第一章 謎の武器
第一章 謎の武器
1
一九九五年七月……、梅雨特有のジメジメとした雨が早稲田の森に降り注いでいた。
著名な考古学者谷口和夫は研究室で院生と共に、縄文時代の墓から発掘された特異な人骨の調査に没頭していた。
その時代の遺跡から、石や動物の骨の鏃が刺さった人骨は時々出土する。
しかし、今谷口が手にしている頭蓋骨は、脳天から真っ二つに断ち切られていた。
しかも、それだけに止まらず、二つに縦割りされた背骨と腰骨も発掘されている。
つまり、脳天から股の付け根まで、鋭い刃物で、一気に切り下げられたとしか理解の仕様のないものだった。
それが一体だけではなく、数体発掘されていた。
また、斜め、横、縦と縦横無尽に断ち切られた人骨、強力な圧力で粉々に粉砕された頭骨も一緒に出土していた。
当時そんな鋭い刃物があるはずもなく、また石斧では絶対に不可能な仕業で、谷口と院生たちは頭を悩ましていた。
その日、谷口の元に興味ある電話がかかってきた。
それは、関が原の戦場跡の発掘現場に送り出している院生からのものだった。
宅地造成の折、数多の人骨が出土したため、京大教授の村中典敏から谷口に協力が求められたのだ。
二人は幼馴染であると共に、京大の考古学研究室の同期生だった。
谷口は四、五百年前の近代考古学にはあまり興味がなかったので、自らは出向かず研究室の院生、田所と村井の二名を派遣していた。
電話の主は村井だった。
「きょ、教授、た、大変なモノが発掘されました」
村井は興奮気味に話し出した。
隣に田所も居るのだろう、うんうんと頷いている様子が手に取るようにわかった。
「わかった、わかった。落ち着いて話なさい」
「し、信じられません。同じ、同じモノです」
「いったい何と同じなンだね?」
「骨です、骨……、頭蓋骨。まっ、真っ二つです。背骨も腰骨も……、まったく研究室の骨と同じです」
「こいつと……」
谷口は手に持っている両断された頭蓋骨に目をやった。
「は、はい。とにかく、直ぐにいらしてください」
「村中君は、村中先生は何と言っているのかね?」
「はい、村中教授もわけがわからんと言っています」
「先生は近くに居るの?」
「いえ、先ほど学校へ戻られました」
「そうか、では学校に電話をしてみよう。君たちは写真を撮って、私のコンピューターへ転送してくれ」
「はい、わかりました。直ぐにお送りします」
「うん、全てはその写真を見てからだ……」
谷口は呟くように言って電話を切った。
2
しばらくしてメールを開いた谷口は驚愕した。
その写真には、まさに村井が言っていたモノが写っていたのだ。
・・本当だった。これで、私の考えが立証されるかもしれない・・
鎧と一緒に出土した人骨は、ひと目で当時の武将たちのモノとわかった。
・・これで、イタリア、エジプト、インド、中国、そして我が日本では二例目の同じ切り口の人骨が発掘されたことになる。しかし……・・
谷口は自問し、
・・しかし、不思議だ。それぞれの間には、数千年の差がある。しかも私の見立てでは、同じ刃物? で切られている。そんなことが、あるはずはない……。同じ刃物が数千年に亘って、人から人に受け継がれているのだろうか? 否、そもそも四千年も五千年も前に、そんなモノが作れるはずもない。神代の神器……、“草薙の剣”か、或いは宇宙人からでも貰ったと言うのか。フフフフ……、あり得ない、あり得ない・・
と、自ら否定した。
「教授、新幹線の予約、お取りしましょうか?」
秘書の畑中洋子だ。
「否、いい」
「えっ、村井さんが直ぐに発掘現場に来て欲しいと……」
「もう行く必要はない。この写真で十分だ」
と言って、谷口はコンピューターの画面を指差した。
畑中や他の院生たちも次々に覗きに遣って来た。
「ひぇー……、田所や村井が言っていた通りだ」
「研究所の人骨とまったく同じだ」
口々に驚きを表す。
「どうだ、行くまでもないだろう」
