第七章 大地への誓約(オース・オブ・ドミニオン)
空は薄く煙り、雲の層が低く垂れていた。
遠く鉄塔のような送電柱が立ち並び、曇天のもと、ユナイテリアの大地はどこまでも硬質で、無機質な色に染まっていた。
祭壇は、広場の中央に築かれた金属と石の構造体だった。
階段を登った先の壇上には、円形の石盤が嵌め込まれ、周囲には鋼鉄製の支柱が立ち並んでいる。紋章と文様が浮き彫りにされたその構造は、農業の儀式というより、まるで軍事の式典を思わせた。
観客席は無言だった。どこからか金属音のような風が吹き抜ける。
三彩機奏の三人は、緊張した面持ちで遠巻きにその光景を見つめていた。
「……空が、重たいね」
真紅が、ぽつりと呟く。
「太陽が、顔を出す気配すらない……」
藍羽もまた、瞳を細めながら応じた。
「でも……始まる、んだよね」
柑那の声は震えていたが、それでも確かに前を見据えていた。
壇上へ、ひときわ長い影が現れる。
ダークブロンドの三つ編みを肩に流し、ディアナ・グリーンフィールドが、堂々とした足取りで登壇した。
彼女の衣はユナイテリア式の儀礼装──深緑に金の縁取りをあしらい、左肩には五芒星と麦穂を組み合わせた国家紋章が縫い込まれている。
その背には、二人の作業機娘が控えていた。
──エリー・モアと、レイナ・モア。
壇上に立ったディアナは、一礼ののち、掌に握られた金属製の印章──**「土壌印章(Soil Sigil)」**を高く掲げた。
「これより、我らユナイテリア連邦は、豊穣神の前にて、戦いの正義を誓う──」
司式官の声が広場全体に響き渡ると、ざわめきはすぐに鎮まり、広場に一拍の静寂が訪れた。
ディアナは、右手で心臓のあたりに触れ、左手でゆっくりとその印章を、石盤の中心へと押し当てる。
カチリ、と乾いた音がした。
次の瞬間──
大地が、微かに鳴った。
耳を澄まさなければ聞き取れぬほどの、だが確かに“応じる”ような、深い音。
「私は神の名において、この大地を耕す者としての矜持を以て、この剣を振るいます」
「──So help me God」
ディアナの声は、風のなかでも凛と響いた。
──ユナイテリア式の誓約が終わったのち、大地の空気が一変する。
静かに、慎ましやかな音楽が流れはじめ、広場の一角に設けられた特設祭壇へと注目が移った。
日輪国の祈祷隊が静かに進み出る。緋色の袍に身を包み、整然とした動作で祭壇を囲むと、息の合った旋律とともに《地鎮奉納之儀》の作法が始まった。
(……この異国の空気の中で、私たちの祈りが響いてる)
真紅は、不思議な感覚に包まれながらその光景を見つめた。
無機質な灰色の都市のなかに、あまりに繊細な“和の気配”が立ち上る。それはまるで、場違いのようでいて──確かに“そこにあるべきもの”のようでもあった。
やがて、祭祀の中心に立つ祈祷隊主宰がゆっくりと一歩、前へ出た。
矢那澄乃。
かつての機巫女であり、今は日輪国の祈祷を統べる者。
そして、真紅の──母。
「我ら日輪国、豊穣の神に仕えし民として、この戦いを正しき祈りに帰すことを誓います」
その声は、張り詰めた空に静かに響いた。
(……お母さん)
真紅の胸が、かすかに疼く。
澄乃は、視線を広場の民へと向けたまま、僅かに間を置いて続けた。
「恐れるな。地は見ている。汝らが信じ、立つその場所に、地脈は息づいている」
その一言は、まるで儀式の定型句のように響いていた。
だが、真紅は感じた。そこに微かに滲んだ、“娘を案ずる母”としての眼差しを。
心の奥が、じんわりとあたたかくなる。
