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フェイクに駆け引きエイプリル

作者: 碧尉翼

「お姉様、これでよろしいですか?」

「えぇ。とっても似合っていますよ」


 碧尉鞠亞はその場で一回転をする。すると栗色の腰まであるウェーブしたツインテールと、クリーム色のゆったりとしたチュニックがふわりと舞い、西洋風な容姿とあいまってさながらお人形のようだった。

 しかし、ぺたんこな胸よまだ幼さが残る顔、そして中学二年生という学年とは裏腹に、お腹の部分が何故か膨らんでいる。妊婦のように。


「お兄様、だまされてくださいますでしょうか」

「きっと大丈夫ですよ。今のりりは妊婦さんにしか見えませんから、いくら翼さんが目利きでもきっと騙せますよ」


 年の離れた胸の大きい姉、楓煉がふくらんだ腹を押すと。妊婦ではありえない位置までへこんだ。


「抱きついたりしなければ大丈夫」


 鞠亞も腹を押してみると、またもありえない位置までへこんだ。

 実は、このチュニックの下にはほどよい大きさのクッションが入っている。鞠亞は妊娠などしておらず、妊娠しているように見せているだけだった。

 何故こんな馬鹿げたことをするのか。理由は一つ。大好きな兄、翼を驚かすためだ。

 なんてったって明日はエイプリルフール。一年で一度だけウソが許される日だ。兄と戯れる絶好のチャンスでもあった。

 明日は金曜日の平日なので、普段なら高等部で生徒会長をしている翼は帰りが遅いのだが、今日の昼、中等部から高等部へ出向き翼と会い、明日は久々に早く帰れるという情報を鞠亞はゲットしていた。


「それにほら、証拠写真だってありますよ」


 まだ不安な顔をしている鞠亞を安心させようと、楓煉は一枚の白黒写真を取り出した。

 テレビなどでよく見る超音波の写真だ。これで胎児の状況を確認するらしいのだが、医学の知識が無い全くの素人の鞠亞には、ただ白いもやもやが黒いもやもやの中にある写真にしか見えず、胎児がどこにいるのかなどさっぱり分からなかった。


「最近のネット上には、色んな写真が出回っているものですね」


 楓煉はいそいそとそれをファイルにしまう。


「さぁ、りり。明日は翼さんに一泡吹かせてやりましょうね。澄ましたお顔がどうなるか、見ものですよ」

「はい。お姉様」


 美人姉妹は顔を見合わせ、揃って黒い笑みを浮かべた。


 ◆◇◆


 翌日。午後八時。鞠亞と楓煉は横浜市内の某所にあるマンションの前にいた。

 翼は、一人暮らしをしている。中学卒業と同時に、何かから逃げるように家を出て行った。

 かといって荒んでいるわけでもない。本人は一人暮らしをして社会勉強と言っているが、幼心にそれは違うような気がすると、鞠亞は悟っていた。

 だって、いつもはなんでも言うことを聞いてくれて、鞠亞がして欲しいといえば一緒に寝てくれて、一緒に登校もしてくれて、鞠亞が嫌だといえば休日遊びに行くのも諦めてくれて、一日中構ってくれた兄が、その時ばかりは鞠亞がいくら嫌だと言っても泣き喚いても、「ごめんね」とだけ言い続けて考えを変えてくれなかったのだから。

 ちなみに、東京ドームが軽く十個は入りそうな兄がいない大邸宅に一人でポツンといるのは寂しすぎたので、大学生の姉と一緒に鞠亞もマンションで暮らしている。

 翼が住むマンションはセキュリティがしっかりしていて、入るにはまずインターホンを押して受付嬢に繋いでもらわなければならない。そこから本人に連絡を取って、許可が下りればやっとエントランスに入れる。

 一階から四十九階まで吹き抜けのエントランスホール。華美すぎず地味すぎない内装。二十四時間常にいる美人の受付嬢。会議でも出来そうなソファセットに、眺めのいい緑溢れるガーデン。確か常駐のコンシェルジュもいたと聞く。ホテルよりも待遇のいいマンションだ。


「碧尉様がお迎えにあがるとおしゃっていました。よろしかったらそちらのお席でお待ちください」


 中に入った二人に早速受付嬢の一人がやってきて、平身低頭で案内をしてくれる。鞠亞をみても不審がらないのは、大き目のコートを羽織って大きなお腹を隠しているからだ。


「いえ。翼さんにお迎えは大丈夫ですと伝えてくださりますか? 今日はちょっとしたサプライズがあるんですよ。ネタバレになったら面白くないので、二人っきりで上りたいと思うんです」


