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【BL】αの生徒会長、ライバルαに「欲しい」と言われる

作者: 朏猫
掲載日:2026/03/19

(何なんだ、何なんだ、何なんだ!)


 そんな言葉を延々とくり返しながらドカドカと歩く。いつもなら人目を気にしてこんな歩き方はしないが、放課後の、しかも人がいない特別棟だからと乱暴な仕草で歩き続けた。


(いったい何をしているんだ! 今年受験なんだぞ!? あんなことして、もし誰かに見られて問題にでもなったらどうするつもりだ!)


 眉をつり上げたところでピタッと足が止まった。俺は何をこんなに怒っているんだ。もしそれで推薦が取り消されたとしても自業自得じゃないか。「そもそも山田、推薦取るって言ってたか?」と眉をひそめた。


「ハッ! どうして俺があいつのことを心配しないといけなんだ」


 笑い飛ばして歩き出した。歩きながらもさっき見た光景が蘇る。途端になんともいえない不快な気持ちが広がった。


(ここは神聖な学舎(まなびや)だぞ? それなのにあんなことを……)


 脳裏に浮かんだキスシーンに、ますます眉間に皺が寄る。

 放課後、特別棟の四階に来たのは偶然だった。特別棟というのは図書室や音楽室、美術室や放送室などがある棟で、部活動でも使う音楽室や美術室あたりはにぎやかだが四階にある図書準備室には誰も近づかない。そんな場所にわざわざ行ったのは読みたいと思っていた古い科学雑誌のバックナンバーが準備室にあるとわかったからだ。

 取りに行くという図書委員に「自分で行くからいい」と申し出たのは俺だ。三階にある生徒会室に行くついでに四階に寄ればいい。そう思い、先に図書準備室で目的の雑誌を探し、廊下に出たところで匂いがしていることに気がついた。


(なんだ、この匂いは)


 どこからか甘い匂いがしている。どことなくΩの香りのように感じるが、それとは何かが違う。


(この安っぽい匂いは……もしかして例の香水か?)


 自慢じゃないが我が家のαは代々嗅覚に優れていた。優秀なつがいを探すために進化したのだろうとは曾祖父の言葉で、言葉どおり歴代当主のつがいは優秀なΩばかりだ。

 その鼻が「これは偽物の匂いだ」と言っている。嗅いだことはないが、おそらくこれが噂の香水に違いない。


(疑似Ωになれる香水、だったか……まぁ、たしかにそれらしい匂いではあるが、この程度の匂いで騙されるαが我が校にいるとは思えないな)


 我が校には優秀なαやΩが集まっている。生徒の多くはβだが、彼らも選ばれし家柄の人間ばかりだ。好奇心からこうしたものに興味を示す人もいるだろうが、学校内で使うようなやつがいるとは思えない。

 ふと「ポッと出」という言葉が頭に浮かんだ。彼らなら使いそうだと噂になっていたことを思い出す。

「ポッと出」というのはβ同士の夫婦、または片親がβの夫婦の間に生まれたαやΩのことを指す。そうしたαやΩはこの学校にもいた。もちろん彼らはただのαやΩではなく、難関といわれる試験を見事にクリアした者たちばかりだ。

 だが、いくら優秀でも家柄はどうにもならない。そのため我が校では昔から「ポッと出」と呼ばれていると聞いた。


(そういう偏見や差別はよくないとわかっているが、もともとαやΩは特権意識が強いからな)


 歴史的に見ても諸外国を見てもそうだ。αとΩが世界を動かしてきたという自負があるからか、βの血を引くαやΩを下に見る傾向がある。そうした偏見は改めるべきだという意見もあるが、百年、二百年と続いてきた価値観を変えることは難しい。

 俺はそうした差別はよくないと考えていた。優秀なら血筋や家柄など関係なく、その才能を讃えるべきだ。「こうした考えも一種の反抗期かな」と父や兄を思い浮かべて苦笑してしまう。


(俺も含め、特権意識の強い親たちを見て育ってきた生徒たちばかりだから簡単に変わることはできないだろうが)


