リヒターとの昼下がり。
彼女の手にあるのは、二つのカップだった。両方とも、紅茶が入っていた。シャーロットが自販機で購入したものであった。
「……すみません、ジェム様。用意までしてもらいまして。代金お支払いします」
「いえいえ。私もご馳走になりましたから。これでプラマイゼロです」
「ぷらまい……?」
「貸し借り無しということで、お願いします」
冬花の名残で、ついこの世界では使わない言葉を使ってしまったようだ。シャーロットは訂正しておいた。
「わかりました。では、いただきます」
「はい、どうぞ」
シャーロットのは、予め砂糖もミルクも投入済みだ。リヒターの好みがわからなかったので、彼は無糖ミルク無しにしておいた。
「事後承諾になっちゃいますけど、リヒターさんの分はそちらで調整してください」
そこに、カイゼリン用に用意された砂糖類がある。そこからリヒターに足してもらうことにした。
「……」
リヒターはカップと砂糖を交互に見ている。それにだ。彼は一向に何も入れようともしない。飲もうともしなかった。
「紅茶、お好きじゃなかったですか? 私、二杯は余裕でいけますので。コーヒー買ってきますね。それとも、他にご希望のがありましたら――」
「……わからなくなってまして」
そう呟いたのはリヒターだ。彼はどこか気まずそうにしていた。
「付き合いで飲むことはありましたが、自分の嗜好などとうに忘れてしまってました」
「リヒターさん……」
シャーロットはリヒターを思った。この人は、どれだけリヒターであろうとしたのか。こうも考える。――本当の自分を抑えつけてきたのかと。
「ただ、良い機会かもしれません。ジェム様、よろしければなのですが。あなたの方をいただけませんか?」
「はい、もちろんです。口もつけてませんから、安心してください」
「……」
なぜ、そこでリヒターは黙ったのか。
「……すみません」
特に意識をしていなかっただろうに、余計な気を回してしまったのか。シャーロットは恥ずかしくなってしまった。
「……。ジェム様も、座ってください。婦人を立たせたままなのも、気が引けます」
「はい。ではそこらへんの席にでも」
「隣りにどうぞ」
「それは……」
シャーロットは前にも体験したことがあった。そのソファ席はかなり密着することになる。が、この男は意識していることもないだろう。なにせこの無表情だ。
「私は恥をかかせられているのでしょうか」
「……失礼します」
シャーロットは遠慮がちに座った。自分が飲もうとしていたカップも、リヒターに手渡した。
シャーロットも失敬して、砂糖とミルクを入れていった。カイゼリンのということもあり、控えめにしていた。コーヒーではないので、この量でも彼女は十分美味しく飲める。
リヒターが飲まない。シャーロットが飲むのを待っているようだ。シャーロットも同様だった。
「ジェム様、お先にどうぞ」
「いえいえ、リヒターさんがお先に」
「……ジェム様。私が先輩だとお思いですか?」
だから先を譲っているのかと、リヒターは言ってきた。
「あの、同じクラスってこと、わかってますので。さっき、普通に会話してましたよね?」
同じ教室でやりとりしていたのだ。そこまでシャーロットが抜けていると思っているのか。
「……別に、敬語である必要はありません。私はあなたの先輩でもありませんので。あと、敬語喋りが標準の方と思っていました」
「そんなことはありませんが……」
「失礼しました。敬語のままでしたので」
「あ。そうですね、そのままでした。でも、なかなか抜けなくて」
リヒターがそう言ってくれるのなら、シャーロットもそうすることにした。リヒターは敬語喋りを崩さないだろうが、シャーロットはそこまでこだわっているわけでもなかった。
「……うん。それじゃ、リヒターさん。一緒に飲もうか」
まだ呼び捨ては難しいが、シャーロットは普段の喋り方で接することにした。
「……はい」
返事はそれだけだったが、リヒターは特に嫌がっている様子でもなかった。シャーロットも安心して、カップを口に含んだ。
「うん、美味しい。質からして違うと、こうも違うんだ」
シャーロットが美味な紅茶を味わっている一方で。
「ぶふっ!」
リヒターはむせた。手持ちのハンカチを口に当てながら、咳き込んでいた。
「リヒターさん!?」
「ご、ご心配なく……。ごほっ、ごほっ」
「大丈夫……? そこの自販機だし、変なものとか入ってなかったと思うけど。気管に入っちゃったんだね」
シャーロットは辛そうなリヒターの背中をさすった。
「……ジェム様」
リヒターが涙目に見てきた。どこか怒り気味でもあった。シャーロットはハッとして、さするのをやめた。つい、アルト相手にやっていたことをやってしまっていた。
「失礼ながらも言わせてください……! なんなのでしょうか、この、砂糖とミルクの量は……!」
「なんなのと言われても。私の好みの量としか」
「こ、こんな量は健康にも害を及ぼします。あなたの舌は馬鹿舌ですか……!」
「馬鹿舌……」
シャーロットは言われてしまった。リヒターも言い過ぎたかと謝ろうとしたが。
「あはは、そうかもね。自分でも最近まずいかなって思っていたし」
シャーロットは笑っていた。ここまではっきり言われたら、妙に納得がいくものでもあった。
「……まずいと自覚したの、最近ですか」
「……そこは、うん」
自覚しただけでもマシと言いたかったが、リヒターをさらに怒らせそうなので、シャーロットはやめておいた。
「ふふ、怒ってる」
シャーロットはなんだか可笑しくなってしまった。あの無表情に定評があったリヒターが、こうして怒って、呆れもしているのだ。
「……何一つとして、面白いことなどないでしょうに。しかし、すごい味ですね。というか、一緒に入れるものなのでしょうか」
リヒターは残りの紅茶も飲んでいた。砂糖とミルクでドロドロのそれをだ。
「リヒターさん。無理して飲まなくてもいいんじゃ」
「……ジェム様。――でしたら、交換しますか?」
「……」
この男にとっては、何てこともないのだろう。シャーロットとしては、そうではないのに。
「いいえ。健康を考えてこっちを飲む。そっちはまあ、もったいないけど」
「……私が責任持って飲みます。ええ、そうです。予め、心構えさえできれば」
そう言いつつ、リヒターは甘い物を飲んでいるのに、苦々しい顔をしていた。どうにか飲み切ったようだ。
「……では、仮眠をとらせてもらいます」
口直しにと水を飲んだあと、リヒターは仰向けになってソファに身を預けた。
「うん。時間になったら起こすね」
「ありがとうございます――」
シャーロットはメモを見ながら時間を過ごすことにした。リヒターはお礼を言うと、即寝た。もう寝息を立てている。
「疲れてるんだね、リヒターさん」
無防備に寝ているリヒターが意外だった。シャーロットもゆったりと時間を過ごすことにした。
「……頑張ってるんだよね。それって」
シャーロットは今ここにいない女性のことを思った。――カイゼリンだ。
カイゼリンの為ならば、リヒターはここまでも頑張れるのかと。そう考えると。
「ふふ、尊いね」
無理はして欲しくないものの、この不器用な男の恋路を応援したい。シャーロットはそう思いながらも、心地よい風を感じていた。