 なごやかな口調で楓煉は受付嬢にそう頼むと、「かしこまりました」と頭を下げて受付嬢は受話器を手に取った。どうやら、翼は申し出を了承してくれたらしい。


「エレベーターとお部屋のロックは解除してあるそうです。お二人のサプライズが成功するように願っております」


 また深々と頭を下げられ、見送られる。育ちがいいせいかこういう場での振る舞いには慣れていた鞠亞は微笑んでエレベーターに乗り込む。

 少し、お腹のクッションが下がってきた気がする。そう楓煉に言うと、クッションの位置を戻しピンクのリボンでしっかり縛ってくれた。

 ガラス張り――――マジックミラー――――のエレベーターから見る横浜の夜景は、とてもキレイだった。周りに邪魔をする大きな建造物がないから、夜の横浜港を一望できる。唯一このマンションより背の高いランドマークタワーは、視界の邪魔をしない場所に建っている。

 翼は、こんなきれいな景色を毎日見ているんだ。ドアにもたれて緩く腕を組んで、きっとかっこいいポーズで眺めて心を癒しているのだろう。

 ぺたりとガラスに張り付いてじっと夜景を見入る。高速エレベーターのスピードは早く、気が着いたら翼の住む五十階に着いていた。少し長い廊下を歩いて、突き当たりにある一つしかないドアをノックする。このマンションにインターホンなんていうものはないのだ。受付嬢が代わりを果たしてくれるから。


(わたくしが住んでいるマンションとは大違い・・・・・・)


 セキュリティはしっかりしているがここほどではない。受付嬢やコンシェルジュもいなく、常にいるのは管理人だけ。電話をすれば二十四時間いつでも管理会社の人間が飛んでくるくらい。部屋の面積も一つの階を四つの部屋で区切られており、翼のようにまるまるワンフロアを、しかも五十階と最上階、そして屋上まで所有するなんていう豪勢なことはしていない。

 子供ながらに、どこにそんなお金があるのだろうと不思議に思う。実家からの仕送りにしても、鞠亞の母親は鞠亞と楓煉には甘かったが、翼には厳しい態度を取っていた気がするので、翼に豪華な暮らしをさせるなら鞠亞たちにも同等の暮らしをさせると思う。

 カチャリと扉が開いて、紺のカフェエプロンに白いワイシャツ姿の翼が現れた。


「二人ともいらっしゃい。どうぞ上がってください」


 そのくすみのない笑顔を見た瞬間、反射的に飛びつきかけたが『りり! 抑えて!』という楓煉の電波を受け取り、ぐっと堪える。


「お邪魔します」


 部屋に入ると、ふわ、とおいしそうなバターの香りがした。


「丁度クッキーを焼き上げたところだったので変な格好ですみません」


 袖をまくって露出させている腕を片方腰に当て、翼は苦笑する。鼻まで届く前髪をピンで留めており、あごまでありそうな横の髪を耳に掛けている。いつもとはまた違った清潔感溢れるスタイルに惚れ直す。

 やっぱり、お兄様はいつ見てもかっこいい。

 お茶の用意をするからソファに座っていてと言われたので、クリーム色の肌触りのいいソファにそっと腰を下ろす。通常ならば深々と身体を沈み込ませ、兄が住んでいる空間に自分が居ることを幸せに思うのだが、今日は気を抜いていられない。せいぜいこの間来たときよりも荷物が片付いているかな、と感想を持つ程度だ。


「りり。翼さんがお席について、落ち着いたらコートを脱ぐんですよ」

「分かりましたわ。大丈夫です。何回も練習しましたから」


 小声でヒソヒソと打ち合わせをして、何食わぬ顔で翼を待つ。だが、緊張感はハンパない。


「お待たせしました」


 ふわりと、またバターの香りがして、目の前に白い皿が置かれた。

 中央に整然と、おいしそうなキツネ色をしたクッキーが二列に並べられている。焼き立てというのは本当のようで、冷たい市販のクッキーよりも強く小麦の匂いが立ち上ってくる。

 おいしそう。きらりと瞳が輝く。


「お二人はハーブティがお好きなんでしたね。今日は美容にいいとされているフェンネルシードを淹れてみました。茅ヶ崎にある〈ハーブマルシェ〉さんと同じハーブなので、きっとお口に合うと思います」


