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地鎮ノ機巫女 JICHIN NO KIMIKO  作者: 農機具男
第一部 地鎮ノ機巫女
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第一章 地鎮ノ機巫女

 朝焼けの空が田畑を黄金色に染めていた。私は小高い丘の上から、その光景をひとり見下ろしている。目の前には、どこまでも続く水田と畑が広がっていた。ここは日輪国――私の祖国だ。この国では農地は単に作物を育てる場所ではない。人々の命をつなぎ、国を支える大地そのものだ。だからこそ国家主導で農地防衛と食料安全保障が推進され、私たち「トラクター娘」にも大きな使命が課せられている。


 正式には「機巫女(きみこ)」。農業機械の力を借りて大地に活力をもたらす巫女だ。私はその一人、矢那真紅(やな しんく)。矢那家の娘として生まれ、先祖代々受け継いできた土地の力――すなわち地力(ちりょく)を扱う才を授かった。


 地力とは、作物を育む不思議な力のことだ。大地に宿る精気であり、田畑に満ちれば稲穂は実り、人々は飢えずに済む。しかし地力には限りがある。そのため日輪国では年に一度、各地の機巫女たちが集い、地力を巡って競い合う神事が行われる。いわゆる「地力争奪戦」だ。勝者となった機巫女は、自らの田畑に一年分の地力をもたらす権利を得る。それゆえ私たち矢那家も、他の久保田家(くぼたけ)井関家(いせきけ)といった名門家系も、皆この神事に全てを懸けて挑んできたのだ。


 今年、その地力争奪戦に臨む機巫女として選ばれたのが私だ。幼い頃から母に叩き込まれてきた使命――矢那家の巫女として、いかなる困難からも大地を守り抜けという教えを、今日こそ証明するときが来た。思えば厳しい修行の日々だった。土にまみれて田畑を耕し、作業機の精霊たちと心を通わせ、時に怪我をしても泣き言は許されなかった。それも全てはこの日のため。私の胸には、緊張と共に熱い決意が宿っている。


 私は朝露に濡れる草を踏みしめながら、ゆっくりと丘を下り始めた。麓には目的の神社が見える。朱塗りの鳥居をくぐった先、朝もやに煙る境内には静寂が満ちていた。普段は村の氏神を祀る小さな社だが、今日ばかりは年に一度の地力争奪戦を控え、日輪国中から選ばれた機巫女たちが集う特別な場となる。


 境内へと足を踏み入れると、私はふと両脇に目を止めた。参道の両側に、一対の古びたトラクターが石像のように鎮座している。赤錆びついた車体だが、その姿は堂々として神々しくさえある。それは遥か昔、初代の機巫女たちが実際に操縦した伝説の農耕機械なのだと、母から聞いたことがあった。先人たちの威光を前に、私は静かに一礼する。「どうか、見守っていてください」胸の内でそう祈り、境内の奥へと進んだ。


 ふと、境内の奥から微かな機械音が聞こえた。エンジンの唸りにも似た振動音――誰かが農業機械を動かしている?私は音のする方へ歩を進めた。


 社の裏手に広がる小さな試し田に、一人の少女が立っていた。朝陽を浴びて輝く髪は橙色(だいだいいろ)。身に纏った作業着もオレンジ色の差し色が目立つ。背は私と同じくらいだが、その背筋は自信に満ちて真っ直ぐ伸びている。少女の足元の土は細かく耕され、まるで(くわ)を入れたように柔らかくなっていた。この子が先ほどの音の主だろうか。


