第三章 フリーデ•ヴァイス
壇上に立ったのは、アグリガルド王国の国家元首、ヨハン十三世。
深緑の軍装を身にまとい、銀髪を後ろで束ねたその姿には威厳が宿っている。
「遠き日輪の国より、農耕の巫女を送りし三機。汝らの労に敬意を表す」
王はゆっくりと右手を掲げ、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「我が国は、土を尊び、耕しを誇る民。されど、戦は望まぬ。われらが持てる力を、祈りの舞として見せよう」
そこに、ゆっくりと歩み出た少女が一人。
アグリガルド地域に伝わる伝統衣装のディアンドルを模したスカートに、麦の刺繍が胸元で輝いている。ブロンドの髪を編み込みにしてまとめたその少女こそ、
フリーデ・ヴァイス——アグリガルド王国の機巫女である。
彼女の後方には、青銀の装いに身を包んだ少女が静かに立っていた。冷ややかな表情に、祈祷のような手の動き。彼女は作業機娘——レムケンブルク・イーデ。プラウ(鋤)を祖とする武器を生み出す存在であり、フリーデの“影”にして“礎”である。
イーデが両手を前に差し出すと、空気がびりびりと震え、青白い光の波紋が床に広がった。
フリーデの背に、巨大な金属製の武器が出現する。レムケンの鋤を模した巨大なブレード。背中から肩越しにかけて斜めに伸び、装着というより“身に宿した”と表現すべき威容。
そして、演舞が始まった。
フリーデは無言のまま、ゆっくりと足を踏み出す。次いで、腰を沈めると同時に、鋤刃を地面に叩きつけた。地響き。床板がきしみ、空間がたわむ。
「……っ!」
三人娘は思わず身を起こす。
第二撃、第三撃。彼女の一挙手一投足が、まるで大地を穿つかのような衝撃を伴っていた。
「すご……馬力、だけじゃない。技にも精度がある」
久保田が思わず呟いた。
「……冷静に見えるけど、圧がすごい」井関も微かに眉を寄せる。
後方のイーデは一歩も動かず、じっとフリーデの動きを見守っていた。
武器は彼女の手から生まれたものだが、戦うのはフリーデ。その姿に迷いはなく、ただただ己の力を信じていた。
演舞が終わると、拍手とともに静寂が戻った。
そのとき、不意に結城宗一郎がぽつりと呟いた。
「ちなみに、田剣ノ儀はフリーデ一人を相手にお前たち三人で挑むことになってる」
「……えっ?」
真紅が目を瞬かせる。
「一対三って、ルール的に問題ないんですか……?」
「まあ、海外勢ってのは元の馬力がでかいんだよ。それに、実はな、田剣ノ儀で得られる“地力”ってのは、倒した相手の馬力と相関してるんだ。つまり——」
彼は指を三本立てて、にやりと笑う。
「お前ら三人まとめて倒して、ようやくフリーデ一人分とトントンってわけだ」
真紅の顔に、静かな困惑が広がった。
久保田は口を引き結び、井関は視線を落とす。
——私たち、三人で……。
それぞれの胸に、訓練で感じた連携不足の記憶が蘇る。
一見不利に見えるのは、三人がかりで挑む側だ。だが、今の状態ではむしろ、フリーデ一人にすら届かないかもしれない——。
そんな空気が、迎賓の場に重くのしかかっていた。
晩餐会が終わり、部屋に戻った三人は、しばし言葉もなく沈黙していた。
アグリガルド側が用意した宿舎は、歴史ある迎賓館を改装した建物で、調度品にも高貴な趣がある。窓の外には星明かりに照らされた葡萄畑が広がっていたが、誰もそれに目を向けなかった。
ベッドが三つ並んだ相部屋に、空気の重さがじっとりと滲む。
「……」
久保田はベッドの端に座ったまま、ずっと自分の手を見つめていた。
矢那はカーテンの隙間から外を眺めていたが、肩はどこかこわばっていた。
そして——その沈黙を、破ったのは井関だった。
「……あたしね」
ぽつりと、声が落ちる。
「うちの家、ずっと代々、機巫女の家系なの。あたしで、四代目」
久保田が、視線だけでこちらを見た。矢那も、ゆっくりと振り向く。
「うちのばあちゃん、最初はすごく反対してた。『あんたには無理だ』『勉強して別の道を歩け』って。でもさ……あたし、どうしても継ぎたかったんだよね」
井関は、小さく笑った。けれどその目には、懐かしさと少しの哀しみが混じっていた。
「田畑を守るって、ただ作物を育てることだけじゃない。地力を守る、ってことなんだって、うちではそう教えられてきた。だから、田剣ノ儀も……ずっと憧れてた」
久保田が口を開こうとして、やめた。
「でも、やってみたら……全然、うまくいかないね。三人で戦うの、あたし、思ってたよりずっと難しいってわかった」
言葉に詰まると、井関は寝台の上に寝転がって、天井を見つめた。
「……ほんとは、もっと仲良くやれるって思ってたのに。なんでだろうね、ぎこちなくなっちゃって」
矢那が、ふっと息を吐いて口を開いた。