 ため息をつき、甘い匂いの出所を突き止めようと廊下の奥へと向かった。この匂いがよからぬ目的で使われているとしたら生徒会長として看過するわけにはいかない。

 Ωの中には優秀なαとつがうために発情を促す薬に手を出す者がいる。発情状態でうなじを噛まれれば、噛んだαとつがいという特別な関係になれるからだ。αの中にも、Ωを手に入れるためそうしたものを使う輩がいた。なかには単に欲求発散したいために使うやつまでいると聞いている。

 香水にそんな作用があるとは思えないが、そもそも学校で香水の使用は許可されていない。不謹慎な目的で使っているのなら、なおさら見過ごすわけにはいかなかった。


(いくら優秀でも俺たちはまだ未熟だ。それに発情が本格化する時期でもある。そうしたことに興味津々になるのはわからなくもないが、学校は勉学に励む神聖な場所だぞ)


 奥に進むにつれて匂いが濃くなった。おそらくこの教室だろうと足を止める。見上げるとドアの上に「資料室」というプレートが掲げられていた。


(開かずの間か)


 資料室、またの名を「開かずの間」と呼ばれているこの教室は、特別棟の中でもっとも人が近づかない場所だった。

 ここには中世の世界地図やルネッサンス期の模写本、舶来品の古い曼荼羅や古代王朝の遺物の欠片など、どう考えても歴代の教師たちが趣味で集めたとしか思えない資料が押し込められている。滅多に使われることのないものばかり置いているからか、いつしか「開かずの間」と言われるようになった。「最後に中を確認したのは俺が入学する前だったか」と校長の話を思い出す。

 だからこそ生徒たちがこっそり使うには便利な場所でもあった。「随分前に施錠必須にしたはずだが」とドアに手をかけると、引き戸にわずかな隙間ができた。


(勝手に鍵を持ち出したのか)


 隙間から漏れ出してきた甘ったるい匂いに眉が寄った。こんな匂いに騙されるαがいるとは思えないが、二人分の声が聞こえて顔をしかめる。


(教室で何をしているんだ)


 そう思ったのは、聞こえてきた声があからさまにいかがわしい雰囲気だったからだ。生徒会長として、ここはしっかり注意しなくてはいけない。それに鍵のこともある。鍵の管理は職員室と生徒会室でしているため、生徒会室から勝手に持ち出されたのなら責任問題にもなる。

 腹立たしく思いながらドアを開けようとした手を止めた。もし見るに堪えない状況だったらまずい。そう思い、音を立てないようにもう少しだけ開けてから、そっと中を覗き込む。


(あれは……)


 中には予想どおり二人いた。どちらも制服を着ている。一人は影になっていて誰かわからないが、もう一人の背中には見覚えがあった。背中だけでも圧倒的な存在感を放っている人物を見間違えるはずがない。


(山田じゃないか)


 まさかの人物に目を見開いた。山田は同じクラスのαで、いわゆる「ポッと出」の一人だ。両親はβらしくごく普通のサラリーマン家庭だと聞いている。

 そんな山田は中学一年のときにαだとわかった。第二次性の判定としては遅いほうだが、国が行っている能力判定テストで驚異的な才能を見せたらしく、すぐに我が校の中等部に転校してきた。しかも特待生枠でだ。

 山田の噂は聞いていたが中等部で同じクラスになることはなかった。山田と同じクラスになったのは高校一年のときが初めてで、二年の今も、そしてもう間もなく始まる三年も同じ特別クラスになることが決まっている。


「ポッと出のくせに三年間特クラかよ」


 入学した直後はそういう陰口をあちこちで聞いた。先輩たちの受けもよくなかった。特別クラスは我が校でもとくに優秀なαやΩしか入ることができない。そこに一年時から在籍するだけでなく、はじめから三年間在籍だと決まっているαやΩは多くないからだ。

 誰もが山田の噂をした。値踏みするものや家柄を馬鹿にするもの、足を引っ張ろうとするものもいた。逆にすり寄るものもいれば、同じ「ポッと出」のαやΩたちのボスに担ぎ上げようとするものたちもいた。

 ところが山田はそんな周囲にどこ吹く風だった。嫌味を言われても気にする素振りはなく、才能があっても偉ぶる様子もない。家柄を自慢されても「ふぅん」と答えるだけで興味を示さず、そんな様子を我が事のように自慢する「ポッと出」たちの仲間に加わることもなかった。