 私は声をかけようと一歩踏み出した。しかし、その瞬間――。


「はっ!」少女が短く息を吐き、構えを取った。次の瞬間、彼女の周囲の空気が震える。土埃が舞い、足元の土が渦を巻いた。


 思わず私は目を見張った。あれは単なる鍬の仕事ではない。彼女は何か特殊な力を使っている…。


「…誰?」オレンジの髪の少女がこちらに振り向いた。凛々しい瞳が私を射抜く。


 私は慌てて名乗った。「す、すみません!驚かせてしまったでしょうか。私、矢那家から参りました矢那真紅と申します。」


「矢那の…真紅?」少女は一瞬目を丸くしたあと、口元に自信ありげな笑みを浮かべた。「へえ、あんたが矢那家の代表さんってわけか。」


 私はこくんと頷く。「はい。あなたは…久保田家の方でしょうか?」


「そーそー、うちは久保田柑那(くぼた かんな)。よろしくね、矢那さん。」柑那と名乗った少女は、快活な笑みを浮かべ親しげに手を挙げてみせた。その飾らない態度に少し戸惑いながらも、私は会釈を返す。


「こちらこそ、お会いできて光栄です。先ほどの動き、素晴らしかった…まるで大地が息づいているようでした。」


「ああ、さっきの見てたんだ?」柑那は照れくさそうに鼻先をかいた。「朝から体がうずいちゃってさ、ちょっとウォーミングアップ代わりに耕してたんだ。もっとも、本番じゃこれくらい朝飯前だけどね。」


 明るい口調だが、自信に満ちたその言葉。私も負けじと微笑んだ。「私も今朝は早起きしましたが、あなたには敵いませんね。」


「ふふん、認めちゃう? でもありがと。矢那家のお嬢様が褒めてくれるなんて光栄だなあ。」柑那はにかっと笑う。しかしその目は私を値踏みするように輝いていた。「ところでさ、真紅って呼んでもいい?固い呼び方は抜きにしようよ。」


「え…?ええ、構いません。」突然ファーストネームで呼ばれ戸惑ったが、悪い気はしなかった。年も近い彼女のフレンドリーさに、少し緊張が和らぐのを感じる。


「じゃあ改めて、真紅。あんた昨日はいつ着いたの? うちは夜明け前にここに来たんだよね、訓練したくてさ。」柑那が興味津々といった様子で尋ねてくる。


「私は今朝方に…先ほど到着したばかりです。」


「へー、じゃあまだ体が目覚めてないんじゃない?どう、ちょっと私と手合わせしてみない?」柑那は愉しげに拳を打ち合わせて見せた。


「て、手合わせ…ですか?」私は瞬きをする。まさか初対面でいきなり勝負を挑まれるとは思わなかった。


「だって明日はいよいよ地力争奪戦だよ?お互い腕試ししときたいでしょ。」柑那は屈託なく笑っている。「心配しないで、本気のぶつかり合いはしないからさ。軽~く、自分たちの強みを見せ合う程度でどう?」


「しかし…公式の場ではありませんし、万が一怪我でもしたら…」私は戸惑い、言葉を濁す。正直、私自身も彼女の実力を肌で感じてみたい気持ちはあったが、こんな場所で戦うのははしたないのではないかという思いもあった。


「なんだ、怖いの?矢那家のエリートさんがそんな腰引けてていいの?」挑発するような口調に、思わず胸がざわついた。


「…怖くなんてありません。」気づけば、私はきっぱりと言い返していた。柑那の笑みがにやりと大きくなる。


「決まり。じゃ、ちょっとだけね!」彼女は嬉しそうに飛び退くと、田の中央あたりまで間合いを取った。


 私も覚悟を決め、足を進める。やむを得ない――彼女の誘いに乗ろう。ここで逃げては矢那家の名折れだし、何より私自身、柑那さんの力を正面から受け止めてみたいと思ったのだから。


「場所はこの畑でいいよね。周りに人もいないし。」柑那がきょろきょろとあたりを確認する。確かに、他の機巫女たちはまだ到着していないのか、見渡す限り人気はなかった。私たち二人だけの空間――冷たい朝の空気に、緊張感が走る。


