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3.堕ちるとき

3.堕ちるとき


毎晩の日課のようにお互いを罵り合い傷つけ合うような親から、よくもまぁ瑞恵のようなできた妹が生まれるものだと、思う。

ボクはそんなことを思いながら、通い慣れた道を歩く。

夜には人気も少ない住宅街だけど、朝はそれなりに活気があるように思う。

でも、その多くはボクとは逆方向に進んでいる。

それもその筈で、僕の通う高校は市の外れにあるけれど、皆が向かっているのは学校とは住宅街を挟んだ反対側だった。そちら側は街の中心で、何より私鉄二つが交差した大きな駅があるので、ここらの寂れた住宅街よりは遥かに活気もある。

だから、スーツや、それに似たちゃんとした服装の大人たちが向かうのは、ボクとは正反対だった。

もう少し時間が遅くなれば、学校に向かう学生の姿もちらほら見かけるんだけど、今はボク以外喪服のように真っ黒な姿を晒す者はいなかった。

「ちょっと、早かったかな?」

ボクは缶コーヒーでも買って、公園で朝食にしてしまおうかと考えている。

早く着いたら着いたで教室ででもパンを齧って寝ればいいと思っていたが、それも魅力的な案に思える。

足早に街の中心にある駅へと急ぐ大人たちは、公園には目もくれないようだった。

足を踏む入れる人もいるようだけど、ショートカットとして使用するだけで、公園にとどまっている人は皆無だ。

そこは住宅街にあるお情け程度の公園だけあって、広くはない。

だけど、のんびりと朝食を食べる程度に腰を落ち着けるには、充分すぎる場所だと思う。

ボクは目に付いた自動販売機に小銭を入れると、気に入りのコーヒーを探した。

肌寒さもまだあるから赤の段が目に付きそうだったけど、ボクは青の段のボタンを選んでいた。

猫舌のボクは、あたたかいより冷たい方を好む習性があるのだ。

「…ふむ」

そうして、ボクは朝食だけでもなく、飲み物までも手にすることができた。

こうなってくると公園でのんびり優雅に朝食という考えが、俄かに現実味を帯びた実行可能な試案になってくる。

なら、試すのも手だろう。

ボクはそう心の中で呟き、行動に移すことにする。

と、いっても。

小山のような遊具に空けられたトンネルのような所に潜り込んだだけ、だけどね。

こうゆうのも遊具って言うんだろうか、ボクは判らない。

大人の背丈ほどのコンクリートの塊に屈めば通れるくらいの穴が開いているものが、ボクが腰を落とした遊具の全景だ。

表側にはコの字型の取っ手や、子供が掴める天然石などが埋め込んであって、よじ登れるようになっていたりするから子供も遊べそうだ。

だけど、真ん中をぶち抜いたこの穴の意味が、善く判らない。

雨は凌げそうだけど、まっすぐ一本のトンネルだ。

しかも、そのトンネルも2Mもない。

もしかすると子供なら楽しく遊べるのかもしれないけど、ボクにはどんな楽しみがあるのか予想もつかなかった。

「ま。助かるから、いっか…」

コンクリートの小山。

その小山の中のトンネルは、雨だけでなく人目も凌げそうだった。

まだ、学校が始まる時間ではないので咎められることもなさそうだけど、学生が公園でパンを貪っている姿は珍しいような気もするので、少しは気を使っておくコトにする。

ボクは缶コーヒーのプルトップを押し上げると、一口啜った。

苦味が少なく、甘い味がボクの頬を緩ませる。

「んまい」

言いながら、持っていたパンの袋を漁り、頬張る。

「んまい」

ボクは寂しい朝食でも、楽しく食事している。

元々、味よりも量を食事には求めるタイプだ。

パンとコーヒーだけでも充分に、嬉しくなれるのだ。

「……ボキャブラリーないね、アキラさん」

「でも、なんかヌイグルミがご飯食べてるようで、愛らしいわよ」

ふぐぐ?

