テラスで教師と過ごす午後。
今度こそ案内を終えたのだろう。モルゲンは本校舎のエントランスで一息ついた。
シャーロットはというと。――正直楽しかった。表向きはそうは見えないかもしれないが、彼女は内心浮かれていた。モルゲンの案内上手もさることながら、色々な人と出逢えたこともそうだった。
時間は正午を回った。今からでも店は開けられるだろう。楽しい時間は終わりだ。
「本日はありがとうございました」
「どういたしまして。――と、言いたいところだけどな。まだだ」
「……先生?」
これでお開きではないのかとシャーロットは彼を見た。モルゲンは悪い顔をしていた。
「ああ、歩き回ったからな。年を考えず、結構張り切ったりもしたんだ。……というわけで、俺の休憩に付き合ってもらおうか」
「先生、お若いと思いますよ」
「ああ、若いけどな。お前達よりかは年とってるだろ。ほら、テラス行くぞ」
「はい……」
そういえばとシャーロットは思った。彼女は楽し過ぎて気づくのが遅れたが、足にも疲労感があった。気遣ってくれたのか、そうとらえた。
「――飲み物、紅茶でいいな?」
「……!」
モルゲンは自然にそう聞いてきた。単純な発想なだけにしろ、シャーロットの心臓には悪かった。
「あれ、違うのか?定番かと思ってた。コーヒー派だったか」
「……はい、コーヒーでお願いします。私、ブラック派なんです」
動揺のあまり、シャーロットは真逆のことを言ってしまった。本当は紅茶派。コーヒーは苦手で、飲めるのはコーヒー牛乳か砂糖ミルクドバドバのものくらいだ。それは前世からも変わらないものだった。
「そうか。美味しいよな」
「き、奇遇ですね?」
「ああ、いいな」
モルゲンが筐体の前で、特殊な硬貨を投入していた。自動販売機のようなものだった。こちらにもあるのだと、シャーロットは密かに驚愕していた。
モルゲンは一杯目を取り出し、次はシャーロットの分だ。同じ操作をする。そう、全く同じ。
「あ、間違えた」
モルゲンがぽつりと言った。彼は眉を下げたまま、シャーロットに手渡す。
「悪いな。自分で飲むつもりだったヤツ。連続で押してしまった」
「先生、これって」
甘さたっぷりのコーヒーだった。シャーロットは首をかしげた。この男はブラック派じゃなかったのか。
「ああ、ブラック派だけどな。甘いのも好んで飲むぞ。今日は甘いのが飲みたい気分だったんだ」
「……」
こんなところまで被らなくても。片桐もそういうところがあった。シャーロットは神妙な顔つきになった。
「お前もそういう気分じゃないのか?」
「ええ、そうですね。気分ということで……」
ブラック派といった手前もある。今更甘党です、とは言えなかったが。
「……ごめんなさい。本当は、甘党です。ブラックは飲めません。紅茶の方が好きです」
シャーロットはいたたまれなくなった。自白した。
「だよな。……いい子だ、シャーロット」
さらっとシャーロットの頭を撫でると、先にテラス席へと向かっていった。食堂から続くテラスは、天気が良いと解放されていた。学園内にある湖も見渡せる。
「……もう」
髪を撫でられただけではなく、耳元でも囁かれたシャーロット。彼にとっては些末だろうが、彼女はそうではなかった。顔が真っ赤に染まっていたからだ。これは、初等部の子達も同じ思いをしているのでは、と思えるほどだった。
テラス席に先にモルゲンが座っていた。二人用のソファ席で、正面には湖という一等席だった。
「失礼します」
シャーロットは近めの椅子に腰かけた。さすがにあのソファ席には座れなかった。あそこはかなり密着することになってしまう。
「そっちかよ。まあ、いいけどな……」
「……モルゲン先生?」
モルゲンは目を閉じて、ソファに体を預けていた。これは寝ているのだろうか。
「カップ、どかそう」
寝ているのなら、モルゲンが手にしているカップが危なっかしい。退避させようとシャーロットが動くと。
「……ほーら、シャーロット。こっちだ」
「ちょっ!」
悪戯が成功した子供のように、モルゲンはシャーロットを隣りに座らせていた。こういうところは兄弟か。シャーロットはというと。
