馬鹿
――身体が動かない。頭も痛い。
目をゆっくりと開くと、また同じ天井だった。重い身体をごろりと動かすと、ベッドの横で椅子に座ったまま器用に眠っているあの男の姿があった。
小棚の上には、また剥いていたのだろうか、リンゴと、それを剥いたであろう果物ナイフが置かれていた。
――馬鹿な奴。
声に出さぬまま、ベッドから半身を起こし、小棚へと手をやろうとして、額から何かがずり落ちるのを感じた。
確認してみれば、それは水気をほとんど失ったタオル。それを見てしまったら、何故か殺意までしぼんでいくかのように薄れていった。
伸ばした手の軌道を僅かに逸らし、リンゴを一切れ摘むと、口の中に放り込んでまた、私は眠りについた。
――本当に、馬鹿な奴。
私は、家を出た。
雨が降る中、傘も差さず、目的地も無く、ただ彷徨った。
これ以上あの家にいれば、私はきっとあいつを殺せなくなる。――姉さんを、裏切ってしまう。
それだけが怖くて、私は家を出た。
身体はまだ重いし、濡れた衣服が張り付いて歩きにくい。でも、大丈夫。きっと。
夏空の雨を身体に受けながら、私は誰にも見つからないような路地裏へと足を運んだ。
ポケットから抜き身のナイフを取り出し、自分の顔を映しながら、呟く。
私はまだやれるから。待ってて、姉さん。