ボクがもごもごとパンを口に押し込んでいる横から声がかかり、ボクは慌てる。

思いもかけないところで、思いもかけない声だったから、驚きも大きい。

「やだっ! 驚いてパンを吹くって言うオヤクソクも守らず、パンを租借してやがりますわよ、この人」

だって、吹いたらもったいないじゃない。

意地汚いと思われるかもしれないけど、やっぱり食べ物は食べるためにあると思うんだけどな。

「見た目通り、食い意地が張ってるんですよ」

少し悲しいけど、たぶんボクの見た目はそう感じられるものなんだろう。

自分ではそんなに太っているつもり、ないんだけどなぁー…。

「しかもなんか、両手でパンを持って食べるなんて熊みたいな癖して、小動物のリスみたいな食べ方をしてやがりましたわ。狙ってるんでしょうか、沼クン」

いいじゃないか。

ボクがどうパンを齧っていたって!

人目がないと思ってパンに齧り付いていたところを見られてしまったボクは、内心で叫んでいた。

食べるトコが、恥ずかしいとは思わないけれども、後から解説されると妙に困るし、照れ臭い。

「ゴリラなどの動物も餌を確保して、周りに天敵がいなければ両手を塞いで食べることもあるそうですから、自然な姿なのかもしれませんよ」

えらい言われようだな、なんか。

フォローしたように見せかけつつ。

ゴリラと、同列ですか?

「…沼クンに、ゼロ子さん。おはよー」

ボクはできるだけ急いでパンを飲み込むと、コーヒーを一口啜ってから挨拶をする。

少し視線に怒りみたいなものを滲ませたつもりなんだけど、二人には何処吹く風といったように流されまくっている。

「おはよう。

 アキラさんはマイペースだね。もう少し驚いてくれると思っていたよ」

いや、充分驚いています。

目の前にいるのは、眼鏡をかけた線の細い男の子だった。

朝日の中で見たことこそないし、有名私立中学の制服を着こなした今は別人のようだけど、それはボクが子供たちが集う夜に見ていた「沼クン」だった。

「おはようございます、アキラちゃん。こんなところでお食事なの?」

そして、同じ系列の女子高の制服に身を包んでいるのは、「ゼロ子」さんだ。

一見、暗いような灰色の制服だけど、やっぱりどこか上品な感じがある。

上品なグレーの制服は、口を閉じているゼロ子さんにはとても似合っていた。

「二人って、知り合いだったんだ…」

二人とも夜の集会の常連だってコトは、時折しか顔を出さないボクでも知っている。

でも、二人が知りだとか、そんな素振りは、感じたことがなかった。

鈍いボクなので、見逃しているだけかもしれないけど…。

「まぁ、俺ら、いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんだからね。似たような学校に通うのも、しょうがないんじゃないの?」

自分で「いいとこの坊ちゃん」と言い切ってしまうのが、沼クンの非常に格好善いトコだと思う。

実際、間違いじゃないんだろうから、どこからも文句がこないのだろうし、さらりといわれてしまうと何も言えない。

でも、そうか。

やっぱり沼クンは、中学生だったんだ。ボクはあの夜に推測した沼クンの年齢があたっていて、少し嬉しかった。

「ねぇねぇ、なんでこんなとこでご飯してるのって質問の答えはー? 私はねぇ、今日は、えっとナニ食べたかな? うんと、やっぱりトーストは朝だから欠かさないんだけど、後は…」

「麗子さん、今は『子供たちの夜』じゃないんだから…」

勢い込んでボクの隣へと腰掛け喋りだしたゼロ子さんを、沼クンは強めの口調で嗜める。

ゼロ子さんは、自分の事をまるで喋らない夜に集う連中の中では珍しい、喋りたいコトを喋り倒すタイプの人だった。

本当に喋るのが好きな人なんだと、思う。

だけど普段できないから、世間からも子供の中からも外れてしまったような子供たちの夜でだけ、彼女は自由に振舞えると言っていた。

ただボクはあんまり喋るコトも、女の子に隣に来られるコトも得意としてないどころか、苦手としているので、実はちょっとだけゼロ子さんが苦手だった。さり気に、ゼロ子さんを留めてくれた沼クンには、感謝したい。

「はーい。おしとやかにしてればいいんでしょ…」

ゼロ子さんは、ぷうと頬を膨らますと、沼クンの言葉に従う。

すらりと立ち上がった瞬間に、トンネルの屋根に頭をぶつけそうになったのはご愛嬌だろう。真面目でしっかりとしていそうな外見だけど、少し天然に惚けたところがあるのだ、ゼロ子さんという人は。