「それじゃ、いくよ!」柑那が片手を掲げ、指をパチンと鳴らした。その瞬間、彼女の背後に淡い光が集まる。眩いシルエットが像を結び、一人の小さな少女の姿となった。


 えっ、と私は目を見開く。橙色の作業着姿に身を包んだ、小柄な女の子だ。歳は十歳くらいにも見えるが、その瞳には知性が宿っている。彼女はにっこりと微笑むと、柑那に小さな草刈り機のようなものを手渡した。


「ありがと、ロッタ。」柑那が受け取ったのは、柄の先に円盤状の刃がついた農具――まるで手持ち式の小型ロータリーカッターだ。


 私は息を呑んだ。柑那の傍らに現れたその小さな存在こそ、機巫女に神器を与える「作業機娘」――作業機の精霊だ。各機巫女は皆、自らの家系に伝わる作業機娘たちと契約し、戦いに臨む。柑那の場合、今現れた少女がそうなのだろう。


 柑那はロータリーカッターを軽々と振るって見せ、ひゅん、と刃が風を切る音が響いた。「うちのロッタはね、畑を耕すのが得意なんだ。遠慮しなくていいよ、真紅。そっちもパートナー呼んじゃいなよ。」


「分かりました。」私も覚悟を決め、静かに瞳を閉じる。そして心の内で語りかけた。「――来て、モア。」


 胸元に提げた小さな御守りがかすかに熱を帯びる。次いで淡い緑色の光が私の横に集まった。「お待たせしました、お嬢様。」澄んだ声とともに姿を現したのは、深緑の髪に白いエプロンドレスをまとった少女だった。穏やかな笑みを浮かべ、私に丁寧にお辞儀をする。


「モア、手を貸してね。」


「はい、真紅様。」モアと呼ばれた作業機娘は、手に持っていた長柄の刃――草を刈るための鎌のような神器――を私に差し出した。私はそれを受け取り、構えを取る。


 薄刃が朝日を反射してきらりと光った。私が手にした神器はモアが宿る草刈り機の力…いわば聖なるモアだ。私とモアの心が通じ合えば、その一振りで草だけでなく如何なる障害も断つと言われている。


「へえ、そっちのパートナーはモアちゃんかあ。」柑那が愉快そうに声を上げる。「そっちも草刈り機とは奇遇だね!どっちがより切れるか、勝負ってわけかな?」


 私は神器の柄を握り直し、静かに息を吐いた。「お手柔らかにお願いします、柑那さん。」


「こっちこそ!」柑那が地面を蹴る。一瞬にして間合いを詰めてきた。はやい――!


 私はとっさに草刈りの神器を横に薙いだ。刃同士が触れ合い、鋭い金属音が響く。火花が散り、柑那の笑顔が間近に見えた。


「やるじゃん!」彼女は嬉しそうに目を輝かせる。私も負けじと力を込めて刃を押し返した。互いに譲らず鍔迫り合いの形になる。


「さすが久保田家…ですね…!」私は歯を食いしばりながら言う。


「真紅もね!まだまだ…いけるでしょ?」柑那が楽しげに力を込める。二人の神器がきしみ、土の上に影がもつれたように揺れる。


 このままでは決着がつかない――そう判断した私は、一度大きく飛び退いて距離を取った。柑那もそれに合わせて間合いを開ける。


「いい動きだね、真紅。続き――」柑那が次の攻撃に移ろうとした、その時だった。


「おやめなさい!」澄んだ声が朝の空気を裂いた。


 凛とした声の主にハッとして振り向くと、いつの間にか畦道(あぜみち)の端にもう一人少女が立っていた。藍色の長い髪を背中でまとめ、落ち着いた雰囲気をまとった少女。私と柑那より少し年上に見える彼女は、冷静なまなざしでこちらを見据えている。