〈ハーブマルシェ〉とは、鞠亞と楓煉が懇意にしているハーブティー専門店だ。そこで色んな種類のハーブを調達してくる。

 白くシンプルなティーカップが置かれ、同じデザインの装飾の一切ないティーポットから蜂蜜色の液体が注がれる。やや薬っぽく刺激的な香りが上ってくる。


「フェンネル。あれね。お腹の調子が悪いときに飲むと効くハーブティですね」

「えぇ。消化器系にお悩みをお持ちの女性に人気があります。お通じが良くなりますよ。精油の場合香りはミドルノートなので少々スパイシーですが、紅茶なのであまり気にならないように工夫して淹れてみました。エストロゲンに似た働きをすると言われているのでむくみ解消にも効果的です。楓煉さんと鞠亞さんにはいつまでも美しい女性でいてもらいたいので」

「あら嬉しい。そしてお詳しいのですね」

「いえ、こんなの聞きかじった程度ですよ」


 頭上で楓煉と正面のソファに座った翼がなにやら大人な会話をしているが、鞠亞はそんなことよりも早く紅茶を飲みたくてたまらなかった。うずうずしていると翼が気づいたようで、「飲んでいいよ」と許可をくれた。

 しかし、


「そうだ、りりストップ」


 楓煉に阻まれる。


「りりさん、コートを脱ぎましょうか。翼さんに見せてあげましょう?」


 ついにこの瞬間が来た。心を落ち着かせながらゆっくりとコートを脱ぐ。

 もちろん出てくるのは、あの大きいお腹だ。


「・・・・・・」


 翼は不思議なものを見るように鞠亞の腹を凝視している。バレては・・・・・・いないかな。


「じゃじゃん。見てください翼さん。りりちゃん、妊娠したのよ。おめでたいですね」


 わーと楓煉は指先だけを使ってあまり音の出ない拍手をした。

 翼はというと、口元に手を当て、何故か吹き出すのを堪えるような微妙な笑いをしている。一つ深呼吸をし、表情を整えてから問うてきた。


「妊娠・・・・・・何ヶ月ですか?」


 質問している間も、顔がニヤけかけては戻し、ニヤけかけては戻し、を繰り返している。


「えぇと、何ヶ月でしたっけ?」

「確か、五ヶ月だったと思いますわ お姉様、あの写真みせてあげましょうよ」

「えぇ、いいですよ」


 持ってきたバックから楓煉はくだんのエコー写真を取り出し、翼に手渡した。


「ほぅら、可愛いでしょう?」


 その写真を凝視して、翼の視線はは何度も鞠亞の腹と写真を行ったり来たりしている。そしてまた目尻を下げ、吹き出すのを堪えるような笑い方をした。


「・・・・・・性別はどちらですか?」

「女の子ですわ。きっとお兄様に似て凛々しい女性になると思いますわ」

「・・・・・・あれ? お父さんって僕じゃないよね? お父さんはどんな人?」


 ここで初めて、翼の笑顔に疑問の色が宿った。

 鞠亞と楓煉も少々焦る。実は、鞠亞の相手についてはなんの打ち合わせもしていなかったのだ。取り急ぎささっとウソを吐く。


「同じ学年の笹原さんですわ。あの、電器メーカーの息子さん」

「へぇ、そうなんだ・・・・・・」


 不自然なウソだったのだろうか。翼は笑顔は崩さないものの、微妙な色を宿している。自分はお腹の子をいとおしんでいるのだとアピールするために、鞠亞はお腹の一番膨らんでいるところに手を置いた。


「初めてお医者様から妊娠を聞かされたときはびっくりしましたけれど、わたくし、子供を産んで温かい家庭を作るのが夢だったんです。お姉さまの後押しもあって、ここまで成長させることが出来ましたわ」

「笹原さんのところには、認めているのかな?」

「はい、もちろん。お義父様もお義母様もとてもよろこんでおられました」


 真実味を帯びさせるために重ねて何度もウソを吐く。そのことに、ウソはいけないことだという良心と、本当は兄が一番大好きなのだという恋心がチクリと痛むが、今日はエイプリルフールなのだと自分に言い聞かせた。