「おしとやかモードでございます~」

言って、微かな微笑を湛えた顔で手提げ鞄を膝の前に両手で持てば、見事な良家の子女に見えるから不思議だった。

女の人って、凄い。

「朝はあまり時間も無い。今度、出会う『子供たちの夜』にでも、また喋ればいいじゃないですか」

沼クンの言葉に、ゼロ子さんは口を開く事もなく、頷く。

きっと、喋りたくてウズウズしているに違いない。

口を開けてしまえば、喋り始めてしまうほどに。

「では、そういうことで。また夜にでも会いましょう、アキラさん」

「う、うん」

場を仕切る沼クンに呆気に取られながら、ボクは頷きを返す。

「行きますよ、麗子さん」

こくりと黙ったまま頷きを返した良家の子女は、しずしずとおしとやかな足取りで彼に続く。

二人の姿が公園から消えれば、トンネルの中はおぉーんとした微かな反響音しかなかった。

嵐が過ぎ去ったようだと、ボクは感じていた。

「しかし……」

ボクは思う。

「やっぱり、レイ子だからゼロ子って名乗ってたのか…」

そのまんまじゃないかと、ボクは思わずにはいられなかった。




公園での優雅な朝食と共に奇妙な再会をしてしまったボクは、またも奇妙なものと出会っていた。

場所は昇降口から少し横にずれたところ。

昇降口と自転車置き場を繋ぐ渡り廊下のようなところだ。

まだ、始業には早い筈だけど、喪服のような真っ黒い服と、鮮やかではない青の衣装に包まれた若い人たちが随分と集まっている。

女子の制服も黒だったら、文字通り以上に黒山の人だかりだったのだと思う。

「…なんだろう?」

多少の胸騒ぎはあった。

そこはボク達が、夜に集まる場所に程近い場所だった。

だから、少しの不安もある。

最近のボクは集会に出ることはなかったけれど、もしかしたら昨日も集まりがあったのかもしれない。

ううん。

集まりがあったというのは、違うかな。

顔を出していた時に、何日の何時に集まろうって話は誰も口にすることはなかったように思う。

約束を取り決める必要なんかない。

あそこに集う連中の誰も彼もが気紛れに足を運んでみたくらいな気持ちなのだと、思う。

ただそれでも、何人かが集まってしまうだけ。

だから本当は、集会でも何でもないんだ。

なんだか寂しいから。

家に居たくないから。

現実に少しだけ疲れたから…。

ボクらはここに一時の逃げ場所を求めているだけ。

子供たちが逃げ込んだり、休みに来る夜だから、かな。

沼クンは集まりとか集会とかの言葉を使わず、『子供たちの夜』とだけ、言っていたように思う。

「蝋燭とか、かな…」

ボクは思いついた問題に、きりっと胃の痛みを感じていた。

リオとか沼クンとか、未知クン。

あと、なんだったかな。ミオミオとか…。

他にも、名前も知らない常連さんがいたと思う。

ボクなんかより遥かに物凄まじく確りしている、常連の誰かが一人でもいれば、火の管理とか大丈夫だって安心できる。

でも、ボクらがここに足を運ぶのに、ルールはない。

常連のいない日だって、あると思う。

ううん。

常連の人が来ていたとしても、常連の人が最後まで残るルールなんてないんだ。

たまにフラリと来るライさんとか…でも、彼は大丈夫か。

失礼かもしれないけど、ボクに少し似ていて小心者な感じがするから、火の始末とかはしっかりしてそうだ。

…弾駆クンとかは、不安かな。

生真面目な子だけど、意外とおっちょこちょいなところ、ありそうな気がする。

「すぐ、警察が来るんだ! オマエら向こうに行けっ!!」

警察という言葉に、ボクの蚤の心臓が跳ね上がる。

ただの予想だった不審火の不安が俄かに膨れた。

「ちょ、ちょっと、ゴメン…」

ボクは「警察来んのー?」「ナニがあったか、見えないよ」なんて、言葉を発している障害物に謝りながら、できるだけ人だかりの中心へと進み出る。

ボクは人込みを歩くのも苦手だったので酷くモタモタと周りに迷惑をかけながら、それでも足を進めている。