「井関家の方…ですね?」私ははっとして姿勢を正した。きっと井関藍羽(いせき あいば)さんだ。三家のもう一人の機巫女。


 藍羽と呼ばれた少女は静かにこちらに歩み寄ってきた。その所作はまるで舞うように優雅だ。「お二人とも、こんな場所で勝手に戦うなんて感心しませんわ。ここは神聖な御神田(ごしんでん)です。地力争奪戦の前に(けが)れを生むような真似は慎んではいかがですか?」


 厳しい言葉に、私は消え入りたい気持ちになった。「申し訳ありません…。私が軽率でした。」頭を下げる。


 しかし柑那は不満げに口を尖らせる。「なによ、それじゃあ藍羽さんは私たちに指一本触れるなって言いたいわけ?」


「ええ。少なくとも今この時点では。」藍羽さんは涼やかに答える。「機巫女同士、公式な場で正々堂々と競い合うべきですわ。今ここで張り合って怪我でもしたら、本番に支障が出ますもの。」


「ふうん、心配してくれてるんだ?」柑那は肩をすくめた。「でもさ、私だってヤワじゃないし、あんたに迷惑かけるつもりもなかったよ。ただちょっと腕試しを――」


「迷惑とかそういう問題ではありません。」藍羽さんの表情は崩れない。「……率直に申し上げて、お二人とも名門の跡取りでいらっしゃる割には、随分と無防備で軽はずみなのですね。」


 その言葉に、柑那の表情がさっと険しくなった。「なんですって?」


 私も胸がちくりと痛んだ。おっしゃる通りだ、と分かってはいるけれど、藍羽さんの言い方はまるで私たちが愚かだと言わんばかりで…。


「井関さん、それは言い過ぎでは――」私が慌てて間に入ろうとしたその時、


「無防備で軽はずみ、ね。」柑那が苦笑した。「確かにうちは深く考えずに動く性格だけどさ、それが悪いっての?」


「悪いとは言いません。ただ…少なくとも私なら、そのような真似はいたしませんわ。」藍羽さんはきっぱりと言い切った。


「ふーん。じゃあ何、あんたは頭でっかちに策を練って、泥だらけの勝負はしないってこと?」柑那の声には怒りがにじんでいる。「最初から決めてかかるなんて、感じ悪いな。」


「……っ。決めつけてなどいません。ただ、私は正当な方法で競いたいだけです。」さすがの藍羽さんも表情を曇らせ、声を強めた。


「まあまあ、二人とも落ち着いて…!」私は二人の間に立ち、両手を広げた。柑那と藍羽さん、初対面のはずなのに火花を散らす勢いだ。なんとかしなければ。


「真紅は黙ってて。」柑那が私を制する。「このお嬢様には少し言っておかないと気が済まないんでね。」


「お嬢様…?」藍羽さんの眉がピクリと動く。


「だってそうでしょ、井関家って確か国の研究機関とも繋がりが深いとかで、頭でっかちな戦術とか考えてんじゃないの?地力争奪戦だって結局勝った者が正義なんだから、きれいごとじゃ勝てないと思うけど。」


「繋がりが深い、ですって?聞き捨てなりませんわね…!」藍羽さんがきっと柑那を睨む。流石に頭脳明晰な藍羽さんも、この揶揄には怒りを隠せないようだ。


「二人とも、やめましょう!」私は必死に声を上げた。しかし感情的になった二人の耳には届かない。


「そんなに私のやり方が不満ですの?久保田さん。」


「別にー。ただ、あんたに私らの熱さは理解できないだろうねってこと。」


「そう。ではあなたはご自慢の力任せでこの神事に勝てると?」


「勝つさ。地力は絶対うちのものにする。」


「面白いですわ。ですが口先だけでは何とでも――」


「…ああもう、うるさい!」柑那が苛立ったように地面を強く踏みしめた。ドン、と土が揺れる。「そんなに言うなら、試してみる?」


 嫌な気配が走った。柑那の周囲にオレンジ色の光が散る。彼女の傍らにいつの間にか現れていたロッタが、不安げに主を見上げていた。


「やめてください、久保田さん!」藍羽さんも制止する。「この場でさらに暴れるつもりですか?」


「あんたが煽るからでしょ!」柑那の周囲に地のエネルギーがほとばしった。その瞬間、ビリ…と空気が裂けるような音が響く。


「!?」私ははっとして辺りを見回した。今の嫌な音は…?