決して抱きしめてはくれない。けれど、その言葉には、確かに寄り添う力があった。
(……うん。大丈夫。ちゃんと、ここに立ててる)
真紅はそっと目を伏せ、祈祷の終わりを静かに受け止めた。
田剣ノ儀、開始直前。
広場の風が止み、空の雲も動きを忘れたかのように、場には静謐な張り詰めが満ちていた。
各陣営の背後、祭壇前にはそれぞれの作業機娘たちが整列している。
神聖なる農神器の授与──戦いに挑む者にとって、それはただの装備ではない。魂を託す祈りであり、誓いの象徴だった。
日輪国陣営、三彩機奏の背後。
高北家の三姉妹が、ゆっくりと進み出る。
まず一歩を踏み出したのは、柔和な眼差しの長女・高北繋葉。
彼女の手には、しなやかな曲線を描く双鎌状の農神器《風駆》。
その刃は、触れれば風すら断ち切るような鋭さを纏い、静かに揺れていた。
「真紅、大丈夫ですよ」
短く優しいその言葉に、矢那真紅は小さく頷き、両手でその神器を受け取った。
手の中で、神器が微かに脈打つように感じられた。
二番目に現れたのは、快活な笑みを浮かべた次女。
彼女の手には、三叉の槍型農神器《纏転》。
柄の中核には回転機構が備えられ、回すことで対象を絡め取り、力強く巻き上げる設計。
「ぐるぐる回して、ぜ〜んぶ巻き取っちゃえ。任せたよ、お姉ちゃん」
「ふふ、任された!」
久保田柑那は、照れ隠しの笑みを浮かべつつも、真剣にそれを受け取った。
三番目、最後に歩み出たのは、静かで品のある三女。
彼女の両腕に抱かれていたのは、盾状の農神器《護織》。
片側には鋸刃の回転盤があり、あらゆる攻撃を巻き込むようにして防ぎ、そして押し返す。
「藍羽さん……受け止めて、そして返してあげてください」
「……任せて」
井関藍羽は、目を細めて神器を抱えた。三人の装備は揃った。
──そして、視線が向けられるのは、反対陣営。
ユナイテリア連邦陣営の正面では、エリー・モアとレイナ・モアが、静かにそれぞれの神器を構えていた。
柑那がふとつぶやく。
「二人も専属の作業機娘がいるけど……ディアナさん、どっちから受け取るんだろ?」
その問いに答えるように、二人の作業機娘が、ほぼ同時に一歩を踏み出した。
レイナが右手に、エリーが左手に──それぞれの神器を、ディアナ・グリーンフィールドへと差し出す。
ディアナは一礼すると、両手を同時に伸ばしてそれらを受け取った。
右手に握られたのは、両端に巨大なディスクモアを備えた大太刀型の農神器──
《グラウンドセイバー(Groundsaber)》。
左手に携えたのは、片端だけにディスクモアを備えた軽量な片手剣──
《エッジリング(Edgering)》。
神器がディアナの両腕に宿った瞬間、会場の空気がひりついた。
重厚と俊敏を一体にしたような圧倒的装備構成。三彩機奏の三人は、思わず息を呑んだ。
「……二本持ち!? 一度に!?」
「え、反則じゃない? 反則ってことでいいよね?ねぇ?」
柑那が声を裏返してそう叫び、藍羽も目を見開く。
真紅は言葉を失い、ただじっと、ディアナの姿を見つめていた。
そんな騒がしい三人をよそに、結城宗一郎がぼんやりと呟く。
「……ああ、そういや海外の機巫女って、大型仕様の子は二つ持ち多いんだよねぇ……」
まるで天気の話でもするかのような口調だった。
そして。
ディアナが三人を見やり、ふと、その唇を開いた。
「……さあ、舞おうか」
低く、凍るような声音だった。
その一言に、場が震えた。
田剣ノ儀、開戦の瞬間が、ついに訪れようとしていた。