表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

3.秘められた想い


「どうしたんですか?坊ちゃん、そんなにまじまじと見て――」


「あ、ああ……いや。それより、なんだ? そのぐるぐる巻きにされた包帯は……」


ほうたい? ああ包帯! 指摘されるまで、すっかり忘れてしまっていた。いやはや、坊ちゃんは相変わらず鋭いなあ。なにも、こんな傷とも呼べぬようなささいなもの……私は、おもむろに患部をめくりあげる。


「実は坊ちゃんのいない間に、お裁縫をと思ってですね」


「はあ?」


 怪訝そうに眉根を寄せた坊ちゃんのために、私はふかふかの絨毯の上で一回転してみせた。

ふわっ――と、軽やかにワンピースの裾が広がってゆく。


「このメイド服、坊ちゃんが選んでくれたものだから、とても気に入っているんですよ」


ところどころほつれた糸の痕があるのも、なんとなく、それも名誉の勲章、というのか、つまり、坊ちゃんと私の思い出を思い出たらしめている気がして、好きだった。


「でも、ほら私、不器用なので」


こんな有様になってしまいました、と、続けざまにへらりと笑う。


「――貸せ。触るぞ」


「わ」


 いきなり手を引かれ、見れば、坊ちゃんは私の指を確かめるようにして、じっくりなぞっていた。


「坊ちゃん……?」


そのまなざしの、なんと真剣なこと……不思議だ。こんなにも、くすぐったくて妙な心地になるのは。




 しばらく遠くへ意識を飛ばしているうちに、


「あっ、坊ちゃん、わたし薬指は無事ですよ」


「………………」


 坊ちゃんの目はなぜか、ますます細められたようだった。


沈黙の時間が、少しばかり長いような気がしたのは気になったけれど。ほどけかけた包帯は、坊ちゃんがしゅるしゅるしゅる、と手慣れた様子であっという間に直してくれた。


「おお……。さすが坊ちゃん、名門校一の秀才!」


 お世辞などではなく、素直に思ったまま拍手を送る。すると坊ちゃんは、まんざらでもなさそうに笑っていた。


「ふん。別にこのくらい、僕にかかればどうってことないさ」


 私はつい、感動のあまり口元を覆った。


「坊ちゃん、ご立派になられて――」


「ぬかせ」


短く言うなり坊ちゃんは、私の顎を人差し指で掬い上げた。


「――不敬だぞ、カナン」


……まさか、つい先ほどの私の一言が、坊ちゃんにはちょっとわざとらしく聞こえてしまったのだろうか。小馬鹿にしているのでは?なんて、不快に。もちろん、全くもってそのような他意はなかったのだけれど……ただ、私はほんの数ミリ、ぷくりと頬を膨らませた。


今この瞬間だけは、どうか坊ちゃんの強すぎる感受性を恨ませていただきたい。


「代償は今の間抜け面で十分だ。特別に、な」


 つい先ほどの厳しい声音とは裏腹に、笑いをこらえきれなかったのか、くつくつ喉を鳴らす坊ちゃんに、私は一礼する。


「ふふ、寛大なご措置に感謝いたします」


 その時トルソーから、立派なコートが取られた。


お使いなら私にお任せを、と言いたいところだったけれど、坊ちゃんにそれを右手で軽く制されてしまった。


「……野暮用だ。寂しいからって着いてくるなよ」


「野暮用、でございますか」


途端に、まるで波紋のように広がってゆくそこはかとない違和感……私はたまらず胸を抑える。いやいや、坊ちゃんを――ましてや主人を、過度に疑うのはよくないだろう。

たとえばここ最近、多忙な坊ちゃんは部屋にこもりきりだったから、気分転換にお散歩でも、と思ったのかもしれない。


うん。多分、きっとそうだ。やはり、主人の意思に背くのは従者としていささか無粋であると、自分に強く言い聞かせる。


私は私で、己に与えられた務めをしっかり果たしていればよいのだと、今一度両頬に喝を入れた。とりあえず、坊ちゃんが不在の間に一仕事済ませておこう。


 蔦が目立つ庭先に、私は足を踏み入れる。


 まずは得意な、お庭の草むしりから。帰ってきて一番に綺麗な景色が飛びついたら、坊ちゃんもきっと喜んでくれるはずだ。


 

 そよ風が、すれ違いざまに私の背中をぬるりと撫でていった。ああ、やっぱり気持ちがいいなあ。昔はよく、ここで坊ちゃんとピクニックをしたものだ。お気に入りのお菓子を持ち寄っては、旦那様に見つかるまで、ここに隠れて。二人揃えば、きれいな緑の芝生だって、瞬く間に真っ赤なカーペットへ変貌してしまう。

坊ちゃんと私しか知らない、楽しい楽しい秘密基地。


やはり従者たるもの、坊ちゃんがさらに一人前になって、ちゃんと幸せになったのを見届けたら、この場所で安らかに息を引き取りたいと思わずにはいられない。誰にも気づかれないよう、この、大きな木の下で。


 そういう願望が、私の中にはずっとあるのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