 翼はしばらく「へぇ・・・・・・」とエコー写真を眺めていたが、ひとつ咳払いをして鞠亞に満面の笑みを向けてきた。


「おめでとう、鞠亞さん。おめでたいね」


 刹那、勝ったと思った。

 あの兄を、騙すことが出来た。


「ありがとうございます!」


 騙せた喜びと一仕事終えた解放感から一つ大きな息を吐き、ティーカップに手を伸ばす。それを、


「鞠亞さんストップ」


 今度は翼に阻まれた。


「飲んじゃ駄目だよ。鞠亞さんは妊娠中期なんだろう?」

「え、どうしていけないのですか?」


 意味が分からなくて聞き返すと、困惑した表情で翼は続ける。


「鞠亞さんもしかして、妊娠中もジュニパーベリーやジャーマンカモミール、スペアミントとかラベンダーのハーブティー飲んだ?」

「はい。飲みました。ラベンダーは大好きなのでほぼ毎日飲んでいますわ」


 大好きなハーブの名前をいくつも挙げられたのでなんの臆面もなく飲んだと答えると、翼の表情が強張った。


「駄目だよ。何してるの鞠亞さん。流産したいの?」

「え?」

「今挙げたハーブは全部通経作用、生理を促す作用があるんだよ。今鞠亞さんの子宮が生理の準備を始めたら、お腹の子供流産しちゃうんだよ」

「そうなのですか!?」


 そんなこと、全く知らなかった。翼は困ったように頭をかき、楓煉に向き直る。


「楓煉さん、あなたは紅茶の知識が豊富なんですから、鞠亞さんの安産を願うなら、そこのところ気をつけてください」

「はい。分かりました・・・・・・」


 決して威圧的でもなく怒っているわけでもないのだが、翼の澄んだ声に諭されるとなんだかとても悪いことをしたような気がしてきて、すごく落ち込む。しかも、ウソをついて騙している最中ということもあり、罪悪感は二乗増しだ。


「・・・・・・まぁ、飲み続けて流産しなかったというのはそれだけ鞠亞さんの子を思う意識が強かったということですからいいとします。これからは気をつけてくださいね」


 ふと、声音が優しくなり、もう諭されタイムは終了なのだと知った。


「じゃあ、鞠亞さんには別のお茶を入れようか。マリーゴールドでいいかな?」


 小首かしげで問われ、大きく頷く。カウンターキッチンに彼の姿が消えて段で、また二人は打ち合わせを始めた。


「さすが翼さんですね。知識が豊富。下手な発言は禁物ですね」

「ごめんなさいお姉様。わたくし・・・・・・」

「いいのよ。りりちゃんにきちんと台本書かなかった私がいけないの。それにうまく切り抜けられたのだから忘れましょう」

「はい。それで、いつネタばらしすればいいんでしょうか?」

「そうね・・・・・・翼さんに隙が出来たら、また電波を送りますね。電波を受け取ったらネタばらししましょうね」

「分かりました」


 ちゃちゃっと小声で会議を終わらせ、再び何食わぬ顔でクッキーに手を伸ばす。少し冷めたクッキーは、甘くておいしかった。


「お待たせしました。どうぞ」


 フェンネルの紅茶が入っていたカップとは違うカップに、褐色の液体が注がれている。出されてすぐに一口含んだ。


「おいしい・・・・・・」


 素直に、本当に素直にそう思う。クッキーもおいしくて、紅茶も絶品で、料理も出来て。何でもこなせる翼は、鞠亞にとって理想の男性だった。

 おいしいものを食べて余裕が出来たことで、鞠亞は改めて部屋をぐるりと見渡すことが出来た。

 相変わらず、必要最低限の家具しか置かれていない。だが色使いが絶妙で、万人を落ち着かせる空間が出来上がっている。純白ではなくて淡いクリーム色というところが目に優しい。

 けれど、やっぱり、いつもより更に物が少ない気がするのは、気のせいだろうか。


「お兄様。お部屋の掃除でもされたのですか?」

「ん? まぁ、そうだね。・・・・・・この際だから言っておこうかな。鞠亞さんも無事おめでたのようだし、楓煉さんがいれば大丈夫だろうな」


 なにやら意味不明な言葉を口にして、翼は紅茶から口を離した。湯気でメガネが曇ってしまったようで、クロスを取り出し磨いている。


「お二人に、話があるんです」

「なんですか?」


 話がある。

 そう発した口調が、いつものそれより幾分か硬いものだった。反射的に居住まいを正す。


「以前から、僕に留学の話が来ていたことは、二人ともご存知ですよね」


 留学?

 ・・・・・・まさか。


「その中の一つを、正式に受けてみようと思うんです」

(――――!?)


