5.辿りつくために
5.辿りつくために
瑞恵が心配してくれた。
もう少し、休んでもいいんじゃないかと、言ってくれた。
ボクの通う学校で、他高生が自殺をした事件は、瑞恵も知っている。
それを見て、気分を悪くし、熱を出したボクを看病してくれたのは瑞恵だもの。少しは、事情を知っていたのは、当然だった。
だから、最初は優しく窘められた。
気が弱いんだから、野次馬なんかして、熱まで出さないようにっ…て。
馬鹿なことをした子供を叱る母親のようだと思った。
思えば。
この家庭で親として機能していないあの両親に代わるように、瑞恵は母親でいたかったのかもしれない。
ボクのご飯や健康に気を使ってくれるのも、あの壊れた家庭で母親を求めている瑞恵の気持ちの裏返しなんじゃないかと、今のボクには思えてならない。
代替行為。
ボクが現実ではなく、自分の思い描く物語で間に合わせようとするように。瑞恵もまた、求めても得られない家庭の温かさを自分で与えることで間に合わせたかったんだ、と。
ボクは気付き始めている。
沼クンは、リオを親鳥と言っていたように思う。
……だからかな?
ボクには、瑞恵も親鳥のように感じてしまうようになった。
巣の中で安穏と口を開け餌をねだる雛鳥に、一生懸命に餌をもってくる親鳥を瑞恵は演じたいんじゃないかと思えるのだ。
「大丈夫?」
今も、瑞恵はボクに餌を持ってきてくれていた。
「うん、ちゃんと食べれるようになったから、平気だよ」
あの時の朝、餌付けされているような気分になったけど、それも正解だったんじゃないかと思う。
瑞恵は、親鳥のように険悪な朝の台所から、きっちりと朝食を狩りとってきてくれた。
「もっと、食べる?」
ボクの部屋で、トレイにのせた朝食を挟んだボクら。
瑞恵が心配そうに、自分の分さえも差し出しながら尋ねてくる。
「朝から、そんなに入んないって」
ボクは笑う。
だけど、瑞恵はボクの顔を辛そうに見る。
「……」
なんとなく、理由は判っていた。
きっと沼クンとの話を、瑞恵は聞くとはなしに聞いてしまったんだろう。
そして、ボクが自殺した少女と親しかったことを知った。
見ず知らずの者の死と、身近な人の死というものは、人に与える印象をガラリと変えるようだ。
同じ命の終わり、なんだけどね。
「あれ?」
中身の片付いてしまった食器を前に、ボクはどうしようかなと思う。
確かめたいこともあって学校に急ぎたい気持ちもあるんだけど、瑞恵の食事は終わってないようだった。
なんか久しぶりにちゃんとした食事風景に参加させてもらっただけに、立ち上がるの惜しいような気分だ。
瑞恵が食べ終わるまで待とう。
そう思っていた矢先に、瑞恵が何かを発見していた。
「兄ちゃん…。これ、捨てちゃうの?」
驚いたような声だった。
瑞恵の視線を追えば、机とベッドの間に置かれたゴミ箱がある。
「兄ちゃんが作ってた小説を書きとめてた奴…でしょ?」
指差された先には何冊ものメモ帳があった。
そこらかしこに隠してあったのをまとめて持ち出してきたので、結構な冊数だった。ゴミ箱から溢れそうになっている。
「そうだけど…」
小説、なんて言えるような代物は、あの中には含まれていないんだけど、ボクは不思議さを感じながら頷いていた。
なんで、瑞恵が知っているんだろう?
「あっ。ご、ゴメン。
どんなこと書いてるんだろうって、気になって…その……」
申し訳なさそうに、ボクを拝む瑞恵だった。
「……読んだの?」
「う、うん」
「どのくらい?」
「ちょっと、ちょっとだけだよ、ホントっ!」
忘れていたけど。
そういや妹の瑞恵はボクと一緒で、漫画や小説とかを楽しむ傾向は意外に強い。
兄妹だけあって、環境は似たようなものだから、少しは似通うところも出てきてしまうのだろう。
そして、ボクらは兄妹なので…。
少しくらいはお互いのコトを善く知ってしまっている部分がある。
「ホントは?」
「……たぶん、殆ど全部、目を通してる」
やっぱり。
ボクはガックリと肩を落としていた。
一応は隠れて書いていたし、書いていたメモ帳も本棚の端っことか目立たないような場所に保管してきたつもりだったんだけど。
まるっきり、無意味だったってコトだろう。
我が妹ながら、恐るべし…だった。
「ゴメンってばぁー」
口では謝ってはいるけど。
その顔は、悪戯に笑っている。
「まぁ、いいけどさ…」
以前までのボクなら。
捻くれ気分満載で、誰に見せるつもりもないし、読まれたくなんかないって、思っていただろう。
なにより、悲しいかな。
自分が好き勝手書いているだけの物語だから、人に見てもらえるような物語になっていなくて。やっぱり、恥ずかしさは、とことんあるのだ。
だけど、ボクは読んでもらうことの嬉しさをリオたちに教えてもらった。
だから、嬉しいことだと思うコトにする。
「兄ちゃんが、あんな色々と小説書いてたなんて、すごく意外だったけど…。
うん。面白かったよ」
屈託のない笑顔を前に、ボクは文句を口にすることが、無意味だと知る。
「…あ、ありがと」
顔なんか。
見られる訳もないので。
ボクは頬を染めてしまいながら、カップに入ったコーヒーを片手に呟いていた。
身贔屓してくれたんだろうけど、瑞恵に褒められたのは嬉しかった。
冷めてしまったコーヒーを飲みながら、ボクはそんなことを思う。
「あの兄妹の物語とか、好きだったよ。
兄ちゃんが妹を好きになっていく話なんか、特に早く続き書いてくれないかなぁ~って、思ってたんだからっ!」
ぶふぉーっ!