「でも教授……」
「畑中君、悪いが中国、北京行きの航空券を押さえてくれ」
「えッ! いつですか?」
「できるだけ早く。そう、できれば今日にでも」
「教授、いくらなんでも、それは……」
「ハハハハ……、だろうね。誰か、清華大に電話してくれないか?」
「胡蝶助教授ですね」
「そうだ、彼女は中国考古学会の若手ナンバーワンだからね」
「確か、京大の村中教授の弟子でしたね」
「そうナンだよ。私の教室へ迎えようとしたのだが、何しろ私大は授業料が高くて……。みすみす有能な人材を村中に取られてしまった」
谷口が肩を落として言った。
「教授、ここにも有能な人材が沢山いますよ」
畑中が口を尖らした。
「ハハハハ……、谷口教授が肩を落としたのは、それだけじゃないンだ。ねぇ~、先生」
「えっ、そりゃまぁ……、色々と……」
「ものすごい美人ナンだよ。ねぇ~、先生……」
「あっ、うん、まあ、美人ではある、が……」
とっても気が強いと言おうとして、言葉を切った。
「ま~あ、教授ったら……。わ、私というものがありながら……」
畑中がハンカチで目頭を押さえる振りをした。
「えっ、先生、まさか?」
「ハッハハハハ……、あり得ない、あり得ない」
「ま~あ、山田助教授、どうゆう意味ですか?」
「あっ、えっ……」
と、山田が首をすぼめた。
3
翌々日、谷口は清華大の胡蝶助教授を訪ねるために北京へと旅立った。
胡蝶は京大への留学を終えて帰国後、直ぐに西安で不思議な人骨を発見した。
その人骨をひと目見た胡蝶は、以前村中教授に連れられて谷口の研究室を訪れた時に見た縄文時代のモノと同じことに気がついた。
連絡を受けた谷口は、直ぐに調査をさせて欲しいと、中国考古学界の重鎮で清華大教授の車任民教授に連絡したが、派閥意識からかそれは拒絶されたのだった。
しかし今は、谷口と同じ京大派に属する張小平が教授である。
しかも張は胡蝶の師でもあった。
谷口が電話をすると、直ぐに胡蝶は承諾した。
そして、素人ながらまだ見ぬ遺跡の発掘において天才的と讃えられる、第一発見者の農民考古学者の林剛を紹介すると言ってくれた。
更に大学の授業を休校にして、林剛を訪ねるため西安まで同行してくれることになった。
中国語があまり得意でなく、調査費用も限られていて通訳を雇う余裕もない谷口にとって、それは何よりのことだった。
特に西安の言葉には方言が入っており、普通語を少し齧っただけの谷口一人では、調査も覚束ないことであったろうことは容易に想像できる。
飛行機は三十分ほど遅れて到着したが、北京空港では胡蝶が待っていてくれた。
「谷口教授、谷口教授……」
出迎えゲートを潜ると直ぐに胡蝶の姿が目に飛び込んできた。
・・まったく変わっていない。もう十年になるのに、相変わらず美しい・・
谷口には胡蝶の姿が眩しかった。
「谷口教授、お久しぶりです」
胡蝶が手を差し出した。
「あっ、胡蝶助教授。わざわざお出迎えをいただきまして……」
谷口は握手をしながら、その柔らかな感触に、思わず照れて視線を床に落とした。
胡蝶はすかさず携帯を取り出すと、運転手に電話を入れた。
遣って来たのはベンツ製のマイクロバスで、車体には精華大と大書されている。
「谷口教授、私、驚きました」
「あっ、メールを見ていただきましたか」
「ええ、畑中さんという方から、昨日送られてきました」
「私も驚きました。私の手元にある縄文時代の人骨が、恐らく三、四千年前のモノです。ところが今度出たモノは、僅か四百五十年ほど前……」
と谷口が首を傾げると、
「私が発見したモノは、秦の時代のものですから二千七百年から二千二百年ほど前、どう考えても辻褄が合いませんわ」
と、胡蝶が応じる。
「しかも、しかもですよ、胡蝶助教授」
「えっ、あっ、はい」
谷口の話し振りに驚いた様子で、胡蝶は座席で姿勢を正した。
「同じナンです」
「はっ……?」
「同じナンです。私の見立てでは使われた刃物が、……同じモノなのです」
