71:〔黒く染まりし〕
森から飛び出し、草を根本から刈り取りながら停止。
少しだけ乱れた息を整えながら、ここからは歩いて移動。
というのも、向日葵の花畑はもう目と鼻の先にあるわけで。あのままのスピードでいったら、止まる時に向日葵をへし折ることも有り得ると思ったからである。
着物についた葉を払い、小高い丘を見つけたのでそこに腰を下ろす。
向日葵の顔はまだ下を向いており、前のように背後に気配を感じることも無い。
と、花畑の向こう側にぽつんとある家の扉が開くのが見えた。
あそこに住んでいるのは、一匹の花の妖怪。風見幽香である。
「まだ大丈夫」
そう自分に言い聞かせ、大きく深呼吸。大丈夫、まだ僕は僕のままだ。
そんなことをしていると、ワサワサと音を立てて向日葵が動き始めた。幽香の家から僕のいる丘まで、ひとつの道を作るように花畑が割れていく。
「こんな朝日も昇り切らない内から、何の用かしら?」
閉じた日傘を片手に、スタスタと優雅に近付いてくる幽香。
僕は座ったまま姿勢を変えず、ただその姿を見つめ続ける。
何も反応しない僕に、幽香は怪訝そうに僕を見返してきた。と、そこでピタッと立ち止まる。
「……貴方」
「?」
ぽつりと呟いた幽香は、立ち止まったまま口に手を当てて何か考え始めた。
まさか思い出してくれたのか、と期待したが、すぐにその考えを捨てた。そう上手くいったら苦労は無い。
皆、永琳みたいにいくわけないのだから。
「なにかしら……貴方を見ていると、身体が疼くような……。もしかして、貴方なら」
そこで、僕と幽香の視線が交わる。
幽香はそれで何かを感じたらしく、その口元が妖しく歪んでいく。
そして、彼女の表情が裂けたような笑みになった瞬間。
「っ!!」
僕がいた丘が、レーザーらしきもので消し飛んでいた。
冷や汗をかきながら四ツ足で着地。
――おいおい……前はあんなの使ってこなかったぞ?
「避けた……避けられた。ウフ、ウフフフフフ! 避けてくれた!」
「……?」
「そうよ! 私が待っていたのは貴方! このどうしようもない穴を埋めてくれる、貴方を待っていたのよ!」
「なっ」
ゴゥッ、と身体が押されるような威圧感。
凄まじい妖力が幽香から発せられ、思わずこちらも妖力を解放してしまう。
元から強いとは思っていたが、この百年で更に進化しているようだ。
「今までの相手は全員駄目だった! どんな強者も私の穴を埋めることは出来なかった! でも、貴方なら……そう、他でも無い貴方ならっ! アハハハハハハッ!!!!」
ギリ、と歯を食いしばる。
体勢を低くして幽香を見上げ、いつでも動けるように準備。
幽香の言う『穴』がなんなのかはわからない。
記憶も、戻っているかと聞かれれば十中八九戻ってはいないだろう。
今わかっているのは、たったひとつ。
「……あぁ、僕が埋めてやろうじゃないか。その『穴』とやらをね」
突き刺すような妖気を弾き返し、こちらも全力で妖気を解放。
ふわりと幽香の身体が浮き上がり、それにつられるように周りの向日葵も背を伸ばしていく。
こうなってしまえば、戦いたくないなんて甘いこと言ってられない。一瞬でも気を抜けば待っているのは天国……いや、地獄への扉。
覚悟を決めて、戦うしかない。
「さあやりましょう? 殺し合いましょう!? アハハハハハハッ!!」
幽香の笑い声が辺りに響き渡る。
次の瞬間には、幾多の向日葵が僕へ襲い掛かってきていた。
「チッ」
舌打ちを鳴らしながら、右へ左へ跳びはねる。
後ろから迫る向日葵を振り向き様に一閃し、わざと転んで幽香の傘の一撃を避けた。