は、鼻が痛ひっ。
思わず、コーヒーを鼻から吹いてしまった。
「あは…あはは」
ボックスティッシュを慌てて引き寄せて、鼻から口元を拭いながらボクは笑う。
非常に乾いた笑いだけれども、場を取り繕うために。ボクは笑って誤魔化しきらばければいけなかったのだ。
…ううぅ。
そういえば、そんな馬鹿な設定で物語作ったコト、あったっけ。
「ご、ゴメンね。た、他意はないんだよ?
ちょっと…書いてみたかった題材で…」
「当たり前でしょ」
慌てて言い繕うボクを、瑞恵は笑い飛ばす。
「別に変な勘ぐりなんかしないわよ」
クスクスと瑞恵はボクを見て笑う。
明るくて健康的で。
輝く、太陽みたいな、笑顔だ。
「か、からかったな…?」
ボクは自分の負けを感じていた。
でも、負けを素直に認めることも、恥ずかしくて出来なくて。
ちょっと拗ねたように、ボクは瑞恵を見てしまう。
「そうでもないんだけど、な。
あたしが面白いって思ったり、続きが気になったのは、ホントだし…」
フンだ。
今更、褒めてくれたって、嬉しくないやい。
…というか。
意外と女の子って、ああいった話が好きなのかな?
聞いた話だけど、ゼロ子さんも兄が妹を好きな話を面白がっていたそうだしなぁ。
あれ?
そういえば。
ゼロ子さんもだいぶ歳の離れたお兄さんがいるって、言っていたような気がするぞ?
なんだろう、自分に近い人物設定とか、シチェーションだから、物語に入り込みやすかっただけなのかな?
でも、そんなことを言ったら、あれは男の、兄目線で書いている一人称の物語だし。現実で妹の瑞恵やゼロ子さんに重なるような部分は少ないような気もするんだけど…。
うーん。
ちょっと、善く判らないや。
「……」
ちらりと見れば、えへへと瑞恵は嬉しそうに笑っている。
その頬は、綺麗な桜色に染まっていた。
…ふむ。
そうだよなぁー。
確か、あの物語で書いた兄貴キャラは見た目も性格もカッコイイ設定だったもんな。
と、ボクは自分で書いていた物語を改めて思い返してみる。
ああいったできた兄貴だったら、妹としても惚れられても、悪い気はしないのかもしれない。
いくら、血の繋がった実の兄貴でも。
んまぁ。できるだけ、血の繋がった相手を好きになるってタブーを犯していても、好感が持てるように苦労して書いた記憶もあるし…。
そんな努力が報われたということ、だろう。
そう考えれば。
少しは隠していた秘密が、まるっきりのバレバレだったという虚しさも、物語を読まれてしまった恥ずかしさも、薄まるというもの。
「続き、書いてくれるの期待してたんだけど……。捨てちゃうの?」
惜しんでくれるのなら。
それは、ボクにとっては、最大級の餞だ。
「うん」
だけど、ボクは頷く。
「ちょっとね。本気で書き上げたい物語ができちゃったから」
よそ見など、できないのです。
「そう、なんだ」
残念そうだけど、瑞恵はボクの決心に気付いてくれているのか、ボクを留めるようなこともしない。
「今度は、ちゃんと読ませてくれる?」
躊躇うような瑞恵の言葉に、ボクは深く頷いた。
「瑞恵にも読んで欲しいな。っていうか、もし善かったら、手伝って欲しいんだ」
「え?」
ボクは目を閉じた。
決意は言葉になる。
「書き上げようと思うんだ、ボクは」
なんでだか引っかかる些細だけど確かにあった出来事が、幾つもある。
でも、それは纏まるなら、きっと一つの物語になるんだとボクは思う。
何故だろう。
いつも自信のないボクが何故だか、不思議と。
確信している。
「ボクは一人の女の子が最後に見た物語を書き上げたい。だから、瑞恵にも手伝って欲しいんだ」
ダメかな?
そう見上げた瑞恵は、ボクを力づけるように頷いてくれる。
「大好きな兄ちゃんのためだもの、手伝わない訳ないじゃない!」
力強い協力者を得たボクは。
物語を書き上げるために、動き出す。
つづく