3.秘められた想い
「どうしたんですか?坊ちゃん、そんなにまじまじと見て――」
「あ、ああ……いや。それより、なんだ? そのぐるぐる巻きにされた包帯は……」
ほうたい? ああ包帯! 指摘されるまで、すっかり忘れてしまっていた。いやはや、坊ちゃんは相変わらず鋭いなあ。なにも、こんな傷とも呼べぬようなささいなもの……私は、おもむろに患部をめくりあげる。
「実は坊ちゃんのいない間に、お裁縫をと思ってですね」
「はあ?」
怪訝そうに眉根を寄せた坊ちゃんのために、私はふかふかの絨毯の上で一回転してみせた。
ふわっ――と、軽やかにワンピースの裾が広がってゆく。
「このメイド服、坊ちゃんが選んでくれたものだから、とても気に入っているんですよ」
ところどころほつれた糸の痕があるのも、なんとなく、それも名誉の勲章、というのか、つまり、坊ちゃんと私の思い出を思い出たらしめている気がして、好きだった。
「でも、ほら私、不器用なので」
こんな有様になってしまいました、と、続けざまにへらりと笑う。
「――貸せ。触るぞ」
「わ」
いきなり手を引かれ、見れば、坊ちゃんは私の指を確かめるようにして、じっくりなぞっていた。
「坊ちゃん……?」
そのまなざしの、なんと真剣なこと……不思議だ。こんなにも、くすぐったくて妙な心地になるのは。
しばらく遠くへ意識を飛ばしているうちに、
「あっ、坊ちゃん、わたし薬指は無事ですよ」
「………………」
坊ちゃんの目はなぜか、ますます細められたようだった。
沈黙の時間が、少しばかり長いような気がしたのは気になったけれど。ほどけかけた包帯は、坊ちゃんがしゅるしゅるしゅる、と手慣れた様子であっという間に直してくれた。
「おお……。さすが坊ちゃん、名門校一の秀才!」
お世辞などではなく、素直に思ったまま拍手を送る。すると坊ちゃんは、まんざらでもなさそうに笑っていた。
「ふん。別にこのくらい、僕にかかればどうってことないさ」
私はつい、感動のあまり口元を覆った。
「坊ちゃん、ご立派になられて――」
「ぬかせ」
短く言うなり坊ちゃんは、私の顎を人差し指で掬い上げた。
「――不敬だぞ、カナン」
……まさか、つい先ほどの私の一言が、坊ちゃんにはちょっとわざとらしく聞こえてしまったのだろうか。小馬鹿にしているのでは?なんて、不快に。もちろん、全くもってそのような他意はなかったのだけれど……ただ、私はほんの数ミリ、ぷくりと頬を膨らませた。
今この瞬間だけは、どうか坊ちゃんの強すぎる感受性を恨ませていただきたい。
「代償は今の間抜け面で十分だ。特別に、な」
つい先ほどの厳しい声音とは裏腹に、笑いをこらえきれなかったのか、くつくつ喉を鳴らす坊ちゃんに、私は一礼する。
「ふふ、寛大なご措置に感謝いたします」
その時トルソーから、立派なコートが取られた。
お使いなら私にお任せを、と言いたいところだったけれど、坊ちゃんにそれを右手で軽く制されてしまった。
「……野暮用だ。寂しいからって着いてくるなよ」
「野暮用、でございますか」
途端に、まるで波紋のように広がってゆくそこはかとない違和感……私はたまらず胸を抑える。いやいや、坊ちゃんを――ましてや主人を、過度に疑うのはよくないだろう。
たとえばここ最近、多忙な坊ちゃんは部屋にこもりきりだったから、気分転換にお散歩でも、と思ったのかもしれない。
うん。多分、きっとそうだ。やはり、主人の意思に背くのは従者としていささか無粋であると、自分に強く言い聞かせる。
私は私で、己に与えられた務めをしっかり果たしていればよいのだと、今一度両頬に喝を入れた。とりあえず、坊ちゃんが不在の間に一仕事済ませておこう。
蔦が目立つ庭先に、私は足を踏み入れる。
まずは得意な、お庭の草むしりから。帰ってきて一番に綺麗な景色が飛びついたら、坊ちゃんもきっと喜んでくれるはずだ。
そよ風が、すれ違いざまに私の背中をぬるりと撫でていった。ああ、やっぱり気持ちがいいなあ。昔はよく、ここで坊ちゃんとピクニックをしたものだ。お気に入りのお菓子を持ち寄っては、旦那様に見つかるまで、ここに隠れて。二人揃えば、きれいな緑の芝生だって、瞬く間に真っ赤なカーペットへ変貌してしまう。
坊ちゃんと私しか知らない、楽しい楽しい秘密基地。
やはり従者たるもの、坊ちゃんがさらに一人前になって、ちゃんと幸せになったのを見届けたら、この場所で安らかに息を引き取りたいと思わずにはいられない。誰にも気づかれないよう、この、大きな木の下で。
そういう願望が、私の中にはずっとあるのだ。