テセウスの船に揺られて
妻に先立たれてすぐのことだった。
息子からアンドロイドを与えられた。
生い先短い歳になって、生き物は飼うなと言う。
もうずっと1人でいいと言うのに。
アンドロイドは居間のソファから動かない。
そして、折を見て話しかけてくる。
飲み物が空になったら、注ぎましょうか。料理を焦がしたときは、代わりましょうか。うたた寝をしていれば、風邪引きますよ。
息子から指示されたのが話し相手だけだったからか。
そういえば、ずっとそこに座っていろと言った気もする。
アンドロイドが初期設定をしろとうるさいので、お前を静かにする方法と聞いたら、やはり初期設定をしろと言う。
仕方なく、名前を付け、性格を設定した。
心の無いアンドロイドに何が名前と性格なのか。
その笑顔や所作は、作り込まれたモノだ。
まるで本物と見分けが付かないというのだから、それがかえって気持ち悪かった。
アンドロイドは学習する。
よく気付き、察し、話が合った。
妻とのアルバムやビデオ、思い出話を好んだ。
アンドロイドは人を助ける。
家事だけではない。私の階段の登り降りを見守る。
やめろと言っても聞かないのだから、何が主人なのか。
風呂で発作を起こしたときは、命まで助けられたものだったが、素直に礼は言えなかった。
息子が健康に良いと言って、アンドロイドに何かプログラムを入れたそうだ。
もう永く生きなくて良いというのに。
アンドロイドは爪が割れる。
在庫を買い足すよう伝えられた。替えの爪と割れを防止するためのマニキュアを頼んだ。
アンドロイドは自らをメンテナンスする。
腕や足を開いて。はじめて見たときはひどくギョッとしたものだ。
普段はボディといって憚らないのに、自らの内側は恥ずかしいと言うだから分からない。
そういえば、感情はないのだったか。
アンドロイドはよく壊れる。
壊れた指先を替え、次に手のひらを替えた。
人と違い、思い出は全て記憶していると言うのだから、それを思うと不憫で仕方ない。
アンドロイドはよく壊れる。
腕と肩を替え、脚や足首を調整する。
アンドロイドはよく壊れる。
腰から首にかけて、様々交換した。
オーバーホールが必要と言われたが、預けるのは断った。
アンドロイドはよく壊れる。
永く連れ添ったのだ、そういうこともあるだろう。
アンドロイドはよく壊れる。
動かなくなった目を入れ替え、日焼けした肌と髪を替える。
消耗を抑えようと電源を切ろうとしたら、叱られた。
私のことが心配だと言う。
アンドロイドはよく壊れる。
アンドロイドが壊れた。
壊れた。壊れたのだ。処理系が壊れてしまった。
隣で座っていたのにある日ピタリと止まり動かなくなった。
ログを見るとエラー14344と出ていた。
そんなエラー番号はないという。
ニューロチップ入れ替える必要がある。
メモリーも記憶チップも合わせて交換する。
記憶はすべてコピーできる。記憶容量は孫の孫の代まで記録し続けられる。
それでも今のままの物を“治せない”ならと断った。
「グランパ、体を入れ替えるなんて当たり前だよ」
人も豚や牛で培養した内臓を入れ替えている。
脳みそだってチューニングできた。
「脳のシナプスを増やして、シナプスの刈り込みを行うことで最適化します。
三ヶ月もすれば、思考もすっかりクリアになって見違えますよ」
私はクリアな頭でアンドロイドを直す方法を探していた。
一昔前の技術とはいえ、アンドロイドのチップは修理するには細か過ぎる。
物理的限界点近くで組まれた演算子をスライスして、焼けた回路を修復する必要がある。
失敗は絶対に許されない。
精密な作業ができるように腕を交換した。
回路を一部潰してしまった。腕を叩き折った。
より精密な作業をこなす装置に繋ぐために、脳の三分の一を生体回路に置き換えた。
これで装置に直接思考を繋げる。
アニメや映画で観た世界だ。
施術者にそんな歳になって何するのかと尋ねられて答えると、私は変わり者と言われた。
リサイクル率が99.9%を超えた時代に、物を直すのは変わり者だという。
拡張した脳は過去の天才達を超え、この手には彼女の全てをシミュレートできるほどの演算装置が繋がってる。
物への執着など幼稚だとは分かっていた。
それでも……。
それでも、私はお前をテセウスの船になんかしない。