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地鎮ノ機巫女 JICHIN NO KIMIKO  作者: 農機具男
第二部 地祈の道
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第五章 神楽のあと、風は巡る

山を背にした里に、清らかな祝詞が響いていた。


 薄曇りの空。風がそよぎ、田に植わる苗が微かに揺れる。田の傍らに設えられた簡素な神前には、御幣と白布、そして榊が飾られていた。そこに、五人の祈祷巫女が並び立ち、淡く透ける麻衣に身を包んで、祝詞を奏上している。


「掛けまくも畏き豊穣の大神……」


 神官役を務める中央の女が、ゆったりと両手をかざした。


 その人物——矢那澄乃やな・すみの。真紅の母であり、かつての機巫女、今は日輪国祈祷隊の主宰である。


 彼女の声は涼やかにして厳かで、その場にいた誰もが自然と背筋を伸ばすような気配を持っていた。


 榊が揺れ、太鼓が鳴り、巫女たちは順に神楽舞を舞う。やがて、集まった村人たちが静かに手を合わせ、共に地に祈る。


 その光景の中に、藍羽と柑那の姿があった。二人はやや後方に控え、真剣な面持ちで祈祷の様子を見守っていた。


「……あれが、地力を集める儀式」


 柑那がぽつりと呟く。


「地域の人々が祈ることで、その微細な地力が祈祷巫女を通じて集約される。少しずつだけど、確実に積み上がっていくのよ」


 藍羽が説明するように答えた。彼女の声にはどこか感慨がこもっていた。


「それにしても、真紅さんのお母様……ただ者じゃないね。あの空気、現役だった頃の気配、隠せてないもん」


「うん。わたし、初めて会ったとき息止まりそうになったもん。目、合っただけで謝りたくなった」


 二人が小声でそんな冗談を交わす傍ら——その様子を静かに眺める者がもう一人。


 ディアナ・グリーンフィールドだった。


 腰に手を添え、背筋をまっすぐに伸ばし、彼女は日輪の神事をじっと見つめている。その表情は穏やかだが、どこか思案深く、瞳の奥にはかすかな懐かしさが宿っていた。


「……この形式、懐かしいわね。私が滞在していた頃と、何も変わってない」


 つぶやくようにそう言って、ディアナは遠くの神前に視線を送る。祈祷が佳境に入り、澄乃が榊を大きく振ると、一陣の風が吹き抜けた。田の緑が一斉にそよぎ、天の気配が降るような感覚に包まれる。


 祈祷隊が地力を集めている——それは確かに、機巫女たちの訓練を支える、もうひとつの戦いだった。


(……けれど)


 ディアナの胸に、別の想いが去来する。


 この儀式を経て、やがてやってくる戦いの舞台。その時、地力はもう訓練のものではなくなる。


 ——田剣ノ儀。それは、神の御前に捧げる命の奉納。その勝者だけに、豊穣神からの地力が“ギフト”として降りる。


(その時、あの子は……)


 ふと、真紅の姿を思い出す。緊張で眉の端をこわばらせていた、昔と変わらぬあの表情。


 彼女の中の“爆散”の記憶は、まだ癒えていない。


ひとしきり儀式が終わると、地元の者たちが持ち寄った団子や野菜が境内に並べられ、簡素な直会なおらいが始まった。子どもたちが笑いながら走り回り、老婦人たちは腰を下ろして湯呑を傾け、火を囲んで農の話に花が咲く。


 そんな中で、ディアナはひとり、ふと背筋を伸ばして、遠くの山を見つめていた。

 風が、祈祷の残り香をさらっていく。



神事が終わり、境内の人影はまばらになっていた。風鈴の音がかすかに残り香のように鳴り、風が絹の衣を揺らす。


 祭祀の最後列。拝殿裏手の杉木立に、まだ衣装を脱いでいない少女の姿があった。


 ——矢那真紅。


 白地に朱の紋が入った神衣に、地面すれすれの袴。正式な祈祷巫女ではないため、神鏡や御幣を持たされることはなかったが、それでも見習いとして神事の末端を支える役を担っていた。