 気がつけば、山田は学校一の人気者になっていた。「誰にでも公平でかっこいいナンバーワンα」とまで言われている。もし山田が生徒会に入っていたら、会長の席は山田のものだったかもしれない。


(たしかに山田は優秀だ。幼等科から優秀なαを見てきた俺にはわかる)


 そんな山田が、まさかこんな偽物の匂いに騙されるとは……ショックと同時に頭がカッとなった。


(こんなやつを相手に負けてなるものかと俺は必死に努力していたのか?)


 情けないやら悔しいやら歯ぎしりしたい気持ちになる。同時に裏切られたような気がした。

 中学までと違い、高校からは学年全体での順位が発表される。半年に一回は全国順位も発表された。俺と山田はいつもトップを争っていた。

 高校一年での最初の定期テストで、俺は初めてオールトップを取れなかった。あのときの衝撃は今でも忘れられない。西園寺家の次男として常にトップを走ってきた俺が、まさか「ポッと出」と呼ばれるαに負けるとは思いもしなかったからだ。


(いや、そういう意識が油断を招いたんだ)


 気を引き締めた俺は、とにかく必死に勉強した。だが、努力する姿を周囲に見せるわけにはいかない。家族にも見せられない。西園寺家のαは“できて当たり前”だからだ。

 休日は隠れるように遠くの図書館に行き、とにかく必死に勉学に励んだ。そのうち、そこまで必死になれる相手がいることに心地よさを感じるようになっていた。


(俺は山田のことをライバルだと思っていたんだ)


 山田は俺が唯一認めた優秀なαだ。それなのになぜ偽物の匂いにつられてこんなところに……カッとなった勢いでドアを開けようとするが、「んっ」という相手の声らしきものが聞こえて慌てて手を止めた。直後、チュッという音がして頭を殴られたような気がした。


「なんでそんなやつと」


 思わず漏れてしまった自分の声にハッとした。慌てて口を閉じたが、声に気づいた山田が振り返った。


「あれ、西園寺?」


 あまりにもいつもどおりの様子に戸惑った。この状況で、なぜ山田はこんなにも普通なのだろう。周囲に敵意を向けられても、逆に媚びるようにすり寄られても山田はいつもこんなふうだ。


(あぁ、そうか。俺は山田みたいなαになりたかったんだ)


 まるで西園寺家のαのような山田の様子を羨ましく思うとともに腹が立った。注意することも鍵のことを確認するのも忘れて乱暴にドアを閉める。そうしてドカドカと廊下を歩きながら、頭の中で「それなのになんだ今のは!」と何度もくり返した。

 苛々したまま生徒会室のドアを開けた。ハッとして慌てて平静を装ったものの誰もいないことに気づいてホッとする。ホワイトボードには各役員が入学式に向けて調整を行っているとの報告が書かれていた。手にしていた雑誌を机に置きながらタイムテーブルの状態を思い浮かべる。


(演劇部と吹奏楽部、それに陸上部とバスケ部の調整がうまくいけば二日目はなんとかなるか)


 三年生の卒業式が終わってホッとしたのも束の間、来月には入学式が待っている。入学式の翌日から二日かけて部活連主催の新入生歓迎会が行われるが、生徒会はそのタイムテーブル調整で各部とやり合っている最中だ。


(部活連主催なら部活連がきっちりまとめるべきだ)


 そう思ったものの、揉めるだけ揉めてまとまらなかった昨年を思い出すと、そうも言ってられない。


「優秀なαやΩが多いはずなのに揉め事多いよね」


 不意に山田がこぼした言葉を思い出した。しかめ面でタブレットを見る俺に「どうかした?」と声をかけてきたのは山田で、つい「部活連とちょっと揉めていてな」と漏らした俺に、あいつは笑いながらそう言った。

 あのときの山田はいつもと少し雰囲気が違っていた。ほんのわずかだが、声に蔑むようなものが混じっていた気がする。


(そんなふうに思うのはよくない。そうしたことが偏見や差別に繋がる)


