残念ながら、全部は引き継げません。
「でもさー、俺さ? 記憶があるっていっても、直前くらいでさ」
「そっか。それじゃ『今日』、門限破ったこととかは?」
「え、いつもじゃん。……いや、今日門限破るんだ。おかしいねぇ、シャーロットがいつも帰りなさい言ってくれるのにねぇ」
「……アルト」
この男が今、何か言った。門限破りはいつものことだと言い出した。当人はとぼけているが、シャーロットはしかと聞いていた。冷たい視線を送る。
「い、いやぁ? 本当にたまにだし? たまたま! 今日は、ちゃんと帰りまーす」
「今日は。まあ、いいけどね。その方がいいよ。というか、今夜吹雪くから。早目に帰った方がいいかもね」
「やだやだ、絶対やだ! ぎりぎりまで居座る!」
帰らない!と、アルトは椅子の上で踏ん張った。
「まあ、座ってくれててもいいけど。これから処方を――」
どのみち、この日はアルトは薬を求めて訪れていた。特に購入予定がなくとも、手伝いといってやってはくるが。
「待って、シャーロット」
ストップをかけてきたのはアルトだ。彼はすっかりいつもの彼だった。あんな沈みきった彼よりは断然良いものの、また彼に振り回されることになる。
「えっと、私の恰好のこと? 寝起きじゃないよ?」
かつては寝間着でアルトに接客したこともあったが、今は最低限外に出られる服装をしている。シャーロットはそのことかと思ったが。
「それだよ! 俺、覚えてないんだよ! 今までの俺が、どれだけ君と……俺が知らない君と!どんだけ接してきたのか、どんだけいちゃついてきたのか!」
「いや、いちゃついてとか……」
「あー、この反応……。ぜったい良い思いしてるわ、俺! そうだ、入学とかの話があったから、学園デートとか! お、お、俺の部屋に来たりとか!」
「……」
学園デート。アルトの部屋。いずれもシャーロットにとっては、何とも言えない思い出の場所だ。赤面もするし、青褪めもした場所だった。これはアルトには詳細は伝えられない。ましてや。
シャーロットは絶対に言えなかった。――あの、『愛された日々』のことは。隣りにいるアルトには言えない、知られたくないことだった。
「……」
アルトがシャーロットを見つめていた。やたらと頬が赤い。シャーロットが視線に気がつくと、勢いよく目をそらした。今のは何だったのか。意味深でもあった。
「……まさかね。まさかまさか」
アルトから忘れたと断言されたわけでもない。けれども、とくに触れてもこないのだ。アルトは覚えてない。忘れている。シャーロットはそう思うことにした。
「……?」
視線といえば、もう一方からもだ。螺旋階段の途中で、リッカが視線を送り続けていたのだ。リッカは、アルトの方もチラチラ見ていた。
「あ、そっか……」
通常なら、この時点でリッカが家にいることはなかった。アルトの認識もそうだ。この犬が喋ることも、ましてや記憶を保持しているとも思わないはずだと。シャーロットは安心させようとしたところ。
「おいで、リッカ」
「……!」
優しく話しかけてきたのは、アルトの方だった。リッカの顔が明るくなった。飛ぶように階段を下りると、二人の足元までやってきた。
「アルト、覚えてる!犬とかもう言わないんだっ」
名前で呼んでくれたことも、リッカはとても嬉しかったようだ。アルトの足元に頬をすり寄せていた。
「ん、犬はなかったよね。でも、シャーロットからの愛情たくさんもらって? 一緒にお風呂まで入れて? ズルイーヌには変わりないんで」
「ズルイーヌ!」
リッカは再びガーンとなった。シャーロットがコラ!と叱っても、アルトはツーンとしていた。
「……でも、シャーロットやアルトからもらったの、無くなってるね。僕、失くしちゃったのかな」
「そんなことないよー。リッカは悪くないよー」