 一瞬だけ、心臓が止まった。

 動き出したと思ったら、体中の血が逆流しているような感覚に囚われる。クラクラと目眩までした。


「ほ・・・・・・本当なのですか? 翼さん」

「本当ですよ。スウェーデンに飛びます」

「どの位・・・・・・?」

「期間は特に決まっていませんが、鞠亞さんが成人するまでは確実に帰れませんね」


 ウソだ。

 ウソだウソだウソだ。そんなの、ウソに決まっている。

 なんで、そんなウソつくの? なんで笑顔でそんなウソつくの?

 ぎりぎりと胸が締め付けられる。吐きそうだ。


「お兄様? う・・・・・・うそ・・・・・・ですよね? うそですよね?」

「残念ながら、本当だよ」


 肯定される。

 成人するまでって、六年以上あるじゃないか。そんなに長い間、離れていなきゃいけないの?

 嫌だ。

 絶対に嫌だ。

 固まってしまい何も言えなくなった鞠亞に、翼はとつとつと続ける。


「・・・・・・楓煉さんならよく知っていると思うんですけど、うち父親はすごく忙しい人で、鞠亞さん、あまり父親と遊んだことがないんですよね。それがとても不憫だと思って、僕、鞠亞さんにいい人ができるまでは、その父親の代わりになってあげようと決めていたんです。母親も大事ですが、父親もすごく大事な存在なので、鞠亞さんが本物の父親に甘えられないぶん、父親の血が半分混ざっている僕が出来る限り代わりになって甘えさせてあげようと。父親は、娘に旦那さんが出来たら離れていくものですよね。だから僕もそれに従おうと思っていたんです。それで、今日鞠亞さんのお腹見て、タイムリミットが来たんだと思いました。笹沼といえば大手電器メーカーで最近業界二位の〈AKATSUKI〉との合併の話が出ているんですよね。株価も上がりましたし、箔もついているので、そこの息子さんなら安心して鞠亞さんを任せられます。今までの鞠亞さんと楓煉さんの話を聞いて、そう実感しました。そして、留学の話を思い出して、どうせなら受けてみようと。いつまでも鞠亞さんに依存していられませんから、この際だから離れようと、決意しました」


 よどみなく淡々と告げられ、心臓が握りつぶされた。

 そんな。そんなぁ。

 鞠亞がエイプリルフールだなんだと浮かれて、兄を騙そうとウソをついた結果、自分から兄を遠ざけてしまうことになるなんて。

 きっと、神様が怒ったんだ。ウソはいけないと知っていながらも、エイプリルフールだからと言い訳をして罪を犯した鞠亞に、神様が罰を下したんだ。

 ――――大好きな兄との別離という罰を。


(そんな。ウソよ。こんなのウソに決まっていますわ。そうでなければきっと夢なのですわ。長い長いリアルな夢)


 自分の頬をペチペチと叩いたり、紅茶を飲んだりしてみるが、普通に痛くて、普通に温かいだけで、夢なんかではないことを思い知っただけだった。

 

「いつ・・・・・・ご出発なさるの?」

「早ければ明日にでもと思っています。なるべく早く行ったほうが、たくさん勉強できるので」

「学校のほうはどうなさるのですか?」

「向こうについてからでも手続きは出来ますので、安心してください」


 安心なんか、できるはずがない。

 死期が早まっただけだ。

 鞠亞の、鞠亞の他愛ないウソが。

 まさか、こんな悲劇を連れてくるなんて。

 こんなことになるなら、もっと早くネタバレするんだった。

 ウソなんかつかなければ良かった。

 深く深く後悔するが、それはもう後の祭り。


「お兄様・・・・・・やめてくださいまし。留学なんて、取りやめてください」


 必死の哀願にも、


「・・・・・・ごめんね」


 慈悲深い笑みが返ってくるだけだった。 

 翼の一人暮らし前の一悶着を思い出す。

 あの時も、翼はごめんねとだけ言って、考えを変えてくれることはなかった。

 今回は、家を出て行くんじゃない。国を出て行くのだ。

 それも、とてつもなく長い期間。気が遠くなるほどの時間。

 異国に地に、行ってしまうのだ。


「ほら、僕、スウェーデンに幼馴染みがいるでしょう?」

「え・・・・・・えぇ、確か、アイナさん、でしたっけ?」

「えぇ。彼女の家にホームステイさせていただこうと思うんです。アイナのご両親も二つ返事で了承してくれました。アイナ、かなりの美人さんになったので、会うのが楽しみです」