 それでもさっきの状況を思い出すとムカッとした。「おまえだって偽物の匂いに惑わされているくせに」と漏れた声に、ますます苛々した気持ちになる。

 しかも相手はβだ。Ωが相手なら仕方がないと言えなくもないが、β相手に何をやっているんだと腹が立った。

 αやΩは性的接触をすると特有の香りを放つ。さっきのようなキスだけでもそれなりに香りがするはずだ。だが、そうした香りは感じなかった。つまり相手は甘ったるい偽物の香りを纏ったβで、それなのに山田は相手をしていたということだ。


「山田のくせに気づかなかったのか?」

「僕がどうかした?」

「!?」


 突然聞こえてきた声に驚いて振り返ると、なぜか入り口に山田が立っていた。顔を見た途端にキスシーンが蘇り、慌てて顔を背ける。


(だから、どうして俺のほうが気まずい気持ちになるんだ)


 神聖な学舎で不埒なことをしていたのは山田のほうじゃないか。生徒会長である俺はそうしたことを注意する立場にある。それに鍵のことも確認しなくてはいけない。


「おい、さっきのことだが、……っ」


 いつの間にか目の前に山田が立っていた。「さっきのこと?」と言いながら俺を見下ろしている。


(また背が伸びたのか)


 成績では差を付けられることはないが、身長では頭半分近くも差が開いてしまった。それすら腹立たしくてグッと睨むように見返す。


(俺が欲しいものを山田はなんでも持っている)


 努力しても完全に手に入れることができないものを持っているくせに、あんな安っぽい匂いに騙されるなんてと怒りを覚えた。同時に悔しい気持ちがわき上がり、「何をしているんだ」と問い詰めたい衝動に駆られそうになる。


(とにかくここはしっかり注意しなくては)


 それが生徒会長たる俺の役目だ。そう結論づけ、睨むように見上げながら口を開いた。


「さっきのことだが、あれはなんだ」

「さっきのこと? あぁ、キスしてたこと?」


 まるで数式の答えを口にするような態度に頬がカッとなった。「あ、あぁ、キスのことだ」と答えた俺の声のほうが詰まってしまう。


「はは。なに、西園寺はキスって言葉が恥ずかしいんだ?」

「そんなわけないだろう。それよりここは学校だぞ。神聖な学舎で不埒な行為に及ぶとは、どういう了見だ」

「神聖な学舎って、」


 山田が顔を逸らした。口元を右手で押さえながら肩を振るわせている。


「何がおかしい」

「だって、神聖なって……プッ。ハハッ、ハハハ」

「馬鹿にしてるのか?」

「してないって」

「笑ってるじゃないか」

「これは馬鹿にしてるんじゃなくて、真面目だなぁと思っただけ」


 俺を見る山田の目尻が少しだけ濡れている。涙が出るほどおかしかったのかと、また腹が立った。俺は間違ったことは言っていない。生徒会長として正しいことをしているだけだ。


「そんなに睨まないでよ」

「開かずの間と呼ばれていても教室に変わりはない。そこであんなことをしてもいいと思っているのか? そもそも鍵はどうした。まさかここから勝手に持ち出したんじゃないだろうな」

「鍵なら随分前から開いているけど」

「は?」

「いつから開いているのか、誰が鍵を開けたのかは知らない。鍵が閉まっていたこともない」

「そんなはずは……」

「こっそり誰かが開けたんじゃないかな。おかげであの部屋、今じゃヤ……いや、なんでもない」

「なんだ、はっきり言え」


 今さら隠し事かと睨みつけた。しばらく俺を見下ろしていた山田がフッと笑いながら答える。


「あの教室、恋人の部屋なんだってさ」

「恋人の部屋? なんだそれは。恋愛をするなとは言わないが、わざわざ人気のない教室で会う必要なんてないだろう」


 顔をしかめた俺に「西園寺ってほんと真面目だよなぁ」と山田がつぶやいた。「馬鹿にするな」と睨むと「そんなこと言ってないって」と返される。


「いいや、今のは馬鹿にしていた」

「だからしてないって。優秀な学校の生徒会長らしいって褒めただけ」

「そうは聞こえなかった」

「おかしいなぁ」


 そう言って笑う山田に違和感を抱いた。どうもいつもと違う気がする。いや、間違いなく違う。教室での山田はこんな軽薄な感じではないし馬鹿にするような言い方もしない。


(もしかして俺しかいないからか?)