 見ると、私たちの足元の土がぼこりと盛り上がっている。「地面が…?」


「まさか…!」藍羽さんが青ざめた顔で呟いた。「いけません、皆さん下がって!」


 忠告の意味を察するより早く、大地がせり上がり土柱が立ち昇った。次の瞬間、それは人の形を成していく。土塊が腕となり脚となり、巨大な土人形がそこに出現したのだ。


「な、何こいつ!?」柑那が面食らった声を上げる。


 高さ三メートルはあろうかという土の巨人。それは目に相当する穴から淡い光を漏らし、のそりと動き始めた。腕を振り上げ、私たちに向かってくる!


「下がって!」私は柑那の腕を掴み、とっさに後退した。ドゴォッ!と凄まじい音がして、さっきまで私たちが立っていた場所が土煙に包まれる。土の拳が地面を(えぐ)ったのだ。


「くっ…危ないところでしたわ。」藍羽さんも素早く距離を取っていた。隣にはいつの間にか彼女の作業機娘が寄り添っている。蒼い髪のおっとりした少女だ。おそらく井関家の神器を司る存在だろう。


「藍羽さん、あれは何ですか!?」私は土煙越しに叫んだ。


「たぶん、御神田を守護する地霊が実体化したのでしょう。」藍羽さんが険しい表情で応じる。「私たちのいざこざで大地が乱されたから…眠っていた守り神が怒っているのかもしれません。」


「なんだって…」柑那が悔いるように顔をしかめた。「あたしのせいか…」


 土の巨人はゆっくりとこちらに向き直った。逃げる隙はなさそうだ。私は神器の鎌を握りしめた。いずれにせよ、今はこの脅威を退けるのが先決だ。


「柑那さん、藍羽さん!共同戦線を張りましょう。今は争っている場合ではありません!」私は二人に呼びかけた。


「も、もちろん!」柑那はすぐに頷いた。「悪い、真紅、藍羽さん。あたしが無茶したせいで…でもやるしかないよな!」


「ええ。責任は後でいくらでも取りますわ。」藍羽さんも既に戦う覚悟を決めた目をしていた。「行きますよ!」


「「おおっ!」」私たち三人は同時に声を上げた。


 土の巨人が再び拳を振り上げる。私たちは散開してそれを避けた。地面に叩きつけられた拳が泥を飛び散らせる。


「ロッタ、お願い!」柑那が叫び、再びロータリーカッターの神器を構え直す。「まずは足止めだ!」


 柑那は地を蹴って巨人の懐に飛び込み、神器を地面に突き立てた。すると唸るような轟音とともにロータリー刃が回転し、巨人の足元の地面を激しく耕す。巻き上がる土砂に足を取られ、巨人の体がぐらりと揺れた。


「やったか?」柑那が顔を上げる。しかし巨人はよろめいただけで倒れはしない。片足が崩れたものの、逆の腕で地面を支え踏みとどまってしまった。


「しぶとい…!ならばこちらはどうです!」藍羽さんがすかさず動いた。彼女は傍らの作業機娘――淡い青のワンピースを着た少女――に軽く頷く。すると少女は手元の小さな魔法陣から何か鎖のようなものを引き出した。「行きます、ベーラ!」藍羽さんがその端を握る。


「はい、お嬢様。」ベーラと呼ばれた作業機娘が応じた。見ると、それは藍羽さんの家の神器…梱包用の(なわ)だろうか。まるで干草を束ねるベーラーの結束線のように見える。


