97:〔猫執事の日がな一日〕
「咲夜って買い出しもするんだ」
「えぇ。当たり前じゃない」
片手に藁の篭を持ちながら、適当な野菜やらを選んでそれをほうり込む。八百屋のおじさんの反応からして、咲夜は割と頻繁に人里に顔を出していることが予想出来た。
今まで出会わなかったのが少し不思議だとは思ったが……よくよく考えて見れば、僕自身、あまり人里をうろつくことが少ない。普段行動する範囲が広すぎて、ひとつの場所にゆっくりすることは割と稀なのだ。
「そういえば、咲夜だって普通の人間だもんね。普通の食料だって必要か」
「えぇ。でも、お嬢様の気まぐれで急な宴が開かれることもあるから……その時は皆嗜む程度には食べるわよ」
「そりゃまあ妖怪でも物は食べるからねぇ」
ひん曲がった胡瓜をしげしげと見つめている咲夜に苦笑しながら返す。
そういえば、料理には困らないのだろうか。吸血鬼はもともと日本の幻想ではない。と、すれば、日本の料理には不慣れなのではなかろうか。
そう思って聞いて見ると、咲夜はクスリと横目で笑い、
「何言ってるの。日本料理ならここに来てすぐに大体は覚えたわよ? お嬢様に関しては納豆だって大好きなんだから」
「……なんかいろいろとびっくり」
さすがハイスペック従者。咲夜にもびっくりだがその主にもまたびっくりである。というか、吸血鬼は豆も苦手だったのでは……。腐ってるから関係ないのか。
「おや、ミコト……だよ、な?」
「慧音。正真正銘、僕の名前はミコトですが」
「そう、だな。うん、いつもと格好が違うから戸惑ったが……その、なんだ。灰色以外の服も着るんだな」
「……別に灰色しか身につけられないわけじゃ」
後ろから声をかけられ振り向いてみれば、そこには若干訝しげな顔の慧音の姿。まぁ、確かにいつもの僕の格好を知っている人から見れば、今の僕の姿は異様かもしれない。万年着物だった奴がいきなり服を変えて現れたのだから、妥当な反応か。
「おや、後ろにいるのは……」
「? 咲夜を知ってるの?」
「別段親しい訳でもないがな。一応、顔は知っている」
そう言う慧音は、どこか気を張っているように見える。里を守る立場として、まだ咲夜を含めた紅魔館組に気を許してはいないのだろう。
現に二度異変の立役者となっているし、一度は目的の副産物的なものとはいえ、紅い霧によって人里に住む人間に被害を与えるところだったのだ。慧音の気持ちも、わからないこともない。
けれど……と、思ったところで、不意に慧音の表情が緩んだ。クスリと口元を隠し、逆の手でトンと僕の胸を叩く。
「何を難しい顔をしている。……大丈夫さ、わかっているよ」
言いながら僕の目を真っ直ぐに見つめてくる慧音。
なんだか気恥ずかしくなって顔を背けると、丁度咲夜が野菜を選び終わったところだった。
「ほら、何してるの? 次いくわよ」
「うん。じゃあ慧音、また」
「あぁ、身体には気をつけてな」
手を振ってくれた慧音に背を向けて、先を歩いている咲夜に小走りで並ぶ。
そこで何気なく咲夜の顔に目を向けると、彼女も丁度こちらを向いていた。当然、目が合うことになる。
少しだけ歩くスピードが遅くなり、しかし視線はそのままぶつかり合っている。何か言いたいことがあるのだろうか、と思ったところで、ようやく彼女の口が開いていた。
「貴方は、ここによくくるのかしら」
「ここって、人里にかい?」
よく来るという程ではないけれど……と、僕が答えに詰まっていると、フイと咲夜は顔を背けていた。
すぐに答えなければいけなかったのか、それとも、途中で興味を無くしてしまったのか。彼女は普段通りの早足に戻り、少しずつ僕を置いていこうとする。
「何さ、何が聞きたかったの」
「別になんでもないわ。忘れてくれて結構」
「そう言われてもねぇ……」
トン、と地面を一度蹴り、スタンと咲夜の隣に着地。咲夜の表情は気持ち硬くなっていて、それと同じく感情も硬化している。
何か、気に入らないことでもあったのだろうか。そう聞こうかとも思ったが、焼け石に水かもしれないので止めておくことにする。本当に聞きたいことなら、いずれもう一度聞いてくるんだろうし。
そんなふうに楽観的に考えながら、僕は咲夜の買い物に付き合うのだった。
……ちなみに僕の役目は当然、荷物持ちだった。
「お帰りなさい、咲夜さん、ミコトさん」
「お疲れ様、美鈴。後でお茶でも持っていくよ」
「お気になさらず……と言いたいところですが、喜んで頂きます」
「…………」
美鈴の言葉に小さく溜め息をつく咲夜。あまり甘やかさないで、と視線で訴えかけてくるが、わざとらしく空を仰いで気付かない振りをしておいた。一日中外にいるんだし、それくらいはいいじゃないかと思うんだけどねぇ。
