第二章 “MAO”と呼ばれる男
1
二四〇八年八月……、灼熱の太陽がギラギラと輝き、大地を焦がしている。
地球は四百年という時を経て、漸く核戦争による汚れが浄化された。
天空には真っ青な空が広がっている。
樹木や草花が生い茂り山野を美しく埋め尽くしていた。
清流は野原を真っ直ぐに横切り森へと続き、その姿を消している。
清流を辿って森に踏み入ると、満々と水を湛えた美しい湖があり、流はそこに注ぎ込んでいた。
湖はどこまでも青く澄み、群れ集う魚影が、まるで鮮明なハイビジョンテレビの画面に映し出された如く見て取れる。
湖の対岸に大きな白亜の建造物がある。
二階建てのその建物は、わずかに木々の梢から顔を出していた。
自然に配慮した美しい造りで、その姿は違和感もなく自然の中に溶け込んでいる。
二階のベランダに立ついくつかの人影が、美しい景色を眺めていた。
その中のひとりの人物に双眼鏡の焦点を合わせると、
・・“MAO”だ、とうとう捕らえた。……今度こそ、逃がしはしない・・
猿の御頭(エンのオカシラ、通称オカシラ)と呼ばれる男は独り呟き、その気持ちの昂ぶりを抑えるように、ゆっくりと後ろに控える四人の顔を顧みた。
そしてもう一度双眼鏡を覗くと、レンズに映るその人物が、取り巻きと思しき男に何事かを囁きかけた。
猿は読唇術に長けていたが、流石にこの距離からでは、唇の動きを読むことはできない。
しかし、その囁きの意味は、直ぐに理解できた。
五人は既に、牙を剥く獣たちによって包囲されていたのである。
その獣たちが近づく物音に、猿はおろか四人の部下の誰も気がつかなかった。
・・いったい、どこから湧き出たか……?・・
そのことが、猿をわずかながら動揺させた。……が、
「円陣を組めッ!」
対応は速い、猿は鋭く部下に命じる。
選りすぐりの四人は、直ぐに円陣を組み、臨戦態勢を整えた。
「ギェーッ!」
獣たちは怪鳥の様な恐ろしい咆哮を上げながら、次々と五人に襲い掛かってきた。
「数十はいるぞ、油断するなッ!」
猿が鋭く言い放つと、同時に、
「ギャーッ!」
と断末魔の悲鳴も短く、一匹の獣が、上空から血煙と共に降ってきた。
少し間を置いて、迅八がふわりと上空から舞い降りる。
猿が二匹目の頭蓋を両断し、周りを見回すと、
「オカシラッ!」
と呼んだ青怪が、屍骸の方を顎でしゃくった。
振り向いて屍骸に視線を遣ると、血に濡れた獣は、なんと、人間に姿を変え始めている。
「ん……、やはり獣人か……」
と、悲しげに呟いた。
猿は、どのようにして獣人が造られるかを知っていた。
「引き上げるぞ! 来た時のようなわけにはいかんぞ、覚悟してついてこい!」
「はッ!」
「虎助と獣蔵、オマエたちは先陣、ワシが後詰だ」
「猿の頭、後詰は俺が」
「いや、俺が」
後詰が最も危険なことをみな承知しているが、袁の命令は絶対だ。
「青怪は右、迅八は左だ」
と、猿は手短に命じた。
次々と襲い来る獣人を蹴散らしながら、五人は疾風の如く走り抜ける。
速い、五人のスピードは恐ろしく速い。
たちまちのうちに、獣人を振り切っていた。
後に残されたのは、断末魔を迎え人心を取り戻した、獣人たちの物悲しい呻き声ばかりであった。
猿は獣人を切り倒しながらも、彼らに対する哀れみと共に、先ほどベランダで見たMAOに対する憎しみが込み上げてくるのを禁じ得なかった。
2
森を抜けて草原に足を一歩踏み出すと、カーキ色の軍服に身を包み頭上の帽子に赤い星を付けた、夥しい数の兵士が辺りを埋め尽くしている。
「チッ!」
猿が短く舌打ちをした。
異様なのは全員の顔が同じことである。
そればかりか、体型も同じなら、全くの無表情……。
「なんだ、こいつらは?」
滅多に動揺を見せない青怪が驚きの声を上げた。
と同時に、その一団が声もなく五人に襲い掛かってきた。
武器は両手に持った鋭い牛刀だけである。
虎助の忍者刀が、飛び掛ってきた兵士の牛刀と共に片腕を断ち切った。
しかし、その兵士は噴出する血に全く動揺を見せず、無表情だった顔を鬼の形相に変え、歯を剥き出し、喰らいつかんばかりの勢いで迫ってくる。
猿の超合金製の大型ナイフが真横に降られると、その男は内臓を撒き散らしてドドッと倒れこんだ。
それでも上半身はまだ敵意を向け、内臓を引きずりながらズルッズルッと猿に這いずり迫ってくる。
猿は幾多の修羅場を潜りながらも、今まで抱いたことの無い恐怖という感情を、初めて持ち始めていた。
「首を狙えッ! 頭を断ち割れッ!」
しかし、猿は直ぐに自分を取り戻し、男の頭を踏み潰しながら部下に指示を発した。
グシャリと潰れた頭蓋は、辺りに脳漿を撒き散らす。