 藍羽さんは躊躇なく巨人の腕めがけてその縄を投げつけた。すると縄は生き物のようにうねり、巨人の片腕に絡みつく。「拘縛(こうばく)…完了です。」藍羽さんが念を込めると、縄がぎゅっと締まり巨人の腕を胴体に縛りつけた。


「いいぞ、これで動きが鈍った!」柑那が声をあげる。


「最後に決めます!」私は巨人の背後に回り込み、跳躍した。「モア、力を!」空中で私が鎌を振るうと、モアの緑の髪がふわりと輝いた。一陣の風とともに神器の刃が唸り、巨人の土の首元めがけて斬りつける。


 ザシュッ!手応えと共に、巨人の頭部がガラガラと崩れ落ちた。首から上を失った巨体がのけぞり、そしてどさりと地に崩れ落ちる。


「やった…か?」私は着地し、慎重に土煙の中を窺った。巨人の体は崩れてただの土の山に戻っている。動く気配はない。


「ふう…なんとかなりましたわね。」藍羽さんが長い息を吐いた。


「やったー!倒したぞ!」柑那は大きくガッツポーズしている。私も胸を撫で下ろした。三人で顔を見合わせ、思わず笑みがこぼれる。


 と、その時。崩れた土の山から、ぽうっと緑色の光が立ちのぼった。「あ…」私たちは声を失った。それは小さな光の玉となって宙を舞うと、すっと近くの地面に吸い込まれた。


 次の瞬間、そこから一本の小さな芽が顔を出したのだ。見る間にすくすくと茎を伸ばし、黄緑色の双葉を広げていく。「芽が…出た?」


「守り神の怒りが静まり、地力が正しい形で大地に還ったのでしょう。」藍羽さんがほっとしたように微笑んだ。


「なんだか…きれい。」柑那も目を丸くして呟いた。朝日を浴びて煌めく小さな芽生え。それはまるで新しい絆の象徴のように、私には見えた。


「お、お前たち!大丈夫か!?」慌ただしい足音とともに、神社の宮司(ぐうじ)と思しき初老の男性が駆けつけてきた。轟音が響いたため、様子を見に来たのだろう。境内の土が抉れ、周囲は土埃だらけだ。私たちは思わず顔を見合わせ、苦笑した。


「申し訳ありません…!私たちの不注意で、守護の地霊を目覚めさせてしまって。」私が素直に頭を下げると、柑那と藍羽さんも続いて深々と頭を下げた。


 宮司は目を丸くして周囲の惨状と私たちを見比べたが、やがて安堵したように頷いた。「そうか…しかし無事に鎮めたのだな?うむ、ご苦労であった。まさか本当に土の守り神が現れるとは…。しかし見よ、芽が出ておる。」宮司は先ほどの小さな芽に気づき、その傍らで手を合わせた。「大地も喜び、禍も去った証拠じゃろう。お主ら、ようやったな。」


「ありがとうございます…」私たちもほっと胸を撫で下ろした。


「とはいえじゃ。」宮司はじろりと私たちを見て、わずかに笑みを浮かべた。「良きかな、若い衆が競い高め合うは結構なことだが、度が過ぎれば神罰(しんばつ)が下るということじゃ。お主らも少し頭を冷やすのじゃぞ。」


「はい…肝に銘じます。」私も柑那も藍羽さんも、恥ずかしさで顔を見合わせた。宮司は満足げにうなずくと、「では(わし)は後片付けを致そう。そなたらは宿舎に戻り、式典の支度をするがよい。」と促した。