「じゃあ、また後でね」
あまりくどいと咲夜をかわすのも難しくなってくるので、今はこれだけ。美鈴もそんな僕の考えを悟ったのか、返事はせずに頭だけを下げてくる。
小さなケーキくらいは持っていってあげようか……なんて、隣の厳しいメイド長に気取られないように考える僕だった。
「……まさか、本当に来るとは思いませんでした」
「嘘だと思ってた?」
「いいえ。でも、咲夜さんが許さないだろうなぁと」
「……美鈴、結構大変なんだね」
しばらくしてから、紅茶とケーキを持って美鈴の元へと顔を出す。門に寄り掛かって目をつぶっていた美鈴だったが、僕の気配に気が付くとおもむろに顔を上げていた。
まだこの館の上下関係は把握しきれていないけれど、今の会話でとりあえず美鈴の立ち位置は何と無く理解した気分。
「美鈴も大変だね。門番という役柄上、仕方ないとはいえ……一日中外で立ってなきゃいけないなんて」
「まぁ、私に出来ることといったら、これぐらいしかありませんから。それに、身体の頑丈さには自信ありますし」
えへへ、と小さく笑う美鈴。僕はそんな美鈴に密かに感動した。僕も大概妖怪らしくないが、彼女も全く負けてないじゃないか。
「暖かい……。ありがたいですねぇ」
湯気が立つカップを傾けながら、シミジミと呟く彼女。そんな彼女を、ただ隣にいて眺める僕。
美鈴はそんな僕を見て、不思議そうに首を傾げる。きっと、手に持ったまま紅茶に口を付けないことに疑問を覚えたのだろう。素直に猫舌だからと伝えると、彼女はクスリと笑っていた。
「じゃあ、その紅茶が飲める位になるまで、お話でもしましょうか」
「話、かい?」
「はい。お茶を持ってきてくれたお礼……と言ってはなんですけど。聞きたいことがあれば、どうぞ。答えられる範囲でお答えします」
ニッコリと笑う美鈴。意地が悪いのか、それともただ何と無くきっかけにしただけなのか。この冷えた空気の中じゃあ、
「ひとつしか答える気、ないでしょ?」
「……ばれました?」
あちゃあ、と舌を出す美鈴。やっぱり、意地悪の方だったのか。
「これでも雇われの身ですからね。話せないことも当然あります」
「雇われの身、ねぇ」
「ハイ。もし、私の一言でお嬢様や館の皆さんに迷惑がかかったら、大変ですから」
「ふうん……。じゃあ、館に迷惑がかからない質問なら、いいわけだ」
「え? え、えぇ。まぁ」
僕の言葉に、予想外だと言わんばかりの反応をする美鈴。その反応を見て、してやったりと舌を出したのは僕の方。
「なら、美鈴の事を知りたいな」
「はぇ? ……わ、私のこと、ですか?」
「うん。ダメ?」
「いや、ダメなんかじゃないです、けど」
急に挙動不審になる美鈴。なんでもいいけど、あんまり動くと紅茶が零れると思う。
でも、何となく反応が面白いので。
「あ、そっか」
「?」
紅茶を零さないように気をつけながら、美鈴の足元に跪く。
「え、え?」
意識的に下から見上げ、困惑する彼女の手を優しく手の平に乗せた。そして、その冷たさに少しだけ驚きながらも、指先に息を吹き掛けながら、
「――お嬢様のことを知りたいと思う……そのことに、理由はいりますか?」
「あ、え、その」
おぉ、戸惑ってる戸惑ってる。
「無理だと言うのなら諦めます。ただ、ほんの少しだけでもいい。貴女のことを知り、少しでも近付いて。……少しでも、貴女の為に尽くしたい」
「こ、困りますよぅ……」
「この身は貴女に仕える為だけにある……困らせて申し訳ありません……しかし」
「……随分と楽しそうなことをしてるじゃない」
「この想いは偽ることができ危なっ!?」
「あ痛ぁっ!?」
殺気を感じ、体勢そのまま瞬間的に顔をのけ反らせる。目の前を通り過ぎていった銀色は、数本灰色を散らしていった。
「なかなか戻ってこないと思ったら……貴方は何をしているの」
「酷いなぁ。従順な執事の練習をしてただけなのに」
「いろいろと突っ込みどころはあるけれど、とりあえず仕える相手が違うとだけは言っておくわ。ほら、早く来なさい。妹様が待ってるわよ」
「あや、フランが?」
それはまずいと立ち上がり、すっかり冷めた紅茶を煽り飲み。ナイフを避けながらも紅茶だけは零さないという無駄な努力に自己満足し、咲夜について門をくぐる。
「また来るよ、美鈴。身体壊さないようにね」
「は、はぁ……」
呆気に取られている美鈴に手を振り、小走りで館の中へと入る。
……美鈴の額に刺さっていたナイフが気になって仕方がなかったが、あれもここの日常かと無理矢理納得することにした。