膨れ上がる不安を胸に、ボクは教師と呼ばれる大人のバリケードが見える位置まで移動できていた。

でも、ダメだ。

なにがあったかなんて、ここからじゃ判らない。

ボクは既に壁となる黒と紺の障害物を押しのけてまで進むことを決意する。

謝る事なんて、もうできない。

なんでだか、焦っている。

「きゅ、救急車じゃないのかよ」

震える声が耳に触れる。

「で、でも…だって、あれじゃ……」

呆然とした呟きは、それに返ったものだろう。

不思議と、中心に行けば行くほど騒がしかった周りの空気が、重い。

重苦しいほど、空気が澱んでいる気がした。

「どいて…どいてよっ!!」

鼻に触れる微かな臭いが、あった。

それは今や期待とさえなっている、煙の臭いなんかじゃない。

時折、ライさんが持ってくる臭いだと思った。

人と殴りあうケンカが趣味のようなライさんが、香らせる臭いに近い香りをボクは感じている。鼻をつく、今の臭いは遥かに強いけど、でも、確かに同じものなのじゃないかとボクは感じていた。

「どけーっ!」

不安が爆発的に膨らんで、ボクは叫んでいる。

叫ばずにはいられなかった。

最悪な。

最悪な事態が。

目の前にある気がして、ならない。

押しのけた大人たちが最後に立ちはだかる壁だったと、ボクは知る。

大人たちさえ、頭と感情で遠巻きにする惨劇だったのだろう。

「……」

 だが、ボクには理解できないでいる。

そこは昇降口と自転車置き場を繋ぐ渡り廊下だ。

土足で行き来するから廊下ではないのかもしれないけれど、雨を少しだけ防いでくれるアーケードのような屋根と、腰の辺りまで隠すような壁が両側にある。

だから、壁にはさまれるコンクリートの床に座ってしまえば人目も気にならない、そんな場所だ。

そこは、居場所をなくした子供たちが辿り着いた、寂しい夜を過ごすだけの場所。

慰めなどなく、ただ雨宿りをするだけの場所だったのかもしれない。

だけど、ボクにはかけがいのない場所で。

かけがえもない人が…仲間が、集っていた場所だった。

「…なんで?」

その場所に、色の白い少女が眠っている。

「なんで、リオが…」

見慣れぬ制服を着た美しい少女が、腰の高さほどの壁に背を預け眠るように目を閉じている。

見慣れぬ制服は、しかし、今朝ボクが見たものだ。

破られ。

染まり。

既に、違う代物になっているかもしれない。

元は同じコトは判る。

それは今朝、ゼロ子さんが着ていた上品な灰色の制服と、元は同じものなのだろう。

けれど、そこに上品さはない。

微塵もなかった。

破られ、赤黒い液体に斑に染められたグレーの制服は、血の気を失くした少女の肌を、強調するためだけに存在する。

上品も、下品もない。

ただ、青いように白い肌蹴られた少女の肌を引き立てるだけの、存在だ。

柔らかにとがる胸を。

健康的にすらりと伸びる足を。

醜く赤黒い液体で穢されながらも、損なえもしない少女の美しさを世界に突き立てるだけ。

「あ…ぅ…」

リオじゃ、ない。

ガンガンと痛む頭が叫ぶ。

吐き気があった。

むせ返るような血の臭いが、澱む空気に根深く滲む。

ボクは狂い始める体を感じていた。

リオじゃない。

目の前にあるのは、リオだったものだ。

判る。

判るのに、体が反応している。

心が拒絶する。

耐え切れず、ボクは吐いていた。

惨めに。

無様に。

ゲエゲエと喘ぎながら、吐き続ける。

租借されたパンが、飲み干したコーヒーと胃液を含み醜悪な臭いと、蠢く虫のような姿を見せる。

加速する。

吐き気も、頭の痛みも。

息が荒い。

袖で、拭う。

拭い去りたくて、腕を動かす。

そして、ボクは気付く。

消え去って欲しいと拭った場所は、約束の証を受けた場所だったと。

リオが触れてくれた唇を、ボクは穢している。

ぞっと、体が竦んでいた。

それが。

ボクの意識が途絶える最後だった。


つづく

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