「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」私たちは宮司に礼を言い、その場を後にした。


 土にまみれた体を払いながら、私と柑那と藍羽さんは並んで参道を歩く。朝日が高く昇り、境内には爽やかな光が差し込んでいた。


「はあ、やっちゃったなあ。」柑那が頭をかきながら笑った。「でも、二人が無事で良かったよ。」


「本当に…皆さん怪我がなくて何よりです。」藍羽さんも微笑んだ。「そして…ごめんなさい、私、先ほどはお二人に失礼なことを。」


「ううん、私こそ熱くなって突っかかって悪かったよ。」柑那が素直に頭を下げる。


「私も、お二人には申し訳なく思っています。」私は二人の顔を見渡した。「止められなかったし、挑発に乗ってしまったし…。」


「もう水に流そうよ!」柑那は朗らかに笑ってみせた。「結果オーライってことでさ。実際、あたしたち結構いいコンビだったんじゃない?」


「…ふふ、そうですわね。」藍羽さんがふっと柔らかく笑う。「皆で力を合わせたおかげで、守り神を退けることができました。」


「うん!三人で戦ったら無敵かも!」柑那が得意げに胸を張る。


「ええ、私もそう感じました。」私も笑顔になる。「柑那さんの力強さ、とても頼もしかったです。最初の足止めがなければ、私は斬撃を当てられませんでした。」


「へへ、ありがと!」柑那が照れ臭そうに鼻をこする。「藍羽さんもさ、すごい冷静だよね。あの縄で締め上げたときなんて痺れたよ!」


「恐縮です。井関家に代々伝わる梱包機(こんぽうき)の術ですの。」藍羽さんが頬を染めて微笑む。「お二人の勇猛さに触発されて、咄嗟に動けました。」


「三人が力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられそうですね。」私はしみじみと言った。本心だった。さっきの戦いで私は二人の底知れぬ力だけでなく、芯の強さや優しさにも触れた気がする。最初は誤解や衝突もあったけれど…今ではもう、同じ志を持つ仲間だ。


「でも、明日はライバル同士なんだよなあ。」柑那が苦笑する。「忘れそうになるけど、地力争奪戦は一人しか勝てない。」


「…そうですね。」藍羽さんも少し寂しげに目を伏せた。「勝者だけが地力を得られる。それが現実ですわ。」


 一瞬、静かな空気が流れた。だがすぐに柑那が明るい声で言った。「だからさ、その一人になるために全力尽くそう!もちろん手加減無しでね。」


「はい。」私も笑って答える。「正々堂々、全力で戦いましょう。そして…たとえ勝敗がどうあれ、恨みっこなしです。」


「ええ。互いに健闘を讃えあいましょう。」藍羽さんが穏やかに微笑む。「ここにいるのはもう敵ではなく、同志なのですから。」


「同志、か。」柑那がぽつりと繰り返す。「そうだな!食料を守るって目的は同じなんだし、誰が勝っても私たち日輪国のためだもんね。」


 私たちは頷き合った。そう、私たちは皆、国の大地を想う心で繋がっている。どの家が勝とうと、三人で日輪国を支えていけばいい。それがきっと本当の「農地防衛」であり、絆なのだろう。


「じゃ、また後でな!」宿舎の前に差し掛かったところで、柑那がひらひらと手を振った。「朝から汗かいちゃったし、一風呂浴びてくる!」


「ふふ、そうですわね。私も着替えなくては…。」藍羽さんも小さく笑う。


「では、また式典でお会いしましょう。」私も二人に頭を下げた。


 柑那と藍羽さんがそれぞれの部屋へと去って行く。私も自分の荷物を受け取るため、宿舎の玄関に向き直った。


 ふと、胸の御守りに手を当てる。静かに宿るモアの気配が、温かく私を包んだ。巻き起こった出会いと対立、試練、そして共闘――すべては無駄ではなかった。私たちは互いを知り、認め合えたのだから。


 明日の地力争奪戦。競い合う運命に変わりはない。けれど私はもう孤独ではない。共に高め合う仲間がいる。そのことが、何よりも心強かった。


 私は朝空に浮かぶ太陽を見上げた。強く眩しい日輪が、大地を優しく照らしている。「頑張ろう。」私は小さく呟き、歩き出した。新たな絆の芽生えを胸に抱きながら――。

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