第八章 器
金属の風が吹き抜ける。
どこまでも灰色に染まった空の下、硬質な大地が僅かに震えた。
張り詰めた空気のなか、遠くで銅鑼の音が一度、重たく響く。
──田剣ノ儀、開戦。
その瞬間、ディアナ・グリーンフィールドが一歩、前へと踏み出した。
その動きに、空気が裂けた。
まるで時間が削り取られたような感覚。瞬きすら惜しいと思えるほどの刹那に、彼女の姿は消えた──ように見えた。
「ッ……速ッ!」
久保田柑那が、反射的に後退する。
直後、**《グラウンドセイバー》**が振り下ろされた。両端にディスクモアを備えた巨大な農神器が、重力すら叩き伏せるかのような一太刀で地を裂く。
地面がえぐれ、土煙が弾け飛んだ。
柑那の身体はかろうじてそれを避けたが、着地の反動でバランスを崩し、転がるように地を這う。
「柑那ちゃんっ!」
真紅が叫び、すかさず《風駆》を握ったまま駆け出す。だがその動きを、今度はディアナの左手──《エッジリング》が迎え撃った。
軽量な片手剣とは思えない鋭さと速さで、三連撃が襲いかかる。
斬撃の軌道が読めない。風を裂くような動きに、《風駆》が追いつけない。
咄嗟に盾役である藍羽が割って入り、《護織》の鋸刃が斜めに回転することで一撃を受け止めた。
「……っ、重いッ!」
藍羽が押し返すも、手首が痺れる。盾を通じて伝わる一太刀の圧力が、以前の対戦相手とはまるで異質だった。
力だけじゃない。速さと技術、それらが凶器のように融合している。
ディアナの動きは淀みない。
一手一手が無駄なく、戦術と経験に裏打ちされている。
──その動きは、まさに“軍”そのものだった。
(これが……ユナイテリアの、トップ……!)
真紅は息を呑む。
三人で包囲するように立ち回っても、その一人が三人分を相手にしているかのような感覚に囚われる。
だが──
「真紅、下がって!」
柑那が後方から叫び、続けて《纏転》を回転させる。
高速回転する三叉の槍が、ディアナの視界を攪乱し、半歩退かせた。
その隙に、藍羽が再度切り込む。今度は横からの牽制斬りだ。
ディアナは軽く身をひねりながら、《グラウンドセイバー》の柄を軸に体を旋回させる。
旋回と同時に、広範囲の薙ぎ払い。
三人は一斉に跳躍し、それぞれのタイミングで着地する。
「連携……悪くないわよ」
ディアナが初めて、戦闘中に言葉を発した。
その声に、皮肉や驕りはなかった。むしろ淡々と事実を告げるような響きだった。
真紅の心に、微かな焦りが宿る。
(違う……アグリガルドのときと違う。ちゃんと、見られてる……!)
わかっている。三人は、もうあの時とは違う。
連携も強化した。訓練も積んだ。
それでも、今目の前にいる“壁”の高さに、膝が震えそうになる。
次の瞬間、ディアナは片膝を突いた姿勢から、矢のように跳躍した。
そのまま《エッジリング》を振り抜く。
標的は──真紅。
とっさに《風駆》で受け止めた。刃と刃が激しく衝突し、金属音が空に響き渡る。
しかし──
「ッ……ぁ……!」
《風駆》が、悲鳴を上げた。
刃の一部が、軋み、そしてわずかに砕ける音。
真紅の手が痺れ、足が後退する。
受け止めきれなかった。
(……このままじゃ、壊れる!)