「……こんな格好、あんまり似合ってないよね」


 聞こえたか聞こえないかの独り言。


「そうでもないわよ」


 返事をしたのは、背後から歩いてきた一人の女性。深緑のキャップ、肩に垂れた三つ編み。


 ——ディアナ・グリーンフィールド。


「凛としてて、綺麗だった。……前に見たの、思い出しちゃった」


 真紅は返事をしない。ただ、少しだけ顔を背ける。


 ディアナは、隣に腰を下ろした。柔らかな風が二人の髪を揺らす。


「……あの時の地力は、確かに重すぎたわ」


 ディアナの声が静かに落ちる。真紅は顔を伏せたまま。


「霧散……いえ、爆散と言った方が正確かしら。あれは、完全な崩壊だった」


「…………」


「あなたが訓練で保持していた地力は、訓練用とはいえ、全国を巡って集めた貴重なもので……あれだけの規模の爆散を経験したのは、後にも先にもあなた一人」


 言葉は淡々としていたが、その輪郭は鋭く、真紅の内面を切り裂くようだった。


「……だから今も、地力が増えてくると……胸の奥で何かがざわめくの」


 真紅の声は、自嘲に近い。


「わかるわ。私も見ていた。あなたの手が震えて、呼吸が浅くなって……でもそれでも、地力を放せなかった。怖かったでしょう」


 真紅はふいに顔を上げ、ディアナを見つめた。


「……ねえ、どうしてそんな顔するの。ディアナまで哀れむような目で見ないでよ」


「哀れんでなんかいないわ」


 ディアナの言葉は、ぶれなかった。


「可愛い妹分よ?昔も、今も、どれだけ真剣に向き合ってるか、私はちゃんと見てきた」


 真紅は俯いていた目を伏せ直す。言い返したいのに、言葉にならなかった。


「励ますための言葉なんて、私も持ってない。でも、隣にいることはできるわ」


 沈黙が落ちる。だがそれは、冷たさではなく、どこか救いのある余白だった。


 やがて、真紅がぽつりと。


「……そういうの、ずるいな」


「ふふ、言われ慣れてるわ」




一面に広がる田の上に、重たいエンジン音が響く。


 ユナイテリアの使節団が乗った車が村の広場に停まり、その周囲には村人たちや祈祷隊、そして三彩機奏の三人娘が集まっていた。

今や満足に石油が取れるわけでもないのに、さすがは資源国のユナイテリアだと矢那真紅は思った。


 日輪の風に揺れる赤い暖簾の下。見送りの場に立つディアナは、トラクター娘としての装いをやや整えていた。襟を正し、キャップのつばに軽く手を添えると、彼女は三人娘を順に見つめた。


「……ありがとね。しばらく、いい空気を吸わせてもらったわ」


「どういたしまして!」


 柑那が元気よく応じた。横で藍羽が、控えめに微笑む。


「ディアナさん、いかがでしたか? 田舎の祭りと団子の味は」


「最高よ。特にあの団子、胡麻の香ばしさが絶妙だったわ。……あれ、もう一串くらい食べておけばよかったかも」


「ふふ、帰りに持たせてもらえばよかったですね」


 そんな和やかなやり取りの最中、少し遅れて現れたのが、くたびれた雰囲気の男——結城だった。


 ——が、今日の彼は違った。


 黒の上下に整えられた詰襟の礼服、胸には日輪国農政院の徽章が輝き、手には儀式用の帳面を携えていた。


「おや、見慣れぬ姿だこと」


 ディアナが片眉を上げる。


「ユナイテリアの使節団に失礼があってはならんのでね。こう見えても元軍属、礼節は心得てるつもりです」


 飄々とした言いぶりに、柑那が思わず吹き出す。


「似合ってるじゃん結城さん! ちゃんと立てばけっこうカッコいいかも……“立てば”ね?」


「んー、立ってても座っててもカッコいいとは思わないけど」


 藍羽の塩対応に柑那が「ひっど!」と笑い、結城は肩をすくめる。


 そんなやり取りの中、ディアナがふと振り返る。


「……また来ても?」


 真紅の声だった。少し離れた場所から、その瞳はまっすぐにディアナを見つめていた。


 ディアナは微笑む。


「もちろん。次に会う時は、もう少し“儀式的”になると思うけど」


 その瞬間——結城が口を開いた。


「それじゃ、十日後にまた会おうか」


 三人娘の表情がぴたりと止まる。


「じゅ、十日後?」


「えぇ、楽しみにしているわ」


 ディアナの言葉に、井関藍羽が息を呑んだ。


「もしかして……!」


 その声に、真紅の目が大きく見開かれる。


 結城が帳面を軽く掲げ、事務的な口調で言った。


「正式決定だ。“次の田剣ノ儀”、日輪国の対戦相手は——ユナイテリア代表、ディアナ・グリーンフィールド」


 微笑むディアナの背に、黒塗りの車の扉が開く。



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