲しがって、いた…コト?」
切れ切れになる言葉を、ボクは確かに紡いで答えにする。
それは、沼クンの言葉から知った事実だった。
瑞恵の話をふった時に、沼クンは自分の好みの女性を語っていた。そうして、語られた女性の姿は、リオ、そのものだった。
沼クンがリオに恋し焦がれていたことは、それで知ることができた。
ボクは見上げている。
表情を消したようで、確りと心の内を覗かせてしまう沼クンに表われた苛立ちで、ボクは彼の気持ちを見てしまう。
「…はっ!」
顎を蹴り上げられてボクは仰け反り、またも無様に地面に転がされていた。
蹴られた顎が、痛くて熱い。
「そうだよ、俺はリオが好きだった。愛していた。
だから、その体も心も欲しかったっ!」
肩を踏みつけてから、沼クンはボクの上に乗る。
「最低だよなっ! 俺は、俺のために泥を被るような女に欲情したんだよっ!」
ボクは思い返している。
青いように白く肌蹴られた少女の肌を。
柔らかにとがる胸を。
健康的にすらりと伸びる足を。
それは骸になってすらも、美しさを損なわない、少女の姿だった。
情けないけれど、酷いと思うけれど、ボクもリオの傷ついた体に抱いていたのだ。
沼クンの劣情を想像しないではいられない。
「ちょっとは、ちょっとはな、俺だって期待すんだよっ!
俺のために自分の服を平気で破って、半裸を晒すようなコトすんだぜ?」
全てを悟り諦めたような沼クンだって、期待くらいするんだろう、さ。
ボクは振るわれる拳を眺めることしかできないまま、沼クンの言葉を聞いていた。
「だけど、あの女…リオは、俺を受け入れるような事などしなかったっ!!」
ボクの体も壊れ始めているようだけど。
沼クンの心も壊れていくようだ。
「なんでだ? なんでだよ?」
殴りつけている拳に、力が失くなっていく。
「こうやってさ……。自分の命が、天秤にかけられてさえ…」
ボクは手にナイフを握らせられていた。
そのボクの手を沼クンが上から掴み、ボクの喉へと運ぶ。
沼クンは再現しているんだ。
リオを、その手にかけた状況を。
「こうやって、殺されそうになっても…あの女は、抵抗するんだ」
じりじりと、ナイフがボクの喉元へと近付く。
抵抗したいけれど、ボクは上手く腕に力を込められない。
年下で、その上、ボクなんかより遥かに線の細い沼クンの体にどれほど力があるんだと、驚くしかできないでいる。
「それでも、奴は抵抗するんだよ…」
…そうだね。
リオは殺されそうになったくらいで、自分を曲げるような人じゃない。
だからこそ、沼クンもボクも…みんなも、リオに憧れていた。
「……くぅ」
とはいえ。
ボクもさすがにのんびりとしてはいられない。
リオが死んじゃって、後追い自殺を考えなかった訳じゃないけれど、沼クンに殺されてしまうのは、避けたい。
自分を責めている沼クンに、これ以上、命を奪わせちゃいけないんだ。
「リオは、俺を望んじゃいなかった…」
ボクは全身を使って、沼クンから逃れようとするんだけど、首を切ろうと近付いてくるナイフが気になって集中できない。
うぅーうーと必死に唸りながら、ナイフの動きを遅らせるコトが精一杯だった。
日頃の運動不足と怠慢を悔やむたいところだけど、それどころじゃない。
「リオが、望んでいたのは、俺なんかじゃない」
あぁ…もぉっ!
お約束どおりに語りに入っている相手に、なんでこんなにも力勝負で梃子摺らなきゃいけないんだ。
ボクって、そんなに腕力ないんだろうか。
ちくしょーっ。
情けなさ過ぎだぞ、ボクっ!
