少女の前世。――教師への恋。②
エレベーターに乗り込むと、彼は話し始めた。
「さっきの人は違うから」
「違うって……」
「お前に誤解されたくなくてな。知り合いではあるけど、お前が考えているような人じゃない」
「はい……」
冬花はそれ以上は言わない。エレベーターは目的の階へと着いた。男性の腕を掴んだまま、そのまま彼の住んでいる部屋へ。
彼の部屋のドアは閉められ、鍵をかけられた。今は、二人だけだ。――――人目も気にしなくていい。今なら、呼べるだろうか。
「……郁也、さん」
「!」
冬花は彼に抱き着いた。郁也と名前で呼ばれた男性は息を呑む。
「……」
「逢いたかったです、郁也さん」
相手が何も言わないことをいいことに、冬花は彼の胸元に顔を寄せた。
「……片桐先生、な?」
「!」
「そこはちゃんとするって、お互い約束しただろ?――――な、皇」
郁也。いや、片桐もまた抱きしめ返してくれた。背中も撫でてくれている。だが、それは子供をあやすかのような、それだった。
「……すみません、先生」
「ん。頼むな」
彼とこうしているだけで、鼓動が早まって落ち着いてくれない冬花。対する片桐にとっては大したことではないのだろうと。彼の声がそう教えてくれるようだった。
彼、片桐は冬花の学校の教師だ。元担任でもあった。
二人は生徒と教師の関係。それでいて、たまに二人で逢っている関係でもあった。
「まあ、こうして家に呼んでいる時点でな。俺も大概なんだけどな」
「……そうですよ? こら、片桐ちゃん?」
それもそうだと、冬花は小さく笑った。『片桐ちゃん』は、彼が生徒から親しみを込めて呼ばれているものだった。彼女も密かにそう呼んでみたかった。
「おいおい、お前までもかー?」
「はい、呼んでみたかったんです」
「……まったく」
腕の中でクスクス笑う少女を、片桐は強く抱きしめた。驚く冬花に、彼は耳元で話しかけてくる。
「よく笑うようになったな。皇は」
「片桐先生……」
冬花は瞳を閉じて幸せに浸る。そう、こうしていられるのも。笑えるようになったのも、片桐と出逢えたからだった。
片桐が担任だった頃。当時の冬花は、心を閉ざした生徒だった。両親とも上手くいかなくて、幼馴染や友達とも疎遠にもなっていた。一人ぼっちで頑なだった少女の心を、片桐が溶かしてくれたのだ。
今でも冬花は人付き合いが上手くない。不器用でもあった。そんな冬花を気にかけてくれているのは片桐だ。
いつしか冬花に芽生えていたの恋心だった。相手は教師だ。そうだとしても、彼女の想いは止むこともなかった。片桐を想い続け、彼もついには。――――その想いを受け止めた。
『――――お前が卒業したその日。一緒になろう』
――――春になったら。二人は幸せになれる。
冬花もそう信じて、耐え忍んできたのだ。
「まずは冷えてるよな。上がってくれ。俺は飲み物用意してくる。いつもの紅茶でいいよな」
「それじゃ、私に淹れさせてください」
「ここまで大変だっただろ? エアコンつけとくな」
片桐はそっと体を離すと、エアコンのリモコンを探していた。
「っと、ここか」
収納箱からリモコンを取り出した。こうして収納場所に収納してかないと、彼はすぐどこかに物をやってしまう。冬花が教えたことだ。部屋もいつもより綺麗である。綺麗で――――。
「……あの人が」
冬花の脳裏から離れてくれないのが、先程の女性だ。彼女、もしかしたら彼女達かもしれない。その存在が重苦しい。
「それじゃ、先生のそばで見させてください。先生がそうしている姿も、……好きだから」
「!?」
冬花は意識して体を寄せてきた。片桐は手にした食器を落としかけた。
「いつものしっかりした先生も。明るく笑っている先生も。そんな先生が、家ではちょっと。ううん、わりとだらしなくて。しょっちゅう、物を失くしたりもするけど」
「おいおい、皇……?」
いつもはこうも明言したりしない。片桐が戸惑うのも冬花にはわかる。でも、彼女は止められなかった。
「片桐先生がいてくれたから、私は笑えるようになりました。先生、好きです。大好き」
「……」
「好きです」
冬花は伝え続けた。片桐は何も言わない。彼は無言で準備にとりかかっていた。
片桐が好きだと言ってくれたのは、想いが通じた日だけだ。それ以降はない。身体的接触も抱きしめ合うくらいで、それ以上のこともない。
「……いいんです」
それでも冬花は良かった。自分達は大っぴらには出来ない関係だ。たまにだろうと、こうして彼を独占も出来る。
冬花は幸せだった。