猿は身長が二メートル、体重は百二十キロを超えるが、その身のこなしは常人には目にも留まらないスピードを持っている。
その握力は人間の頭も軽く握りつぶし、直径が五センチはあろうかという鋼の棒を軽く折り曲げる。
次々と襲いくる敵の首を右に左に跳ね上げ、頭を断ち割り、踏み潰し、阿修羅のごとき働きを見せている。
青怪たち四人も猿に負けず劣らずの猛者揃いである。
青怪は、猿に身長でこそ劣るが体重は百五十キロを超える巨漢で、その腕力には猿も舌を巻く。
いつだったか、猿が折り曲げた鋼の棒をまるで飴細工のように結んだことがある。
武器は重さ五十キロを超える超合金製の金棒だが、まるで乾いた竹の棒でもあるかのように、片手で振り回す。
3
無人の野を行くがごとく猿が縦横無尽に駆け巡ると、腕が飛び、足が飛び、首が飛ぶ。
しかし兵士は、暫く切られたことに気づかない。
牛刀を振りあげようとして、その違和感から腕のないことに気がつき、飛び掛ろうとして倒れ、足のないことに気づく。
地面に転がった首は、瞬きをして不思議な表情を浮かべる。
なぜ己の顔の側に地面があるのか、理解できないのだ。
やがてそのことに気づくと、一瞬表情が恐怖で引き攣り、間を置いて静かに眼を閉じる。それほど見事な切り方だった。
比して、青怪の金棒が唸りをあげると兵士の頭は一瞬で消え去り、一拍置いて身体が崩れ落ちる。
獣三の鉤爪が兵士の身体を引き裂き、迅八の身体が宙に舞い、礫が唸りをあげて兵士の顔面に喰い込む。
そして虎助の忍者刀が、兵士たちの間を駆け抜けながら煌めきを発すると、雲霞の如く群れ集う兵士たちの其処かしこから血煙があがった。
一刻ばかり続いた戦いも漸く終息を迎えつつあった。
恐れを知らぬ兵士の一団も、五人の戦いぶりに、本能が恐怖するのか、文字通り尻尾を巻いて逃げ始めた。
猿が、ふぅーっと大きく息をついて呼吸を整え、
「追うなッ!」
と命じると、はっ、と応じて、四人は猿の周りに集まった。
返り血を浴びて、全員が真っ赤に染まっている。
普通の人間が彼らと出会ったら、その恐ろしさに卒倒することであろう。
まさに阿修羅だ。
四人はまだ肩で大きく息をついているが、猿は既に平常の呼吸に戻っていた。
「逃げたようだ。だが、油断するな」
猿が辺りに警戒を怠らず囁いた。
「こいつらは一体何者でしょう?」
と言う、青怪の問いに、
「クーロンだ。戦うことだけを脳に刷り込まれた人間……、否、機械と言った方が正しいかもしれん。まるで感情がない。最後は、動物のように、本能的にこちらの怖さを感じたのだろう」
「それで逃げた」
「さっきの獣といい、この連中といい、なんとも恐ろしい連中です。この先、何が出てくるか……」
と言って、身体を両断されてもまだ牙を剥く頭蓋を、青怪がグシャリと踏み潰した。
その緑の草原を抜け出ると、延々と砂漠地帯が続いていた。
鉛色の空は太陽の光を遮り、地表は不毛の大地となる。
猿は、先ほど見た風景は夢か幻かと自問した。
やがて、噂には聞いていたが、この地獄のような世界にも、自分が生まれた当時の日本を彷彿させる美しい地があったのだと改めて感動を覚えた。
4
どういった影響なのか、世界を巻き込んだ核戦争以来、それまでなら超能力者と呼ばれたであろう者たちが、当たり前のごとく出現した。
・・“異界の舟”のモノたちも、そこまでは人間の能力を見抜けていなかったようだ・・
中でもこの五人のような計り知れない人間、つまりは超新生人といわれる化け物も誕生していたのである。
「ご苦労であった。全員無事に戻ったか?」
広大な砂漠のほぼ真ん中の地下に、巧みにカモフラージュされた反乱軍の基地がある。
その一室で猿は、幸之長と呼ばれる男から労いの言葉を受けていた。
「はい。やはり選りすぐりの連中だけのことはあります。あれだけの戦いにも、誰一人として、掠り傷も負ってはおりません」
「それはなにより、ゆっくり休養させてくれ」
「はッ! 心得ております」
「で、何かわかったことはあるか?」
「はい。幸之長様のおっしゃられた通り、奴が、MAOがおりました」
「やはり、な。こんな時代まで来ておったか……」
「かなり離れておりましたが、あれは、間違いなく奴でございます」
「そうか……。今度こそ逃がしてはならぬ」
「御意」
「猿よ、すまぬが、もうひと仕事頼みたい」
「はっ」
「それと、“霧”とその仲間も呼び寄せる」
「なるほど、いよいよ最終決戦でございますナ」
猿は命ぜられるまでもなく、自らも決着をつけたいと考えていた。そして、
・・MAOを、あの悪魔を、霧などの手に渡すものか。俺の手で、必ず消滅させる・・
と、独り呟いていた。