さらにリッカがしょげてしまった。シャーロットが用意したおもちゃ箱や、アルトからのぬいぐるみも。それから、リッカ用の水が出てくる装置も。跡形もなくなくなっていた。
「……また、買わなくちゃ」
シャーロットもしょげてしまっていた。いい値段がするのもそうだが、装置自体も大きいので持って帰るのも大変だったのだ。リッカが心配そうに見てきたので、シャーロットは安心させるように笑ってみせた。
つい弱気になってしまったが、シャーロットにとってはなんのそのだ。可愛いリッカの為なのだ。
「……こんなん、プレゼントチャンスでしょ。好感度上がるでしょ」
虎視眈々と狙っている男がここにいた。アルトがブツブツ言っている。自作してもいいが、買った方が早いのではないかと。どちらにしろ、これは株が上がるだろうと。ブツブツと。
「これは喜ぶ。もっと貢ぎてぇ……」
「アルト。こっちで用意するから。私のことはいいから」
「おっと。リッカにですが?シャーロットと同じで、リッカの為に貢ぎたいのですが?」
「はっ……!」
これは自惚れだったかと、シャーロットは顔が赤くなる。これは恥ずかしい。
「なんてね。……俺が一番、貢ぎたいの。君だし」
「!?」
アルトに迫られ、至近距離となった。かなりの顔の近さに、シャーロットの赤面は止まらない。自分から迫っておいて、アルトまでも顔が赤い。
「そうだよね、シャーロットはもうわかってるもんね」
「な、なにをかな」
「俺が君のこと、本当に好きだってこと。真っ先に君を喜ばせようと思ってるって。……嬉しいなぁ」
まともに取り合ってくれなかった頃からしたら、幸せだ。アルトとしては、本当にそうだった。
「二人はとっても仲良しだね。……ふわぁ」
足元のリッカは、素直な感想を述べた。眠そうだった。
「そうだろそうだろ。こんなん、もう付き合ってんじゃん……?」
「その、付き合ってはいないかな。リッカ、まだ早いからね。寝てたら?」
「現実つれぇ……」
ばっさりと言われたアルトは落ち込む。口にした当のモフモフは眠そうだった。
「うん、おやすみなさい……。そうだ、アルト。ベッドね、変わってたよ。ふかふかなんだ……ふわぁ」
わふっ、と無垢なモフモフはそう言い残し、暖炉の前のソファまでとてとて歩いていった。ソファまでジャンプして乗ると、そのまま爆睡した。
「……ベッド。シャーロットのお部屋のベッド」
「あわわわわわ」
なんという発言を残していったのか。シャーロットはうろたえる。そう、シャーロットの部屋は維持されているものがいくつかあった。まず一つが、自室のベッドだ。これは、まずい。シャーロットにとっては非常にまずいのだ。
「そ、その、ベッドはね……?」
作ったのは、――別のアルトだ。しかも、『あの時』のアルトだ。
シャーロットの本心としては、快適な眠りを送れるようになったので感謝はしたい。このアルトにだってお礼は言いたい。でも言いは出来なかった。彼女の心情的にである。
「ベッド、新調したんだ。リッカがいるし、怪我とかさせたくないなって。こう、組み立てまでも自分でやってね? だから、誰も部屋に入れたりとか、手伝ってもらったりとか、そういうのもないわけで!」
シャーロットはまくしたてた。今のアルトが大丈夫とはいえ、不安要素は潰しておきたい。シャーロットは説明過多だろうと、捲し立てた。
「う、うん、わかったよ。大変だったね……」
あのアルトが圧されるほどだ。シャーロットはこっそり溜息をついた。これでよし、と。
「……ベッド、ねえ」
そのことに夢中なシャーロットは気がつくこともなかった。――アルトのその時の表情など。
「ベッドは置いといてね。私が買ったわけだし。――学園からの推薦状。これも残されていたの」
「あらら、まじか」