 ふとそう思い、胸がズキッとした。同時に腹の奥からムカムカした気持ちがわき上がってくる。


「もしかして俺のこと、ずっと馬鹿にしていたのか?」

「えぇ? 急になんの話?」

「必死に努力しないとおまえに勝てない情けないαだと馬鹿にしていたんだろう」


 笑っていた山田がきょとんとした顔をした。そうかと思えば「へぇ」と微笑む。


「西園寺って案外間抜けだね」

「はぁ?」

「だって、今のは“山田に負けたくないから努力してました”って白状しているようなものでしょ」


 指摘されてカッとなった。「う、うるさい」と睨むと、「ま、知ってたけどさ」と返されてドキッとする。


「何を知ってるというんだ」

「この前の期末試験の前、隣の市の図書館で勉強してたでしょ」

「な……」


 なぜ知っていると言いかけた口を閉じた。


「偶然見かけたんだけど、随分必死な顔してたよね。あんな顔、学校で見たことないから驚いたなぁ。そもそもなんであんな遠い場所の図書館になんていたんだろうね」

「……」

「そんな必要ないよね? だって、この学校には大学にも負けない立派な図書館があるんだからさ」


 山田が一歩近づいた。


「つまり、西園寺は努力してる姿を学校の連中に見られたくないってことだ。違う?」


 冷や水を浴びせられたような気がした。見下すような兄の顔が頭に浮かび、グッと奥歯を噛み締める。


「僕さ、優秀なαって嫌いなんだよね」

「……なんの話だ?」

「αの話だよ。優秀なαってみんな偉そうでしょ。実際偉いのかもしれないけど、上から目線っていうかさ。そういう人たちに僕の人生勝手に決められるのかと思ったら吐き気がする」


 何が言いたいのかわからず、じっと山田を見る。


「中学で無理やり転校させた人も優秀なα、勝手に進学先の高校を決めたのも優秀なα、大学も問答無用に優秀なαが選ぶところに行けって、何様のつもりなんだろうね」


 そう言うとニコッと笑った。


「だけど、そういう偉そうなαほど実際は優秀なんかじゃない。この学校のαたちもだ。そんなところに押し込められて、なんてつまんない青春なんだろうって思ったよ。ま、優秀な学校でも逸脱する生徒は一定数いるし、おかげでさっきみたいに羽目を外すことはできるけどさ」

「そんな人間は我が校には」

「いるよ? さっき見たよね? 序列がある限りどんな世界でもこぼれ落ちる者は出てくる。それでも自分は優秀だって思ってるんだからおもしろいよね。そういうやつを組み敷くのも案外悪くないけど」


 微笑みながら山田がまた一歩近づいてくる。


「西園寺も、見るからにそういう優秀なαって感じで嫌いだったんだよね」


 聞こえてきた言葉に頭をガツンと殴られたような気がした。反論したいのに、なぜか喉がつっかえて言葉が出てこない。


「ほんと、この学校のやつらも僕にあれこれ指示するやつらも、誰も彼もが大したことないくせに優秀ぶって、馬鹿馬鹿しい。αもΩも、選民意識の強いβも馬鹿ばっかりだ。さっきの子だってあんな匂いで僕に言い寄ってくるなんて笑えるよね。こっちは全部わかってるっていうのに勝手に盛り上がっちゃってさ」


 遠くで陸上部の笛の音がした。バラバラに聞こえる楽器の音は吹奏楽部だ。そこに帰宅する人たちの大声や笑い声が混じる。


「なるほど、今まで見せていたのは外面だったってことか」


 指摘すると山田が満面の笑みを浮かべた。


「西園寺だっていつもすまし顔で本当の自分隠してるくせに」


 鼻で笑うような仕草に、気がつけば拳を握りしめていた。


(俺はこんなやつをライバルだと思っていたのか)