「ふぬぅ…」
もう、生きてても面倒臭いし、殴られて体中痛いし、諦めちゃおうかな…。
正直、そんな無責任なコトが頭を過ぎっていた。
そんな時に……。
ボタボタと落ちてくる雫を、ボクは頬に受け止めていた。
「なんで、アンタなんかを選らんじゃうんだよ…リオっ!」
沼クンは泣いている。
そんなの…。
…そんな、こと。
「そんなコト…知るかっ!」
ボクは、もう頭にきた。
頭にキていた。
ボクは、必死に押し留めていたナイフを掴む腕を、喉へと引く。
急に抵抗を失ったどころか、勢いを増した動きに沼クンが一瞬、驚いて気を抜いた。
それだけで充分だった。
ボクは腕を喉へと動かしたが、それは横だけの動きではない。
力の方向を斜めに導いてやったのだ。
腕を突き出すような形になった自分の手から、ボクはそのままの勢いでナイフを放している。
カランと、どこか遠くで澄んだ音が夜に響く。
「痛い~」
遅れて、喉に熱いような痛みが走った。
ナイフを逸らしきれず、喉の皮膚も肉も切れたようだけど、大丈夫だ。
声も出る。
「どけっ! ガキがっ!」
溢れた血に沼クンの顔から血の気が失せていた。
ボクは疑問を持ったけれど、すぐに納得する。
首から流れ出る血を見たのは彼にとり初めてじゃない。
だから、驚き戸惑うのはおかしいと思ったが、違うんだ。
彼は、ボクに殺してしまったと後悔があるリオを重ねている。
蒼白となった沼クンを押しのけてボクは立ち上がるけれど、彼は動けないままだ。
「自分に振り向かない、手に入らないなら…壊れてしまえばいいっ。
そんな考え方も結構だけどねっ!」
ボクは切り裂いてしまった首元を押さえつけると、叫ぶ。
殴られた箇所に感じる痛みに比べてしまえば、喉の傷にたいした痛みはない。
けど、出血が多いみたいだ。
服が、赤く染まっていく。
「泣いて悔やむくらいなら、リオを失ったことに、泣けっ!!」
頭にくる。
頭にきている、ホントに。
「気どんな、ガキがっ!
ボクにリオを殺したコトを暴かせて、責めてでももらいたかったのかっ!?
それで楽になれる道でも用意してもらえるとでも思ったのかっ!?
ふざけんなっ!!」
ボクは、溢れ返る感情のままに叫んでいた。
「ウダウダ考えたって悔やんだって、リオを好きだったんだろ!
リオを殺してしまって泣きたかったんだろ?
ずっと、ずっとっ!
だったら最初から、リオのために泣けよっ!」
罪を悔やみ畏れるだけで、沼クンは泣けなかったんだと思う。
リオの為に。
だからこそ、彼は自分が犯した罪にばかり気を取られ、取り繕うように自分を拒んだリオを憎もうとする。
だけど、それじゃダメなんだ。
好きな相手を憎もうとすれば、どうしたって心が拒絶する。
動けなくなる。
凍えるように震えて、夜のような闇に囚われ一歩として、動けなくなる。前にしか進めぬ檻の中でただ絶望に蝕まれるばかりだ。
「リオの…為に…?」
力を失くし、地面へと崩れるように座り込む沼クンをボクは見ていた。
そこには取り繕い大人ぶった仮面は微塵も残されてはいない。
自分が彫り続けた落とし穴に落ちて泣いている子供が一人いるだけだ。
「順番が…違うんだよ」
苦しくなる体でボクは、最後の物語を見ている。
「キミは…殺してしまった罪を嘆く前に、本当はリオを失って泣きたかったんだよ」
だけど、沼クンはそれを自分に許してあげられなかった。
いい子でいなきゃいけなかった沼クンの環境もあったのだろう。彼には、人を殺してしまった現実を受け止めることができないでいた。
だからこそ、怯えて罪を隠そうとする子供のように足掻きながらも、罪を暴かれたいと心のどこかで望み、ボクに自分が犯人だとヒントばかりを残した会合をしてしまう。
リオを失くしてしまった悲しみに目を背けたいばかりに。
泣きたい自分の子供の心を否定して。
「どんなに大人ぶったって、取り繕ったって、ボクらは…ガキなんだよ」
後先も考えず自分の思うままに行動して、後悔したっていいんだとボクは思う。
「泣いて初めて、気付けるコトだってあるよ…」
リオを好きだったこと、大事にしていたことに目を塞いでしまうから、彼は自分の犯した失敗に向かい合えないでいるんだと、ボクは物語の流れとして知っていた。
ボクにも沼クンにも、向き合うには辛すぎる現実だった。
目を背けるつもりだった。
ボクはリオの最後が人の手によるものだったなんて、思いたくなくて。
沼クンは、好きな人を殺めてしまった現実を受け入れたくなくて。
醜い自分を演出して、馬鹿みたいに傷つけあって。
でも、そんな現実から逃れられなくて、ボクらは闇のような夜を物語に刻んでいる。
「コドモタチノヨルが、明けるよ…」
夜が明けようとしていた。
白く明るくなる空を背に、静かに涙を流している少年がいる。
眼鏡は、掴みかかりでもした時に飛んでしまったのかもしれない。
線の細い少年は、子供のように泣き続けていた。
ボクは踵を返す。
沼クンは、一人で泣きたいのだと思うから。
つづく