 そこまで聞いて、いつもは繋がらない推理シナプスが次々と繋がり、欲しくもない答えを導き出す。

 鞠亞のお腹を見て、あんなにニヤけていたのは、鞠亞のお守りという重責から逃れて、異国にいる美人に会えるという嬉しさから来たものだったのだ。あまりにも嬉しすぎて、それでつい吹き出してしまいそうになっていたんだ。

 嫌だ。他の女のところに翼が行ってしまうなんて。

 鞠亞がどう足掻いても絶対に追いかけることの出来ない場所で女性と逢うなんて、絶対に嫌だ。


「・・・・・・いやだぁ・・・・・・」


 ぽつりと落ちた精一杯の拒絶は、蚊の鳴く声のように小さかった。

 鼻が詰まってきて、上手く呼吸が出来ない。

 そんな鞠亞の頭に、そっと手が置かれた。


「大丈夫だよ。鞠亞さんには笹沼さんっていう素敵な人がいるんでしょ? 鞠亞さんが選んだ男だから、きっと大丈夫。出産の現場には立ち会えないけど、北欧で応援してるから。未成年の出産はなかなか社会に受け入れられないけど、いい旦那さんといいお姉さんがいるんだから、きっと乗り越えられるよ。なんかあったら実家に戻って、そこでゆっくり子育てしてね。息子さんが小学校に上がるころに多分戻ってくるから、そのときにまた会おうね」

「お兄様・・・・・・」


 いつの間にか溢れ始めた涙で、うまく翼を視界に捕らえられない。隣に座っている楓煉も、そっと涙を拭っていた。


「どうして泣いてるの? 駄目だよ、兄と別れるくらいで泣いてたら、旦那さんに怒られちゃうよ。俺より兄貴のほうが大事なのかってね。それに笑って送り出してくれたほうが、僕も向こうで気負いなく研究できるから。・・・・・・笑って」


 そんなの、ムリに決まっている。

 いつもなら、兄の前で笑顔を絶やすことなどないのに、今日は気がついたら泣き顔をさらしている。笑顔なんて作れそうにない。

 兄との最後の会話が、“ウソ”だなんて、悲しすぎる。


(そうだっ、ネタばらしっ・・・・・・)


 今カミングアウトすればまだ間に合うかもしれない。

 お兄様と呼びかけようと息を吸った直後、見計らったように翼の携帯がなった。


「失礼」


 ポケットから携帯を取り出す。


「あぁ、nicetiming.留学先の学校からだ」


 !?


「少し席を外しますね。この際なので留学しますという意思を伝えようと思います。失礼」


 翼がおもむろに席を立ち、リビングの奥、五十一階部分へと繋がる螺旋階段のほうへ向かって歩く。

 あの携帯のフリップを開いて、異国の言葉で二言三言話したら、もう、翼は戻ってこない。

 永遠に、会えなくなる――――


「hej――――」

「だめっ!!」


 長い指が通話ボタンを押した刹那、弾かれたように鞠亞は飛び出していた。クッションが思っていったより重くて、走りづらくて、つんのめりそうになるのを懸命に堪えて、翼に抱きつく。


「鞠亞さん? 転んだらどうするの。それこそ流産しちゃうよ」

「お兄様、お兄様、ごめんなさい! わたくし、お兄様にウソをついていました!」

「嘘?」

「本当はわたくし、妊娠なんてしておりません! このお腹も、ただクッションをリボンでお腹に固定しているだけです! 今日はエイプリルフールだから、お兄様を驚かせてみたいという、わたくしの浅はかな考えです! 笹沼も妊娠五ヶ月も、ぜんぶぜんぶ嘘ですわ! どうか・・・・・・どうか許してください! 留学になんて行かないでください! お願いします!」


 バサバサの睫いっぱいに涙を溜め、今までの罪を懺悔する。

 しかし翼は、涙で顔をぐしゃぐしゃにする鞠亞を一瞥して――――携帯を口元に近づけた。

 目の前が真っ暗になった。

 やっぱり、許してなんか、くれないよね――――


「――――あ、ごめんごめん。アニメの声、大きすぎたね」


 ・・・・・・ん?