 父の声が聞こえた気がした。αは隙を見せてはならない、必ず頂点に立て、それが西園寺家のαだと物心ついたときから言われてきた。隙を見せれば足元をすくわれる。頂点しか意味がない。不意に「相手の本心すら見抜けないのか?」と笑う兄の顔が浮かんだ。

 グッと唇を噛んだ。図書館のことを口にしたのは脅しのつもりに違いない。そう思うと腹立たしさより悔しさが先に立った。


「何がほしい?」


 俺の弱みを握ることで得たいものがあるに違いない、そう思った。「よくあることじゃないか」と過去の友人だった者たちを思い出す。

 山田は西園寺家の持つ何かが欲しくて俺の弱みを握ろうとしたのだろう。影で努力する程度のことは弱みでもなんでもないが、それでも俺にとっては唯一といってもいいウィークポイントだった。


「へぇ、そうきたか」


 山田が感心したような声を出した。そうかと思えばすぐに楽しそうな表情に変わる。


「それって、欲しいものを言えばくれるってこと?」


 やっぱりそうだったのか……胸がズキッとした。山田のことは一年のときからずっとライバルだと思ってきた。そう思うに値するαだと感じていた。優秀なα同士、どこかで通じ合っているような気さえしていた。負けるのは悔しいが、ライバルだと思える相手ができたことを嬉しう思う自分もいた。

 だが、違った。ひどい裏切りにあったような嫌な気分になる。


「そうだなぁ……じゃあ、西園寺が欲しい」

「……なんだって?」

「だから、西園寺が欲しい」


 何を言われたのかわからずポカンとした。意味がわからない。「西園寺が欲しい」というのは、つまり「俺が欲しい」ということだろうか。


(俺が欲しい?)


 頭の中でくり返していると、山田が顔をグッと近づけてきた。


「ねぇ、聞いてる?」

「聞こえている」


 距離の近さに慌ててそう答えたが、山田は顔を近づけたまま「僕は西園寺が欲しい」とまた口にした。


「だから西園寺をちょうだい。言えばくれるって言ったのは西園寺だよね?」

「たしかに言ったが……意味がわからない」

「そのまんまだよ。それとも本当に意味がわからないくらい初心だってこと?」

「本当も何も、意味がわからないと言って、」


 さらに顔が近づいてきて言葉が詰まった。他人とこんな至近距離で話をしたのは初めてだ。家族でさえ一定のパーソナルスペースを保つというのに、なぜ山田はこんなに距離を詰めてくるのだろう。


「……この香り……」


 近づいていた顔が少しだけ離れた。何か考えるような顔をしたかと思えばニコッと笑いかけてくる。


「西園寺ってさ、よく見たら可愛いよね」

「…………は?」

「ははっ、そういう顔も可愛いじゃん」

「急に何を言い出すんだ?」

「だから、西園寺は可愛いって話」


 ますます意味がわからない。そもそもこんなに会話が成立しない相手は初めてだ。いくら俺が優秀なαだとしても、意味不明なことばかり言われたんじゃ理解できるはずがない。


「よく見たら、けっこう僕好みの顔してるし」

「はぁ?」

「キリッとした純和風な顔、けっこう好きなんだよね」


 純和風なんて当たり前だ。俺は日本人で、両親も祖父母も曾祖父母も日本人だ。そう言おうと口を開く前に「それに西園寺の匂い、けっこう好きかも」と言いながら山田がクンクンと鼻を慣らし始めた。


