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96:〔背中合わせの敵対心〕

「ほら。次はあそこ」

「はいはい」

「返事は一回」

「はい」


 後ろからの声に急かされながら、綺麗な骨董品を不慣れな手つきで拭いていく。

 最後のひとつ、小さな花瓶的な容器を拭き終えたところで振り返ると、そこには満足げに頷く咲夜の姿があった。


「不思議なものね。普段とはまるで違う服なのに、案外様になっているわ」

「そうかなぁ……。見た目の割には動き易いのは認めるけど」

「貴方は元々細身だからね。……それでも、私のサイズでも大丈夫とは恐れ入るわ」


 ペタペタとウエストの辺りを触りながら言う咲夜。

 僕はそれに苦笑しながら、白い手袋を履いた手で、肩についた埃を払う。ついでに少し乱れた衿を直し、シワひとつない『執事服』を自分で眺める。

 念のためもう一度。『執事服』、である。ちなみに眼鏡はかけていない。


「でもなんで執事服を? 咲夜ってメイドじゃあ」

「……お嬢様の意向よ」

「あぁ、もういいや。深くは聞かない」

「そうして頂戴」


 遠い目をして顔を背ける彼女を見て、僕は早々に話を切り上げた。彼女とて根は人間。吸血鬼のお嬢様を相手取るにはそれなりの苦労もあろう。


「でも……」


 不意にしゃがみ込み、今度は僕のウエストをペタペタと触る咲夜。


「いくらなんでも細すぎじゃあないかしら」

「それは遠回しに自分の身体をアピールしていると見た」

「この執事服……ラインを見せるためにウエストは少し詰めてあった気がするんだけど……」

「まぁ胸は余裕あるけどね」

「セクハラね」

「そこは反応するのか」


 しゃがみ込んだままジト目で見上げてくる咲夜。だって本当のことだからしょうがないじゃないか。


「身長もあまり変わらないし……」


 立ち上がり、クルリと回り込んで背中を合わせてくる。確かに、咲夜の身長は女性にしては高い。僕より数センチ低い程度のものだ。


「見た目だけなら充分、執事の雰囲気出てるわね」

「耳と尻尾隠してるしね」



 チリン、と無意味に耳飾りを鳴らしてみる。別に変化と共に消すことも出来なくは無いが、身嗜みとして残しておいてあるのだ。普段とは違う位置にある為に、多少違和感はあるけれど。