谷口は興奮気味に話した。
「えっ、まさか? いくらなんでも、そんなことは……。だいいち四、五千年も前に鉄製の刃物などありません。よしんば、よしんばですが、もしあったとしても、精々が銅製、あれほど見事に切れるはずはありません」
「ええ、私もそう思いまた。しかし、……この事実は、どう説明しますか?」
谷口は大きな茶封筒を鞄から取り出すと、胡蝶に差し出した。
封筒の中には、四十センチ四方に引き伸ばされた写真が入っている。
「……、同じだわ。どう見ても同じ……」
と、胡蝶が呟くように言った。
「理由を話さずにベテランの検視医に、この写真を見てもらいました」
「私が見ても同じだとわかります」
「ええ、その医者はCTスキャンしてから、思った通りだ、同じ切り口だ。しかも、同じ刃物で切られた人骨だと……、断言した」
「でも、あり得ませんわ。常識的に考えて……」
「確かに、常識ではあり得ない話です。……が、ここに、こうして事実があります。どうか、その謎を解くために協力してください」
谷口は胡蝶の右手を両手で包み込むように握り締め、お願いしますと何度も頭を下げた。
「あっ、……ええ。もちろん、そのつもりですわ」
胡蝶は手を引っ込めながらポーっと頬を染めた。
4
翌日の早朝便で、谷口と胡蝶は西安へと向かった。
北京から国内便で三時間ほどの距離だが、その日は乱気圧の所為でとても揺れた。
胡蝶は気分が悪いと言って、そのまま座席に埋もれるように眠てっしまったので、谷口は機内での時間を持て余した。
西安は始皇帝の副葬品を祭る“兵馬俑”で有名な世界的観光地だけあって、西安咸陽国際空港は三階建ての近代的な空港だった。
兵馬俑は、一九七四年に農夫が井戸掘りの作業中に偶然見つけたと言われているが、地元では昔から知られていて盗掘が繰り返されてきた。
谷口と胡蝶が訪ねる農夫の林剛は、第一発見者の孫に当たるという。
胡蝶の話によると、林は農作業の傍ら兵馬俑の保存に力を入れているとのことだ。
見様見真似で学んだ考古学だが、林剛の新たな遺跡の探索能力は天才的と評判で、数多の著名な学者を唸らせているらしい。
「とても偏屈なので、言葉遣いには気をつけてね。彼は、権威というものを何よりも嫌うから……」
と胡蝶が谷口に忠告した。
もとより、谷口は権威主義者ではない。
だからこそ数多の誘いを断って、私立大学の職を選んだのだった。
むしろ、そういった人たちこそ歴史の真実を知っている、と考えている。
谷口は林剛と会うのが楽しみだった。
胡蝶のアドバイスに従い、日本酒の清酒をお土産として持参している。
中国の国内便には持ち込めないので、北京空港で日本の二倍の料金を支払って購入した。
それで、割れないように厳重に包装してもらった。
「あっ、あの方です。……ほら、あの太った方です」
「ああ、あの人ね。ニコニコと優しそうな感じだけど、あれで偏屈なの?」
「ウフフフッ…、私が一緒だから……」
と言って、胡蝶は顔を赤らめた。
林剛は一生懸命にこちらに向かって手を振っている。
「えッ! ああ、なるほど。そうゆうこと……」
「ええ、そうゆうことです。来年結婚します」
「そう、それはおめでとう。……何か、お祝いをしなくては……」
谷口は複雑な想いに駆られていた。
「タニグチサン、ハジメマシテ。リント、モウシマス」
「あれ、日本語」
「ハイ、ニホンノテレビデ、ベンキョウシテ、イマス」
「フフフッ…、アニメよね」
「アッ、フゥチャン、バラシチャ、ダメデショウ」
「ハハハハ……、胡蝶さんから偏屈って聞いていたから、どんなお爺さんが出て来るのかと思ったら……」
「トウユウイミデスカ?」
「いいの、いいの。はい、荷物を持ってちょうだい」
「ネッ、フゥチャンハコワイ、コワイ」
と言って、林剛は嬉しそうに笑った。
ホテルに直行してチェックインを済ますと、直ぐにその地へと向かった。