「おい、悪趣味だぞ」

「何が?」

「他人の匂いを嗅ぐなんて失礼だろう」

「えっ? αがそんなこと言う? 匂いを嗅がないと相性わかんないでしょ?」

「それはαとΩの場合だ。α同士で嗅いでどうする」


 また少し顔を離した山田がきょとんとした顔をした。その顔が段々と笑い顔に変わる。


「α同士でも匂いは大事でしょ。そんなこと言ってたらα同士で結婚なんてできないよ?」

「それは男女の話だ。男同士で匂いを嗅いでどうするんだと言っているんだ」


「ふぅん」とつぶやいた山田がニッと笑った。そうかと思えば「そっか」と言いながらグッと顔を近づけてくる。一気に縮まった距離に驚いて逃げる暇もなかった。


「西園寺ってさ、恋愛したことなさそうだよね」

「馬鹿にしているのか?」

「そういうのも悪くないなと思っただけ。真っさらって、なんか興奮する」

「何が言いたい」

「だから西園寺が欲しいって話。さっきからそう言ってるでしょ」


 何か言うたびに山田の吐息が鼻先に当たる。そのたびになぜか背中や首のあたりがゾクゾクした。


「つまんない青春だと思ってたけど、西園寺となら刺激的な青春を味わえそうな気がしてきた」

「なんの話だ」

「西園寺のいろんな顔が見てみたいなぁって思ってさ。由緒正しい家系の優秀なαの顔も、真面目な生徒会長の顔も、堅物αの顔も、でも一番は初心な可愛い顔かな」


 言いながら山田が笑った。


「それにさ、西園寺も僕の匂い、きっと気に入ると思うよ? 僕がそう感じるんだから間違いない」

「またわけのわからないことを、っ」


 山田の鼻が俺の鼻先に触れて言葉が詰まった。とんでもない距離にドッドッと心臓がうるさくなる。おかげで「だって……」と続く山田の言葉を聞き取ることができなかった。


「うわ、顔真っ赤。αのくせに初心すぎるだろ」


 今度は鼻先が擦れた。


(キスされる!)


 そう思った。頭に浮かんだのは資料室での光景で、咄嗟に目を閉じたものの、すぐに意味がないことに気がつく。それでもほかにどうすればいいのかわからずギュッと目を閉じた。


(…………何も、ない……?)


 何かが唇に触れる感触はしない。止めていた息をゆっくりと吐いた。そのまま瞼をゆっくりと開く。


「もしかしてキスされると思った?」

「……!」


 笑っている山田を思い切り突き飛ばした。「ははは、ごめんって」と笑った山田はよろけてもいない。力では完全に勝てないとわかり、それが悔しいやら情けないやらでムカッとした。


「ふざけるな!」


 腹が立って仕方がなかった。からかわれたこと、笑われたこと、秘密を知られてしまったこと、何もかもが腹立たしくて山田をギッと睨みつける。


(こんなやつに……ふざけるな!)


 グゥッと奥歯を噛み締めると普段は気に留めることのない犬歯が疼いた。


「うわ、西園寺の威嚇ってこんな感じなのか」


 平然とした山田の様子にますます腹が立った。これでもかと睨みつけながら意識してαの気配を放つ。それなのに山田の様子はまったく変わらない。

 学校でαが威嚇することは禁じられている。そうしなければΩがパニックになるからだ。優秀なαの威嚇はβを震え上がらせることもあるため、特クラではとくに気をつけるようにと注意されていた。


(そんなのくそ食らえだ)


 いつもならそんな愚かなことを思ったりはしない。生徒会長は生徒の模範となるべき存在で、いずれ生徒会長になるからと一年のときから自分を律してきた。それなのに今はすべて放り出してもいいと思ってしまうくらい頭がぐちゃぐちゃだった。


「やっぱり西園寺はαなんだなぁ。ははっ、でもなんだか可愛い威嚇だ」

「ふざけるな!」

「ふざけてなんてないって。ほら、落ち着かないと先生に見つかっちゃうよ」

「触るなっ、……っ」


 腕を掴まれた途端に足から力が抜けた。膝から崩れ落ちるような感覚に、慌てて目の前の制服を掴む。それでも踏ん張ることができず、そのまま目の前の体に寄りかかった。


(なんだこれは……)


 どうして脱力しているのかわからない。気がつけば山田に抱きしめられていた。


「落ち着いた? ……うん、威嚇は収まったね。まったく、生徒会長なのに何してんだか」


 まるで子どもをあやすかのように背中をポンポンと叩かれる。


「まぁでも、いつもの西園寺よりマシかな。澄ました顔よりずっと可愛いし」


 ふざけるなと言い返そうとするが、なぜか声が出ない。喉の奥が詰まったような感覚に顔をしかめた。


「それにこの匂い……うん、やっぱり好きだな」


 山田がブツブツとつぶやいている。「ふざけるな」と頭の中では反論できるのに声にならない。それどころか腕も足も動かすことができなかった。


「あぁ、ごめん。ちょっと強すぎたか」


 背中をポンと叩かれるのと同時に足に力が入った。それでも腰は震えたままで自力で立つのは難しい。山田の制服を掴む手もかすかに震えていた。そういえば鳥肌が立つような寒気のようなものも感じる。