「にしても。レミリ……いいや、お嬢様も、なかなか思い切った事を思い付くものだ」

「確かにね。私も最初は驚いたわ」


 歩き出した僕に、足音無く横に並ぶ咲夜。

 昨日までは思いもしなかった状況に一人苦笑しながら、こうなったいきさつを思い返す。










 ――それはつい昨日の話。


 咲夜からの強い要望で、連日紅魔館を訪れていた僕と、その咲夜を呼び出したお嬢様は、まるでその場で思い付いたかのようにポンと手を叩き――


「貴方、ここで働きなさい」


 そう言った。

 僕と咲夜がポカンとしているのを知ってか知らずか、いいや、先ず目に入っていなかったのだろう。そうじゃなきゃ、あんなに自信満々に振る舞えはしない。


「いちいちここに来るのも面倒でしょうし、咲夜も彼と常に一緒に行動していればいつか慣れるかもしれない。一石二鳥じゃない」

「え? ミィここで働くの?」


 どや顔を全面に押し出してくるレミリアの横で、目を見開いて聞いてくるフラン。ちなみにミィとは僕のことである。


「どうかしら? 悪い話ではないでしょう?」

「そうしなよ! でもお姉様には咲夜がいるんだから、ミィは私のね?」

「いいわよ? せっかく出歩けるようになったんだもの。フランにも従者の一人くらい付けてあげなきゃね」


 当事者であるはずの僕と咲夜の頭が回転し始めた頃には時既に遅し。

 楽しそうに話す目の前の姉妹に、今更口を挟むことなんて出来るはずも無く。










「かくして、紅魔館に一匹の猫執事が追加されましたとさ」

「いきなりどうしたのよ」

「咲夜と過ごすのも悪くは無いかなぁって」


 軽口を叩き、少しだけ歩く速度を落とす。

 普通なら、横に並んでいたはずの咲夜が前に出るはずだが、不意にその姿が見えなくなった。つまり、咲夜は僕の背後で立ち止まっている。

 振り返りはせずに、両手をポケットに突っ込んで立ち止まる。


「どうしたのかな。そんな怖い顔したりして」


 返事は無い。ただ、ピリピリとした彼女特有の殺気が、背中をチクチクと刺してくる。

 そのチクチクの中に、ひとつだけ『本物』が混じっている辺り、なんとも言えない気分になる。


「先に言っておくわ」


 服を貫かない程度に押し付けられたナイフ。そのまま突き出せば心臓を貫くであろう腕を、ピクリとも動かさずに淡々と彼女は告げた。


「私は、貴方を信頼しているわけじゃない。むしろ、今ここでこの腕を突き出しても、私はなんら構わないし、その後には気にもしない」


 それは、事実上の敵対。

 確かに、相対した覚えはあれど、和解した覚えはない。

 爪とナイフが互いを削り合うことが当たり前。隣り合い、並んで歩くことなどありえない。


 だからこそ、こちらも静かに妖気を漂わせながら。


「どうぞ、好きなようにしてくださいな」


 背中を向けたまま、糸を摘むようにしてクイッと手首を返す。


「ッ!?」

「……『今の』君を突き落とすのは簡単なんだから」


 突き刺してくるような殺気が消え、ナイフが音を立てて床に落ちたところで振り返る。

 膝をつき、辛うじて正気を保つ咲夜を、わざと意識して見下ろした。当然、彼女は憎らしげに睨み返してくる。

 それを見た僕は、軽く息を吐いて踵を返した。


「ま、思ったよりは良くなってるんじゃない? そんだけ睨めりゃ上等だ」


 ぱっ、と。

 咲夜に見えるように手を開く。


「別に僕は、君にどう思われようが気にしないよ。むしろ、隙あらば殺しにくるくらいの意気の方がいいかもね。逆にトラウマを植え付けてやる、みたいなさ」

「……別に、そこまでは」

「なんにしろ、しばらくは一緒に行動するんだ。これをチャンスと捉えるか、苦痛と捉えるかは君次第」


 てくてくと。

 見た目無警戒にも見えるように歩いていく。

 腰が抜けているのか、もしくは僕の言葉の意味を考えているのか、咲夜は座り込んだまま追いかけてはこなかった。

 そんな彼女に、僕は手を振りながら、


「君と過ごすのも、悪くは無いと思ってるけどね、僕は」










 まるで無警戒な後ろ姿に、張り詰めていた心がしなりとよれた。どうしてこう、彼は人のペースを乱すのが上手いのだろう。

 そんなことを思いながら落ちたナイフを拾い上げ、スカートの下、太股のホルダーにしまい込む。

 もう、彼の後ろ姿は大分小さくなっていた。


「冗談なんかじゃ、なかったのに」


 あの時、この左手を突き出せていれば。

 確かに憎らしいと感じている彼を、この手で仕留めることが出来たかもしれないのに。

 彼は抵抗していない。ただ、ほんの僅かに妖気を漂わせ、思わせぶりに口を開いただけ。

 あの程度の妖気で萎縮する程、やわな心は持ち合わせていない。へし折られるようなプライドも、遥か昔の紅い月に根こそぎ奪い取られてしまっている。


 なら、何故?


 口は動いた。


 ――けれど、唇は震えていた。



 ナイフを突き付けた。


 ――けれど、腕はそこで固まってしまった。



 ……膝を、ついていた。


 ――何も、出来はしなかった。



「……悔しい」


 何が、とは言えない。

 ただ、とりあえず悔しい。


「……見てなさい」


 立ち上がり、汗の滲んだ手を乾かすようにしてスカートを叩く。ホコリなんてついていなかったが、まぁ、気分というやつだ。

 時を止め、なぜかこちらを向いていた彼の目の前に移動する。


「きたきた。さ、次は何をするのかな」

 

 先の出来事など、もう忘れたかのような笑顔を見せる彼。それに少なからず驚いてしまっている私に、彼は意地の悪そうな、ニヤリとした笑いを私に見せて――私の感情を読み取ったのだろう――こう、言うのだった。




「言ったろう? 君と過ごす時間も悪くない、ってさ」

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