88:〔紅月〜『運命』〕
館に飛び込んだ僕を出迎えたのは、大量の妖精メイド達だった。なにやら非常に興奮しているようで、僕の姿を見て叫ぶわ逃げるわ弾幕撃つわ、とにかく大パニックである。
若干顔を引き攣らせながらも、身を屈めて弾幕をかい潜り、妖精メイド達の隙間を通り抜けていく。
「突撃したのはいいけど……なんで僕ここに来たんだっけ……?」
最初は霊夢の事が気になり、様子見程度の気持ちでマヨヒガを出て来たはずなのだが……何をどこで間違ったのか、今では大パニックの館を走り回るはめになっている。
しかしここまで来たからには途中で帰るのも気に入らない。とにかくまずはレミリアのところまで行かなくては。
「ごめんよっ」
トントンッ、とメイド達の肩を踏み台にして弾幕の嵐を乗り越えていく。しかし、一体何人のメイドを雇っているのか。見た限りじゃ正直数え切れない程の数がいる。しかもそのほぼ全員が興奮状態、いろいろとうるさいので耳はパタリと倒している。
妖精が騒いでいる場所には何かと厄介事が多い。ということはやはり、この館でも何かしらの騒ぎが起きているのだろう。普段から妖精メイドがこんな調子だったらやってられん。いらっしゃいの意味で弾幕撃たれても嬉しくも何ともない。
「ええい面倒くさい、一旦隠れるか……」
どこからともなく沸いて来る妖精メイド達にだんだんと嫌気が差してきた僕は前後に弾幕を放ち、妖精達がキャーキャー騒いでいる隙にひとつの扉に手をかけた。勢いそのまま開け放ち、体を反転させて即座に扉を閉める。とりあえずは大丈夫か、と息を吐き、
「あら、珍しい客」
「っ!」
――後ろから聞こえた声に、反射的に振り向いた。
そこには、慌てていた僕とは対照的に、落ち着いた様子で本を読んでいる一人の女性の姿があった。椅子に腰掛けて机に向かっている彼女は、視線を本に固定したままぴくりとも動かない。かと思えば、いきなり数回か細い咳をして、少し苦しげに息を吐いている。
長い紫色の髪が座っているせいで地面に触れている。それを見て、あれじゃあ毛先が傷むんじゃないか、なんていらない心配をしてみたり。
「…………」
「…………」
そして訪れた沈黙。
僕は身構えた姿勢のまま彼女を見つめ続け、彼女も本から目を離さずに黙り込んでいる。
別に警戒しているわけではないのだけれど、動くタイミングを見失ってしまった為にこんな状況になってしまった。はて、どう反応するべきか。
「パチュリー様〜。この魔導書はどこに置けばいいんですか〜?」
「そこの棚の三段目に隙間があるでしょう。そこに入れておいて」
「あ、そこですね。わかりました」
とりあえずこの体勢をやめてリラックスしようか。そんなことを考えていると、見覚えのある黒い羽を羽ばたかせながら一人の女性がやってきた。数冊の本を抱えたまま会話を交わすと、こちらもまた僕には目もくれずに指定された棚へと本を置きにいった。
そこでふと辺りを見回してみると、この部屋が予想外に大きい空間であることに気が付いた。大量の巨大本棚が並んでいる景色は壮観で、言うなれば巨大図書館といったところである。どう考えても館の外観からは想像できない規模の部屋だが、今は気にしないことにする。
二人の会話で若干場の空気が緩んだ気がしたので、僕は低く身構えていた姿勢を止めて普通に立った。同時に溜まっていた息が一気に吐き出され、途端に身体から力が抜ける。
そんな僕を、空中からじっと見つめている者が一人。
「…………?」
彼女は背中の羽を羽ばたかせながら、ゆっくりと小動物のように首を傾げた。その可愛らしい仕種につられ、こちらも同じように首を傾げてしまう。
それを見た彼女はパタパタとこちらに飛んできて、ふわりと床に降り立った。
「……えっと」
「…………」
こちらが反応に困っている最中、彼女はじぃっと僕の顔を見つめている。少し見上げてみたり、ちょっと横から見てみたり、時折耳を触ってみたり。
と、そこで。
「あっ」
「?」
彼女の興味が右耳から左耳へとシフトした時に、不意に頭に過ぎるあるシーン。僕は前にも、彼女とこうして至近距離で顔を突き合わせたことがある。
――そう、あれは確か――。
「厨房でケーキつまみ食いしてた……」
「!!!!」
僕がそう言った瞬間、左耳にあった彼女の手が勢いよく僕の口に当てられた。若干のけ反る程の威力を持った彼女の手は、僕の口を完全に抑えている。
「な、な、なぜそれを……ハッ!! まさか、貴方はあの時の……!」
ムグムグ言いながらとりあえず頷いておく。なんだ、やはり彼女も忘れかけていたみたいだ。
