第三章 五人委員会
1
時代を遡ること四百年、二〇二〇年八月の北京の気温は連日四十度を超えていた。
異常気象で雨はここ数年ほとんど降らず、中国は深刻な水不足に陥っている。
市民が新鮮な水を欲すると一ガロンで一万元という、べら棒な人民元を積まなければならなくなっていた。
中国は二〇〇八年の北京オリンピック、二〇一〇年の上海万博と成功させ、既にドイツや日本を凌ぎ、その威信が衰えたとはいえ、未だ世界に覇を唱える米国と肩を並べるほどの軍事大国、経済大国にのし上がっていた。
しかし、一人っ子政策の影響で急速に高齢化が進み、国民の生活は決して豊なものにはなっていない。
特に、経済格差から内陸部に不満が鬱積し、独立を企てる者たちによるテロ行為が頻発していた。
そう、過ってのイラクやアフガンのような状況を呈していたのである。
約十五年続いた胡錦濤政権は倒され、新人民開放軍による軍事政権が誕生し、早や五年の歳月が経過していた。
市内には武装警官と兵士が溢れ、少しでも疑わしいと見られた者は直ぐに逮捕された。
彼らを待っているのは熾烈を極める拷問、その苦痛に耐え切れず、遣ってもいない己が罪を認めた者たちは、天安門広場において次々と公開処刑に処せられたのである。
広場の石畳は流された血が固まり、洗い流しても容易に消えることはなかった。
毎年処刑される者の数は、全国で数十万人とも数百万人とも噂されている。
中国は軍による恐怖政治ともいえる状況に陥っていた。
更に軍事政権は、欧米諸国や日本などの諸外国からの人権擁護論には耳を傾けず、国連脱退も辞さずの強硬な態度を取り、各国の首脳を悩ませていた。
経済ばかりか軍備においても、最早米国に比肩するまでになっていたのである。
まさに、眠れる獅子が目覚め、その咆哮は世界のパワーバランスを崩し始めていた。
経済援助という甘い飴で釣り、次から次にアフリカ諸国を傘下に取り込んでいった。
天安門広場にデンと座る毛沢東記念館の内部では、更に恐ろしい計画が練り上げられていたのである。
2
毛沢東記念館の奥まった一室では、五人委員会といわれるメンバーによって会議が開かれていた。
黒檀でできた豪華なテーブルには、光に浮かびあがる巨大な毛沢東主席の肖像画を背に大柄な男がゆったりと座っている。
その両側に二人ずつ、四人の男が姿勢を正して座っていた。
しかし、室内は薄暗く五人の男たちの顔は見えない。
少し離れた椅子には現軍事政権のトップで中央政府軍の最高司令官でもある陳健が、肩をすぼめ俯き加減に、視線を床に落とし座っていた。
右側に座る筋骨隆々の男が口を開いた。
「陳将軍」
「はッ!」
陳健はビクッと肩を震わせ、視線を上げると畏まって応えた。
心なしか、肩口が震えている。
「テロが酷いようだが……」
「はっ、……ま、真に申し訳ございません。全力を尽くして取り締まってはいるのですが……。なにぶんにも……」
額に浮んだ汗を拭いながら、陳健はシドロモドロに応えた。
「言い訳はよい。御神が大変お怒りだ」
「ま、真に申し訳ございません。い、一命に代えましても……」
「もう、よい。その言葉は聞き飽きた。どうやら、我々は貴様を買い被り過ぎていたようだ」
「しっ、しかし……」
「黙れッ! 言い訳はよいと申すに」
「はッ!」
陸剛は毛沢東の肖像画を背に座る中央の男に視線を向け、頭を垂れた。
「同志陸剛よ、もうよい。陳将軍も二度と間違いは犯さぬはずだ。のぅ~?」
中央の男はくぐもった声で言った。
「はっ。陳将軍、御神からのありがたいお言葉だ。もう一度機会を与える。どうやら首が繋がったようだな。御神に感謝申し上げろ」
「はっ。肝に銘じまして……」
「もうよい。下がれッ!」
陳健が退出すると、御神と呼ばれる男が静かに言った。
「あの男、もう少しは使える男だと思っていたが……」
「そろそろ代え時か、と……」
と、右側に座る男が御神の言葉を受けると、他の三人も黙って頷く。
「フーム……、まあ、考えておこう」
陳健が部屋を出て行くと、厚さが一メートル以上はあろうかという鋼鉄製の扉が音もなく閉じられた。