 なに、その軽い口調。


「ん? 何でもないよ。ただちょっと修羅場のシーンが面白くて、繰り返し見ていただけ。いやいや、杜樹も本気にしないでよ。ってかなんで杜樹がそんなに狼狽るの。嘘だって。今日は四月一日でしょ。わたぬきの日ですよ。それじゃ、おやすみ」


 ピッと通話を切り、「さてと」と翼は涙でシャツをビシャビシャにする鞠亞に向き直り、一枚の紙を手渡した。

 ・・・・・・絶縁状、てきなものなのかな。

 開きたくない、けれど、開く。

 そこにはなんと――――


『April Fool's Day大成功』


 なんともふざけた字で、そう書いてあった。

 涙が一瞬にして引っ込む。

 エイプリルフール、大、成、功・・・・・・!?


「いやぁ、ここまで見事に引っかかってくれるとは思わなかった。英語でApril Foolは『騙された人』を意味するんだ。騙されたね鞠亞さん。Happy April Fool!!」


 涙を拭ってから、翼は嬉しそうに鞠亞の身体を抱き上げた。

 展開がどうなっているのか、分からない。付いていけない。

 目を白黒させていると、「順々に説明しようか」とソファに運ばれ、鞠亞同様微動だにしない楓煉の横に座らされる。


「本当はエイプリルフールするつもりはなかったんだ。だけど二人が必死になって僕を騙そうとするから、つい欲が出た。『April Fool』にはなりたくなかったから、だったら騙し返して二人を『April Fool』にしちゃおうと思ってね。まさかここまで見事に引っかかってくれるとは・・・・・・」


 そこでもう堪えきれなくなったのか、翼はお腹を抱え、肩を震わせて笑い始めた。目に涙まで浮かべている。

 うっすら、うっ・・・・・・すらと状況が掴めて来た。

 つまり、今回の敗者は、翼ではなく、


「わたくしたち、騙されていたのですか?」

「そうだよ。・・・・・・くっ」


 一言で答えて、今度はソファを叩きながらサイレントに笑っている。

 笑いすぎて、しまいには、


「ゲホッ。ゴホッゴホッ。ゴホゴホゴホッ。ガハッ」


 噎せている。

 馬鹿笑いするところも、笑いすぎて噎せるところもかっこいい・・・・・・じゃなくて。

 これは、一つ一つ確認していくべきだろう。


「お兄様は、留学、なさらないのですか?」

「ん゛っん゛ー。ん? うん。話が来てるのは本当だけど、まだ留学はしないよ。生徒会長の役職放棄するなんてそんな無責任なこと出来ないよ」


 やっと笑いが収まったのか、咳払いして喉の調子を整えてからさらっと答えられる。

 留学しない。

 たった五文字のそれだけで、鞠亞はもう十分だった。

 心の底から安堵する。


「まぁ、それはいいとして、本当、僕の演技そんなに凄かった。全部即興だったんだけど」

「あれが全て即興なのですか!?」


 化石からやっと復元した楓煉が開口一番、驚いた。


「えぇ、全部即興ですよ。素晴らしいタイミングで携帯がなったのは偶然ですけどね。あとは全部、なにもかも即興です」


 いたずらが成功した子供のように――――実際そうなのだが――――ペロッと小さく舌を出す。


「あれが・・・・・・あれが全て即興・・・・・・? 長々としたセリフも・・・・・・あの表情も声音も、全部・・・・・・?」


 上手く理解できないようで、楓煉は指を折りながら懸命に理解しようと努めている。


「私だって、台本書くのに一週間以上掛かってしまったのに・・・・・・あら、翼さん、先ほど、騙しに来たから騙し返したとおっしゃいましたよね?」

「えぇ」

「いつごろからお気づきになられてたのですか?」

「玄関に入ってきたときですね」


 早っ!


「コートのお腹の部分が膨らんでいて、あぁ、これは妊娠ネタで来たな、と直感しましたよ。今日散々学校で僕を騙そうと同じネタでやってきた生徒がいたので、またか、と思いました。まぁ、仮に学校で騙されていなくて、今日がエイプリルフールだと気づいていなくても違和感は絶対に持ちましたけどね」

「どうしてですか?」

「え、だって、鞠亞さんとは昨日会ったばかりなんですよ? へこんだお腹の鞠亞さんと前日に会ったばかりなんですよ。そうでなくても、膨らんできていたら僕は気づきますよ。いきなりそこまで膨らむわけがない」