確かあの時は、僕が交渉を持ち掛けたすぐ後にあの魔法使い――パチュリーがやってきて、後からやってきた妹紅と戦闘に入ったのだ。
そこまで思い出して、僕は彼女の手を口から引っぺがした。そういえば、彼女には礼を言う必要があるのだった。耳元に口を寄せ、小さな声で囁いておく。
「あの時はありがとう。おかげで迷わずにすんだよ」
「あ……」
ポン、と肩を軽く叩き、相変わらず本を読み耽っているパチュリーに視線を向ける。すると彼女はチラリとこちらを見ると、また数回咳をして本をパタリと閉じた。どうでもいいが、咳がむきゅんむきゅんと可愛らしい音をしている。本人は苦しいのだろうし、そう思うのは少し失礼な気もするが。
「こぁ。これを右奥の棚の七段目に置いてきてちょうだい」
「…………」
「こぁ」
「……あ、はい。わかりました」
パチュリーの言葉に、ワンテンポ遅れて返事をする彼女。どこかふわふわした雰囲気でパチュリーから本を受け取り、上の空といった様子で本棚の陰へと消えていく。それを見たパチュリーは深く溜め息をついて、
「人のものを誘惑するのはやめてちょうだい」
「いや、そんなつもりは」
「だとしたらもっと質が悪いわね。一体何の用かしら」
小声ながら早口な口調で聞いてくる彼女に、僕はとりあえず今までの事情を話すことにした。まぁ、事情と言う程のものではないと自分でも思うけれど。
「……あの巫女ならとっくに帰ってるはずよ。レミィも負けを認めていたみたいだし」
「うん。それはわかってる」
霊夢の気配が少し前にこの館から離れていったのは確認済みである。結局僕の心配は杞憂に終わったということだ。
「ただ、そうね……」
パチュリーは一度むきゅんと咳をすると、何か考え込みように黙り込んでしまった。どうやら、妹様の方はパチュリーもよくわかっていない様子。どうして今日になって部屋から出て館の中を歩き回っているのか。そもそも僕には、なぜその妹様が普段ひとつの部屋から出ようとしないのかがわからないのだが。
「……そうね。貴方をレミィの場所まで送りましょう。仮にも姉妹なのだから、何か知っているでしょう」
「いいの? でも一体どうやって……」
部屋の外に出れば、おそらく先程の二の舞になることうけあいである。正直、見た目病弱なパチュリーがあの嵐を乗り越えられるとは思えない。
「じっとしてなさい」
「あ、はい」
パチュリーに言われ、若干身体を固くする。するとパチュリーは、普段よりも更に小声で更に早口に何かを唱え始める。正直何を言っているか全くわからないが、あれが呪文と言うものなのだろう。
「…………ん?」
と、そこで。
僕の耳がピクリと動くのと、パチュリーの口がピタリと止まったのは全くの同時。
次の瞬間、見覚えのある一筋の光線が僕のすぐ背後を貫き――。
「ようパチュリー。来てやったぜ」
「……来てほしいと言った覚えはないのだけれど」
――これまた見覚えのある白黒の魔法使いが、部屋に新しい入口を作って飛び込んできた。
部屋に風穴を空けられたパチュリーはもちろん、その破天荒な登場の仕方に僕までも大きな溜め息をついた。危うく吹き飛ぶところだった、と背中にピタリとくっつけた尻尾をフラリと揺らす。
魔理沙は瓦礫の上に着地すると、エプロンドレスを翻しながら僕の目の前にぴょんと移動する。
「なんだ、ミコトじゃないか。お前も本を借りにきたのか?」
「生憎僕は普通の妖獣。魔法の本は読めないよ」
そりゃそうか、と笑う魔理沙。いや、笑う前にパチュリーに謝ろうよ。
そう言おうとして、魔理沙の身体を見て口を閉じた。何やら細い糸のようなものが何十にも重なり、魔理沙の周りをクルクルと回っている。と、気が付けば僕の周りにも同じものが。
「ちょ、パチュリー! どこに送るつもりだ!」
「悪いけどあなたの相手をしている暇は無いの。そこの彼と仲良く話でもしてなさい」
舞い上がった埃に明らかな嫌悪感を見せながら、パチュリーは魔理沙を睨みつけた。その不機嫌オーラに、魔理沙は思わず身を引いてしまう。
「わ、悪かったって。今度からもう少し威力下げるか」
「ら」
「へぇ、これが転位魔法ってやつか」
凄まじく不自然な一音を発している魔理沙を無視し、素直な感想を口にした。まるで映画のシーンが切り替わったかのように視界が変わったのだ。その不思議な感覚に息を吐くと、いつの間にか目の前にあるナイフを、そしてそれを持っている人物に目を向けた。
「手荒い歓迎どうも」
「…………」
僕の言葉に、無言のままナイフを突き付けてくる咲夜。少し警戒されすぎな気がするが、やはり吸血鬼異変のアレが原因なのだろうか。
そんなことを考えていると、不意に魔理沙が僕の耳に口を寄せて、