本来ならば、今夜猛吹雪の中、郵便配達人によって届けられるものだ。毎回である。毎回、あの吹雪の中、あの人は届けにきてくれるのだ。シャーロットは本当に忍びなく思っていた。
「それで、私……早目に話をしにいきたいなって」
這い寄る新たな脅威。手がかりはブルーメ学園にあるのだ。シャーロットは午前中には、話をしにいかないとならないだろう。となると。
「『モルゲン先生』に、話をしとかないとって。あの人も『そう』だから」
「……兄貴が」
ブルーメ学園の教師である、アインスト・モルゲン。アルトの兄でもあった。推薦の件以外にも、話したいことはたくさんあった。――モルゲンもまた、記憶を保持しているからだ。
「……兄貴、ね」
シャーロットはアルトのことは信じている。険しい目つきをしているアルトであっても、今なら大丈夫だろうと。信じることにした。
「ねえ、シャーロット。兄貴は『知ってる』ってことだよね」
「……うん」
「そっか」
アルトは伸びをすると、天井を見上げた。彼は言う。
「……俺の知らないところでさ。なんか、兄貴が知ってたとかさ。こう、シャーロットと協力関係にあったとかさ。それは、イラつきはするけどさ。……でも、シャーロットを守ってくれてたんだろなって」
それは、アルト自身も目にしたことだった。自分が起こした事件で、兄も必死だったこと。それは記憶にあった。
「……だから、まあ、しゃーない」
アルトは渋々ながらも、納得はしたようだ。
「俺まで、眠くなっちゃった。ソファ借りるね」
「それはいいよ……眠いんだ、アルト」
アルトが欠伸をしていた。本当に眠そうだった。
「うん、まあね。ちゃんと眠れそう。時間になったら起こしてもらっていい?」
「うん……」
「ありがと、シャーロット……」
アルトはソファまで移動すると、横になった。目も閉じている。
「でも私、これから出かけるし。ほとんど寝られなくない?帰ってくるまで寝ててもいいよ」
「え、一緒に行くけど……? 置いてくようなら、自力で起きるけど……?」
そう言った直後に、彼もまた眠りについた。寝顔はあどけないものだった。
「……ふふ。そうだね。一緒に行こうか」
シャーロットは近くにあった毛布をアルトにかけようとした。リッカはというと、リッカ用に買っておいた毛布もあったはず。それが無くなってしまっていたが、アルトと一緒にリッカは寝ていた。シャーロットは彼らを毛布で包んだ。
寒くないようにと、シャーロットは暖炉もつけることにした。すっかり慣れた薪割りで用意すると、暖炉の中に薪を放って火つけた。
「そうだ、花束」
シャーロットは薪割りの帰りに回収していた。アルトが死んだと思って捧げようとしていた花たちだ。シャーロットは考えた。
「……アルト、処分とかいってたよね」
植物を無碍に扱ったりしない彼だが、今回は縁起でもないと思ってそうだ。花には罪はない。ただでさえ、すでに切られてしまっている花たちだ。
「部屋に生けておこうかな。お礼と報告もしておいて、と」
反対しそうなアルトの姿が目に浮かぶが、シャーロットが望むならと結局は引き下がるのだろう。
シャーロットはすっかり目が覚めていた。朝の準備をするにも、早い時間だ。
「うん」
これから忙しくなることを見据えて、薬を調合することにした。新薬の開発にも勤しむ。シャーロットは薬師として、頑張っている――。
「魔法屋、なんだけどな」
氷の魔力を使った依頼は、滅多に来なかった。この冬の国、数多にある雪。需要が無かった。あったとすると――。
「……あの人は」
前回訪れた謎の男性。彼はシャーロットの魔法の力を欲していた。――不穏な目的の為に。
「……学園に行ったら。それで、手がかりは掴めるから」
まずはブルーメ学園へ。シャーロットは前を見据えた。