 むにむにと腹のクッションを押されて、顔が真っ赤になる。

 自分、なんていう格好をしているのだろう。


「それに、自分のイモウトなんですから、お腹が膨らんできたらそれに気づいた周りの誰かが僕に通報してくるでしょう。それに楓煉さんもまたしっちゃかめっちゃかな写真を持ってきましたね」

「妊娠五ヶ月のエコー写真ですか?」

「えぇ。あれ、妊娠五ヶ月なんてもんじゃないですよ。臨月ですよ。生まれる直前の胎児ですよ。しかも男の子ですよ」

「うそ!?」


 楓煉がさっと写真を取り出す。


「妊娠中期の胎児はこんなに大きくありませんし、顔の判別もまだ不可能ですよ。それに、しっかり陰茎が写っているじゃないですか」


 翼が指差した先には、確かに、短い棒のような影がちょこんと写っていた。

 だが、鞠亞にはやはり分からない。指摘されなければ白いもやもやに変わりはないからだ。

 ・・・・・・陰茎って、男性器のことだよな。なにをまじまじと覗き込んでいるのだろう。羞恥を覚えつつ体勢を戻す。


「時期の写真は取り違えても、こんなにはっきり写っているからまさか性別は間違えないと思って質問したんですが、・・・・・・そうだよね。年頃の女の子に陰茎見ろなんて、そんな過酷なことさせられないよね。でもそれにしても、あー、なんでこんなにあっさりざっくり騙されてくれるんだろう。なんでこんなもので騙せると思ったんだろう。どうして必死になって嘘吐いてるんだろうって思うと、もう可笑しくて可笑しくて笑い堪えるのに必死だったんですよ」


 もう堪えませんけど。

 そう宣言したとおり会話の最中に翼は遠慮なく笑いを挟んできた。


「では、あのっ、フェンネルのハーブティーはどうして出されたのですか?」

「ん? 本当はマリーゴールドを出すつもりだったんだけど、ちょっと懲らしめてやろうかなって思って。魔が差した。でも、本当の妊婦さんになったら、絶対に飲んじゃいけないからね」

「はいっ」


 当時はヒヤヒヤした助言を、今は素直に受け入れることが出来る。


「ではお兄様、お部屋が片付いている理由は?」

「先週の日曜に、新しい家具を買ったんだ。それが届くまで殺風景な部屋になるね」

「どうして分かっていらしたのに、最初につっこまなくて騙されているふりをしたのですか?」

「さっきも言ったとおり、騙し返してみようと思ったからね。あと、せっかくやる気満々で来てくれたのに玄関で追い返したら面白くないでしょ? 鞠亞さんと楓煉さんがどういう手を使ってくるのか、すごく興味があったんだ」


 なんだ。そんなことか。

 聞いてみて、ネタを教えてもらったら、なぁんだそんなことだったのかと笑えてくる。

 エイプリルフールって、そんな日だよね。


「今年は負けてしまいましたけど、来年は絶対に負けませんから」

「お、言うね。でも今から宣言したら僕も『鞠亞さん嘘吐くな』って構えちゃうから、逆効果だよ」

「・・・・・・あっ!」


 言われてみれば・・・・・・。

 でも、今の宣戦布告を来年まで覚えているかどうかは分からない。

 この頭が良くて狡猾な兄をぎゃふんと言わせるために、今からでも対策を練ったほうがいいかもしれない。


「楽しみに、していてくださいね」


 涙を拭って、満面の笑みを翼に向けて、その胸に飛び込む――――はずだったが、


「きゃぁっ」


 クッションが邪魔をして、翼の身体でワンバウンドする。

 仰向けになって飛んでいく鞠亞の身体を、翼が引き戻した。


「セーフ」


 背中から抱きこまれ、心拍数が跳ね上がる。

 顔に血が上って、頭がグラグラして。


 今年のエイプリルは、一生の思い出になりそうだ。

 来年は、絶対にリベンジしてみせるから。

 兄の輝く笑顔を見ながら、鞠亞はそう誓った。


 ◆END◆

 ここまで読んでくださりありがとうございます。沖田リオです。

 この小説は、別の場所で連載せていただいている小説の番外編を一部改稿・修正したものです。なので意味不明な表記が多々あったかと思います(汗)

 原作のほうがもう少し長いです。


 この小説は、別の短編小説、『メガネを外した~』に出てきた翼クンの姉妹のお話です。

 また他の番外編も改稿して載せてみたいです。


 重ねて、最後の最後まで読んでくださりありがとうございました。

 またあなた様のお目にかかれるよう、精進してまいりたいと思います。

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