矢那真紅の武器、《風駆》が、あと一撃で崩壊する。そう確信できるレベルのダメージだった。
──だが。
「真紅、離れて!」
柑那が横からディアナに回り込み、回転槍を思い切り振り上げた。
「藍羽さん、今っ!」
「行く」
藍羽もそのタイミングに合わせて、盾の鋸刃を突き出し、斬撃を食い止める。
ディアナの追撃を、仲間の二人が断ち切った。
息が荒くなる。
それでも、真紅ははっきりとわかった。
──自分は、一人じゃない。
かつて、全ての責任を背負い、力を制御できなかった自分。
その痛みを、恥を、悔しさを、誰にも言えなかった過去。
だが今は、違う。
助けてくれる仲間がいる。
託してもいいと、そう思える絆がある。
──それは、敵すら気づくほどの変化だった。
ディアナの目が、わずかに揺れる。
(そう……もう、シンクは一人じゃないのね)
その内心の呟きの後、彼女の顔に初めて明確な“表情”が浮かぶ。
──静かなる決意。
ディアナ・グリーンフィールドが、二振りの農神器をゆっくりと構えた。
《グラウンドセイバー》を水平に、《エッジリング》を逆手に。
「……最後よ」
声は低く、しかし確かな“終わり”を告げていた。
空気が震え地面はうねる。
風が巻き上がり、ディアナの足元から、鋭く濁った気流が噴き上がった。
二振りの農神器に地力が宿るのが、目に見えるようだった。
《グラウンドセイバー》──両端のディスクモアが、重々しく唸りを上げて回転を始める。その回転は空気を切り裂き、地鳴りのような低音を伴って広がっていく。
《エッジリング》──細身の片手剣が、静かに蒼白く輝いていた。切っ先から、白く細い線のような軌跡が立ち昇る。
「来る……ッ!」
真紅が《風駆》を構え直す。
けれど、手が震える。神器がもう限界に近いのだ。次の衝撃を受けたら──。
わかっていても、逃げるわけにはいかない。
仲間の盾にならなければ。
──だが。
「真紅、私たちを信じて!」
藍羽の声が、重ねるように響いた。
「今度は、みんなで守るんだ!」
柑那が叫びながら、回転する《纏転》を高く掲げた。
真紅の目に、仲間の姿が映る。
その瞬間、震えが止まった。
脚が、地を踏みしめた。
──いける。三人でなら。
ディアナが、一気に飛び込んできた。
まるで地面そのものを抉るような跳躍。ディスクモアが唸りを上げながら、真紅をめがけて振り下ろされる。
刹那。
藍羽の《護織》が割って入った。
ディアナの一太刀を、盾の鋸刃で巻き取り、逸らす。火花が散る。だが止めきれない。
次の瞬間、横合いから柑那の《纏転》が回転突進するように切り込む。
「おおおおおおおおおおおっ!!」
戦慄の叫びと共に、彼女の槍が、ディアナの肩口にぶつかる。
弾かれる。だが確かに、隙が生まれた。
──今だ!
真紅が叫ぶ。
「藍羽ちゃん、柑那ちゃん──いっくよっ!」
三人の気配が、重なった。
風が鳴る。
三つの農神器が、一直線に交差する。
《風駆》が、斬風の軌道を描いてディアナの視界を遮る。
《纏転》が、その影から迫り、右のディスクモアを押し込む。
《護織》が、残った左の《エッジリング》を、鋸の回転で包み込むようにして絡めとった。
そして、三人の声が、同時に響いた。
「──三彩機奏《合刃・鎮風連槍陣》!!」
衝撃音が、空を裂いた。
そして──
パァンッ!
金属が砕ける、高い音。
ディアナの《グラウンドセイバー》の片側──右端のディスクモアが、空中で粉砕された。
遅れて、《エッジリング》の刀身にも深い亀裂が走り、青白い火花を散らして崩れ落ちる。
沈黙。
全てが静止した。
三人は、荒い息を吐きながら、ディアナを見つめていた。
彼女は、農神器の柄だけを両手に持ったまま、わずかに微笑んだように見えた。
「──綺麗だったわ、三人とも」
そう静かに告げると、ディアナはすっと膝をついた。
司式官が手を挙げた。
「ディアナ・グリーンフィールド、両神器の破損を確認──」
声が、広場中に響き渡る。
「田剣ノ儀、勝者──日輪国代表、三彩機奏!」
歓声が、どっと広がった。
広場全体が揺れるかのような喝采。
しかし──三人の表情は、どこか曇っていた。
勝利の直後。
身体の奥底から、何かが“流れ込んでくる”感覚。
「っ……!? な、に……これ……!」
柑那が膝をついた。背中がびくんと痙攣する。
「……く、るしい……! これ……っ」
藍羽も歯を食いしばりながら、額から冷や汗を流していた。
真紅もまた、胸を抑えて、必死に地に爪を立てている。
──これは、“地力”。
田剣ノ儀の勝者に与えられる、豊穣神のギフト。
膨大すぎる量の地力が、容赦なく彼女たち三人に流れ込んでくる。
それはまるで、堰を切った水のように。
──いや、“暴力”だ。
そのまま受ければ、内側から破裂してしまう。
だから制御しなければならない。
“保持”しなければならない。