「まさか……威嚇されていたのか?」


 αの威嚇に負けたのは初めてだ。まさか……と絶望したのは一瞬で、「いや、今のは威嚇じゃない」とすぐに眉間に皺が寄った。

 αの威嚇は相手を屈服させるのが主な目的で、α同士ならすぐにわかる。それなのに山田に威嚇されていることに気がつかなかった。αの威嚇を感知できなかったなんてあり得ない。


「今のは威嚇じゃなくてフェロモンのほう」


 フェロモンと聞いてすぐさま「ふざけてるのか」と睨みつけた。フェロモンはΩに対して使うものだ。α同士では効果が薄く、男女ならまだしも同性のαにフェロモンを使うなんてどうかしている。


「ちょっと試したくてさ。それより約束、守ってくれるよね?」

「約束?」

「欲しいもの、くれるって言ったよね?」


 楽しそうな山田の声にますます睨む目に力を込める。「ふざけるな」と言えば「真面目に言ってるのに」と微笑み返された。


「まぁいいや。あっ、別に諦めたわけじゃないよ? 言っておくけど、僕けっこうしつこいから覚悟しておいてよね」


 そう言ってにこりと笑う顔に、なぜかうなじがゾクッとした。

 翌日から、山田は有言実行とばかりに俺につきまとうようになった。最初は驚いていた周囲も、毎日のことだと慣れてしまうのか今では誰も気にすることがない。それどころか「我が校が誇るツートップ」とセットで見られるようになってしまった。


「なぜ俺につきまとう! なぜ肩を組んだり手を繋ごうとしたりする!」

「だって約束守ってくれないから」

「守ったようなものだろう! こうしていつも隣にいる! 親友と呼ばれるまでになった!」

「うーん、僕の言ってる“欲しい”とは違うんだけどなぁ」


 そう言ってにこりと笑った山田がスッと顔を近づけてきた。そうして「そういう初心なところも可愛いけどさ」と耳元で囁く。

 慌てて飛び退いた。耳を手で押さえながら「おまえは……!」と睨むが、山田はどこ吹く風だ。


「ここまで鈍いと逆に何もできなくなるなんて、ある意味すごいけど」

「なんの話だ」

「ま、卒業までにはなんとかするけどさ」

「だからなんの話だと言っている」


 ニコッと微笑む山田に背筋とうなじがゾクッとした。最近なぜか山田の笑顔を見るたびにこうした感覚を覚える。同じαだというのに力量を見せつけられているような気がしてムカッとした。

 不意に甘い匂いが鼻をかすめた。まさかと山田を見る。「何?」と首を傾げる山田に「香水の類いは禁止だと知っているよな?」と注意した。


「香水? そんなものつけてないけど」

「そうか? いや、それならいいんだが……」


 それにしては山田が近づくたびに匂っているような……もしかして風邪でも引いて鼻がおかしくなっているんだろうか。たしかに忙しいが、この程度で体調管理ができなくなるとは恥ずかしい。


「風紀委員みたいなことまでして、生徒会長は大変だね」

「この程度のこと大変なわけあるか」

「僕の前では無理しなくていいのに」


 山田の言葉に少しだけ胸が熱くなった。なんだかんだいって今の山田との関係は悪くないと思っている。ライバルであり親友でもあり……きっとこうした相手は二度と現れないだろう。そう思うと貴重な時間だとしみじみ思った。


「それより、いつになったらもらえるのかなぁ」

「まだ言うか」

「当然でしょ。約束は守ってもらわないとね。っていうか、まさかここまで本気になるとは僕も思ってなかった」


 また背中がゾクッとした。山田に気圧されているような気がして、負けじと目を見ながら「しつこいな」と返す。


「僕はしつこいって言ったでしょ」

「わかった、わかった」


 そう言って歩き出すと背中に山田の視線を感じた。そのせいかうなじがチリチリする。焦げ付くような感覚が気になり、指先でうなじをするっと撫でた。

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