「……うまくやろうと、思いすぎたのかも」
井関が目を動かし、矢那を見る。
「私たち、背負ってるものも、性格も、違いすぎる。でも、だからこそ——力を合わせられたら、強くなれる。……そう信じたい」
久保田が、静かにベッドから立ち上がった。
壁にかけられた水差しから、グラスに水を注ぐと、一口飲み、言った。
「……フリーデの馬力、あれが世界基準か。甘く見てた、正直。ちょっと悔しい」
そして、二人に背を向けたまま、こう続けた。
「でも、負けるつもりもない。あたしも、背負ってるもんがある。やるしかないんだ」
その言葉に、矢那と井関がゆっくりと顔を見合わせる。
「……なんだよ、その顔。まるで私が世界の終わりでも宣言したみたいじゃん」
久保田がそう言って、ふっと笑った。
「考えたってしょうがないでしょ。やるっきゃないんだからさ。うまくいくかなんて、やってみなきゃわかんないって!」
そう言いながら、グラスの水を一気に飲み干すと、どっかりと自分のベッドに寝転んだ。
「……当たって砕けろ、って言うじゃん? 砕けたってさ、また拾って固め直せばいいのよ。三人いれば、かけらだって集めやすいし」
その言葉に、矢那が目を細めた。
「……雑だけど、なんかちょっと、元気出るね」
「ほんと、根拠のない前向きさだけは天下一品だよね……」
井関が苦笑しながらそう言うと、三人の間に小さな笑いがこぼれた。
ほんのひととき、部屋にやわらかな空気が流れる。
それでもなお、明日がどうなるかはわからない。
けれど少なくとも、この夜の終わりには、三人の心が少しだけ近づいていた。
矢那真紅は目を覚ました。 外はまだ夜。カーテンの隙間から洩れる月明かりが、床にぼんやりと影を落としている。
(眠れない……)
隣では井関が穏やかに寝息を立てている。 一方、久保田はというと、布団からはみ出すほど豪快な寝相で、片足がベッドから宙に突き出ていた。芸術的と言えるほどに美しく崩れたそのポーズに、思わず苦笑が漏れる。
(……ああ、気を抜いたら笑えるのに。なんでだろ、心の奥がざわざわしてる)
重く、湿った空気を振り払うように、矢那は静かに部屋を出た。
迎賓館の廊下は薄暗く、歴史を感じさせる木の床が足音を吸い込んでいた。
曲がり角を曲がったとき——微かに、香ばしい匂いと、金属が触れ合う音がした。
「……ビール?」
声を潜めて進んだ先の小さなサロン。そこにいたのは、銀髪を月光に光らせた一人の少女だった。
「……フリーデ・ヴァイス」
白磁のジョッキを片手に、彼女は静かに座っていた。 机には一杯のビールと、すでに空になったグラスがもう一つ。
「あら。夜更かしは、お国柄?」
フリーデは微笑んだが、目は笑っていない。まるで、こちらの心の奥まで測るような、冷静なまなざしだった。
「……眠れなくて。フリーデさんも?」
「ええ、Erdfestfechtの前夜は、昔からね」
矢那はそっと椅子を引き、フリーデの対面に座る。軽く頭を下げた。
「ヤナ・シンク……日輪国の、矢那真紅です。明日の試合では、お手柔らかに」
「フリーデ・ヴァイス。アグリガルドの第一機巫女」
言葉を交わした途端、周囲の空気が少しだけ緩んだ。どちらともなく、ジョッキを取り出し矢那に手渡す。
「乾杯……というのも、妙ね」
「じゃあ……健闘を、ってことで」
軽くグラスが触れ合った。
「あなた、緊張してるわね」
「……やっぱり、わかります?」
「ええ。視線が定まってない。呼吸が浅い。……それに、あの晩餐会での空気。あなた方三人は、まだ“一
つ”にはなっていない」
矢那は黙ったまま、ジョッキの中身を見つめた。炭酸の泡が、静かに弾けている。
「あなたはリーダーなのかしら?」
「……一応。でも、自信はないんです。まとまろうとしても、みんなバラバラで。私じゃ、うまく引っ張れなくて」
フリーデはわずかに視線を逸らし、外の葡萄畑を見た。その横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。
「……私の故郷も、戦火に焼かれたことがある。畑も、農機も、家も。全部」
「……」
「それでも人は、もう一度土を耕す。踏みしめた大地の感触が、生きている実感をくれる。だから私は、この手で耕したい。この足で地を踏みしめたい。それが、機巫女の——」
言葉を切って、彼女はジョッキを掲げた。
「——使命。土地に根ざし、人に力を返す。それが、私の“強さ”の源よ」
矢那の胸に、ひとつの熱が灯った気がした。
「……あなたは、強いですね」
「あなたも、そうなれるわ。焦らず、誤魔化さず、土に訊くことよ」
その言葉が、矢那の心に深く刻まれた。
「……ありがとう、フリーデさん」
フリーデは淡く笑った。それは晩餐会の厳しさとは違う、ひとりの少女としての微笑みだった。