跳ね起きの要領でその傘へ蹴りを入れてそのまま飛び起き、低い姿勢で腹に一撃を入れる。怯んだ幽香を見た僕は、彼女の肩を踏み台にして空へと跳んだ。
「食らえっ!」
両手を勢い良く広げ、大量の弾幕を作りだす。間髪入れずにそれを幽香に叩き込んで――。
「ぬるいわ。これぐらいはしてきなさいっ!」
「!!」
僕の弾幕全てを飲み込み、例のレーザーが空中の僕へと襲い掛かった。
瞬間、僕は身体をよじってそれを回避するも。
「避けると思ってた」
そう呟いた幽香は、いつの間にか空中の僕に接近していて。
エビ反りになっていた僕の身体に、容赦無く傘を振り下ろした。
「あぐっ!! っはぁ……!」
その一撃でくの字になった僕の身体は、まるで人形のように地面にたたき付けられた。
二度、三度バウンドし、肺の空気が吐き出される。食いしばった歯の隙間から血が流れ出し、それを拭おうと口元に手を近付け、
「ごふっ……!」
這い出してきた血に耐え切れず、思い切り赤色を吐き出してしまった。
ビチャビチャと音を立てて地面に落ちる、唾液混じりの血液。
身体が震え、反対の手で口を拭いながら立ち上がる。
地面が柔らかい土でよかった、もし踏み固められた固い場所だったら、立てたかどうか微妙なところだ。
「ぐ……ぅ? っ、フフフ。まだ、まだ終わっちゃいやよ。まだ、私の穴は埋まりきってない」
額に汗を滲ませながら、それでも幽香は笑いながら言う。
僕の攻撃が少なからず効いているのだろう。彼女の感情に、少しずつ『苦痛』が生まれてきている。
……これなら、なんとかいけるか?
幽香に向けて右腕を上げ、ぐっとその手を握り締める。先程よりも強く、幽香の感情を取り込み――
「うぅっ!?」
――強烈な頭痛が、僕に襲い掛かってきた。
まるで頭が内側から裂けてきそうな強烈な痛みに、思わずまた膝をつく。
その衝撃で再度吐血。目の前が歪んで、身体に力が入らない。
「ぐ……ぅ、はぁっ……」
目を回した時のように、世界が回転しているかのような感覚。
あまりの苦痛と、それゆえの脱力感に、思わず目を閉じてしまいたくなり。
「が、ぁ、あ、あは、アハハハハハハッ!!」
幽香の狂ったかのような笑い声を聞き、まずいと思ったその時。
――僕は、突撃してきていた幽香を殴り飛ばしていた。
ドドッ、と数メートル先に倒れた幽香は、頬を抑えながら起き上がる。
その目は、何か信じられないものを見たように見開かれていて。
「あぐっ!!」
次の瞬間には、僕の手によって首を締め上げられていた。
片手で持ち上げた幽香の身体に、もう片方の手で攻撃を加える。
一発目で声が漏れ。
二発目で涎が飛び。
三発目で血を吐いて。
四発目を入れるかどうか迷い、少し考えて頭から地面にたたき付ける。
「ぐふっ……! あ、貴方、その姿は……!?」
「…………」
幽香の声が、頭に入らずにそのまま通り過ぎていく。
右手を掲げ、爪を伸ばして妖力を篭めて、ちらりと幽香の姿を一瞥。
逃げられないように足の骨を踏み砕く。絶叫すら気にならない。
そして、僕は弓を引くように右腕を引いた。後はこの腕を突き出すだけ。
「気になってついてきたら……悪いけれど、しばらく眠ってもらうわよ」
と、そこで僕の脇腹に数回の衝撃が。
見てみれば、そこには五、六本の矢が突き刺さっていた。
途端に目の前が暗くなり、身体から力が抜けていく。
「……髪が、黒く? どういうことかしら……」
弓矢を片手に歩いてくる彼女の言葉。
それを最後に、僕は前のめりに倒れていった。
わざと言葉を少なめにしてみた。
展開が早くなった。