林剛が発見した人骨のある場所は、兵馬俑から西へ五キロばかり行った所だという。
そこは観光客には開放されていない、一部の研究者だけが知る古戦場跡だった。
5
その場所は一見すると簡素な佇まいだが、近づいて見ると鉄条網が張り巡らされ、銃こそ持っていないが、体格の良い鋭い目付きの警備員が沢山いる。
「全員軍の特殊部隊です……」
と、胡蝶が声を潜めて短く言った。
その物々しい警備に、谷口は躊躇いを覚えたが、林剛と胡蝶は臆することもなくドンドン近づいて行く。
谷口もその後ろに従った。
すると、手を後ろ手に組んだ直立不動の二人の門番がサッと敬礼をした。
林剛が責任者と思しき男に話しかけると、腰からジャラッと鍵の束を取り、一個を摘んで鍵穴に差し込んだ。
「どうぞ」
男は正面を見据えたまま、無表情に言った。
カチャッと扉を開けると、部屋の中は眩いばかりの照明が燈されている。
そして十メートル四方ほどの部屋のど真ん中には、三方が鉄柵で囲まれた、地下に通じていると思われる階段が口を開けていた。
・・周りは中から監視されているのだろう・・
谷口は降り注がれる視線を感じていた。
「タニグチサン、フゥチャン、ワタシノアト、ツイテキテ、クダサイネ」
「谷口さん、私と林剛の間に入ってください。急ですから、気をつけて」
「ありがとう」
階段の入り口部分は明るかったが、降る度に徐々に薄暗くなってくる。
谷口は鉄製の手摺に掴まって慎重に歩を進めた。
やがて青いビニールシートが薄暗いライトに浮かび上がる。
「チョット、マッテクダハイネ」
林剛が階段を降り切ったところから右の方へ歩いて、パチンと電気のスイッチを入れた。
勝手知ったル我が家といった風である。
チカチカッと点滅して、パッと天井の数個のライトが燈された。
地下は百坪ほどの広さがある。
林剛によると発掘調査の範囲をドンドン広げているとのことだ。
目の前のブルーシートを胡蝶が無造作に外した。
「コレガソウデス」
谷口は林に促され土の中から白く浮き上がったモノに近づき、腰を折って覗き込む。
それは紛れもなく人骨だった。
直ぐ隣には銅剣らしきモノが緑青と赤錆を浮かべて横たわっている。
その兵士と思われる人骨の主の持ち物だったのだろうか……。
谷口はその銅剣らしきモノにググッと顔を近づけた。
「谷口さん、何か?」
胡蝶も一緒に銅剣に見入る。
「ほら、ここ」
「えっ?」
「ドウカシマシタカ?」
「ここから二つに折れているでしょう? ……これは自然に折れたものじゃないね」
「ええ、でもかなり古いモノですから、自然に折れたとしても不思議ではありません」
「かなり腐食が進んでいますから、よくわからないかも知れません。でも、これは間違いなく刃物で断ち切られたものです。こっちの骨と同じです。……私の研究室にある人骨と同じで、縦に真っ二つ、こんな切り方は江戸時代の剣豪でもできないでしょう……」
「はぁ~……」
「詳しく調べていないので、絶対とは言えません。が、もしかすると、私の研究室の人骨と同じ刃物によって切られたものかも知れません」
「まっ、まさか……。そんなこと、あり得ませんわ。いくら峪口さんのお言葉でも、信じられません」
「はい、ごもっともだと思います。胡蝶さん、この人骨と銅剣を掘り出して、切られている部分の拡大写真を、私に送ってください」
「わかりました。さっそく手配いたします」
「サムライ、ケンゴウ、コンドウイサミ、サイトウハジメ、ヒジカタ……」
「おっ、すごいねぇ林君は」
「ヘヘヘ……、セッシャハ、シンセングミガ、ダイスキデゴザルヨ」
「日本のアニメは中国でも大人気ですから」
胡蝶が補足を加えた。
・・これで全てが繋がった。安易に決め付けるのは危険かも知れないが、何か得体の知れない武器が、人の手から人の手へと伝わって、何千年にも亘って世界中を駆け巡っている。正にこれは神器だ。神の領域のモノだ……・・
谷口の心は感動で打ち震えていた。