「こいつクールな顔して猫苦手なんだ。特にお前みたいな灰色の猫」
「…………」
ピクりと咲夜の身体が動く。耳元で話してはいるが、魔理沙の声は普通に大きなもので、わざと咲夜に聞こえるように話しているみたいだ。
「この間なんか、人里に来た時に」
「黙りなさい」
トン、と魔理沙の足元にナイフが突き刺さる。それを見た魔理沙はべっと舌を出すとすぐに口を閉じ、後で話してやるぜと耳元で小さく囁いてきた。
床に刺さっていたナイフが一瞬で咲夜の手に戻り、今度は両手に数本のナイフが現れる。
「なぁミニスカメイド長」
「何よ」
「やるならやるで構わんが、お前の主は大してやる気なさそうだぜ?」
いいのかよ? と魔理沙が言うと、咲夜の後ろにいたレミリアが立ち上がるのが見えた。身の丈に合わない大きな羽を動かしながら歩みを進め、咲夜の隣で立ち止まる。そこでようやく、彼女の口が開く。
「咲夜。やめなさい」
「ですが」
「二度は言わないわ」
「…………わかりました」
少ないやり取りであっさり咲夜を抑えると、レミリアは僕をまじまじと見つめはじめた。深紅の瞳が僕の灰色の瞳を捉え、しばらくの間見つめ合う。
誰も口を開かず、無音の空間が僕の心を圧迫する。一体どういうつもりなのか。こちらが質問する側のはずなのに、僕の口は動かない。
それだけ、レミリアの発するプレッシャーは大きかった。
「……貴方は、運命って信じるかしら?」
「え?」
急にレミリアの口から放たれた質問。
いきなりなんだと思いつつも、とりあえず答えることにする。
「運命か……。半々、ってところかな。運命の存在を否定はしないけど、信じるかと聞かれれば微妙なところ」
実際、これは運命かと思う出来事もあれば、こんな運命あってたまるかと思うこともある。信じたい時もあれば信じたくない時もある。そんな僕は、言ってしまえば自分勝手なのかもしれない。
僕の答にレミリアは、そう、と頷くとふらりと首を傾けた。
口元には微かな笑みを浮かべていて、それ故にどこか不穏な気配を放っていた。
そして、彼女が次に放った言葉は。
「なら……貴方がこれから死ぬ運命だとしたら……貴方はどうするのかしら?」
「……何が言いたい」
一瞬時が止まったような感覚に陥るも、なんとか持ち直してそれだけ言う。レミリアはそんな僕を見てさらに笑みを深め、
「言葉の通りよ。……何故貴方はこの館に来たのかしら? 異変があったから? ただ単に暇だったから? それとも気まぐれに訪れてみただけ? 何であれ、結果として貴方はここにいる。途中で帰ることも出来たでしょうに、今、貴方は、私の目の前にいる」
「…………」
「もしこれが、ひとつの定められた『運命』だとしたら? 避けることができない『運命』だとしたら? ……それと同じように、これから死ぬ『運命』が、貴方にあるとしたら?」
レミリアの言葉は止まらない。その小さな口から、次々と『運命』という単語が飛び出してくる。その単語を聞く度に、僕の心臓は早く、強く、高ぶっていく。
「どうしてここに来たの? どうして引き返さなかったの? どうして帰らなかったの? どうして、私の前に現れたの?」
「……さぁ、どうし」
「それが、運命だったから。館に来たのも、引き返さなかったのも、帰らなかったのも私の前に現れたのも全て運命だったから。そして、これから死ぬのも、運命として貴方に定められている」
抑揚の消えた変わらない口調で、僕を追い詰めるようにレミリアは喋り続ける。
――なぜここに来たのか?
……霊夢のことが気になったから。
――なぜ引き返さなかったのか?
…………異変が終わっていなかったから。
――なぜ帰ろうとしなかったのか?
………………。
なぜ、何故、なぜ。レミリアの言葉が頭の中を走り回り、その他の思考を停止させる。
「お、おい」
僕の横にいた魔理沙が、トントンと肩を叩いてくる。レミリアの瞳から目を離せずにいた僕は、そこでようやく何かから解放されていた。
いつの間にか止まっていた息を整えながら、魔理沙の方を見る。すると、魔理沙は引き攣った表情で後ろを指差していて――。
「お姉様? 新しい遊び相手ってまだ来てないの?」
――瞬間、僕は固まった。
この気配。僕が館に飛び込んだ理由のひとつ。
レミリアは固まった僕を見て、更に深い笑みを浮かべると――。
「ここにいるわ。沢山遊んでもらいなさい、フラン」
――そう言って、咲夜と共にその場から消えていった。
「もう、捜したんだから。さっ、私と一緒に遊びましょ?」
最近少し不調気味……。
どこか違和感があればお教え下さい。