「こ、こぼれるっ!」
モルゲンではなく、自分のカップが危なかった。中身のコーヒーが暴れ零れでそうだった。
「!」
シャーロットは零れそうなコーヒーに氷の魔力をかけた。宙で固まったのを確認すると、今度はカップに戻した。氷状のコーヒーと化してはしまった。
「いずれ溶けますから。あとでいただきます」
「あ、ああ……」
――いずれ時間が経てば溶けはする。その時にいただくことにした。
シャーロットとしては、テラスにぶちまけるよりはマシだった。ふう、と一呼吸した。
「……こうして。目の当たりにすると、だよな」
モルゲンが目を見開いたまま、一連の動きを見てそう言った。シャーロットはそれほど驚かせたかと思っていたが。
「……いや。シャーロット・ジェムの評判は噂通り。そういった意味だよ」
「私の噂」
「ああ、そうだ。お前が推薦を受けた理由でもあるな。ちなみに匿名からだ」
今回の謎の推薦状の話だろうか。シャーロットはソファに腰をかけることにした。モルゲンも頷く。
「お前だけの話でもないんだ。この国問わず、諸外国から有望そうな若者を集めている。……上の考えることだ。俺にはわからないけどな」
「私も、ということでしょうか。せいぜい氷の魔力があるくらいで」
「加えて、知識もな。たくさん努力したんだろ?その向上心が買われたんじゃないのか。見てる人は見てるんだろうな」
「先生……」
シャーロットは胸が熱くなった。生まれつきの才能を評価されるのはもちろん嬉しい。努力も認めてくれたなら、もっとだった。その匿名の方に逢ってお礼をしたい気持ちで一杯だった。
それは、このモルゲンもそうだ。
「モルゲン先生。改めてありがとうございました。今日、本当に楽しかったです」
「そうか、それは良かった。でもな、今日だけじゃないからな。――学園に入れば、ずっと続くぞ」
「それは……」
シャーロットは考えた。モルゲンの言う通りかもしれない。
学園の人達は優しい。授業も多くのことを学べそうだ。あの幼馴染とも会いやすくなる。アルトが無理をしてまで、村ふんだりまで来ることもなくなる。
「シャーロット、俺はな。お前には楽しく過ごして欲しいんだ。学園生活をな……」
モルゲンも良い先生だ。この先生に見守ってもらえるのなら。
「お前なら友達だってすぐに出来る。部活動だって、入ってみたかっただろ……」
「モルゲン先生……」
出会ったばかりだろうに、もう生徒のことを心配してくれるような。良い教師だと。
「……」
「……モルゲン先生?」
モルゲンは突然黙った。また瞳を閉じている。聞こえてくるのは、寝息だった。彼は今度こそ寝ていた。足を放り出したまま、寝こけていた。確かに眠そうな言葉尻ではあった。
「寝ちゃった」
シャーロットはこっそりカップを取り上げて、サイドテーブルの上に置いた。自分の凍らせたコーヒーも置いておく。
アインスト・モルゲンはおかしな教師だ。シャーロットは彼のことを考える。生徒思いで、生徒からも慕われていて。時折、距離感もおかしい。これはガチ恋も生んでいることだろう。悪気もなく無意識でやっているというなら、相当な罪作りだ。
シャーロットもこの数時間だけで、こうも心をかき乱されてしまっていた。
「……でも」
モルゲンは左手にカップをもっていた。目に入ってしまうのは。――彼の左手に光る、薬指にある指輪だ。彼には約束された相手がいるのだ。
「……」
シャーロットの心は冷静になった。まだ、モルゲンにドギマギすることはあるかもしれない。それでも一線を越えることはしない。モルゲンにその気がないのなら、自分さえしっかりしていればいい。そうすれば。そうしたのなら。
もう、同じことは繰り返さない。シャーロットは誓った。
「いい風……」
冷えはするも、心地が良い風だった。隣りで寝ているモルゲンの呼吸音。
静寂が訪れる。シャーロットはその心地良い時間に身を委ねていた。
「ん……。悪いな、寝てた。寝不足だったかもな」
「いえ、お気になさらず」
夕方、夜になったらさすがに冷える。シャーロットは起こす気だったが、彼は自力で起きてきた。時間も二時間程度だった。
「店もあったよな。せめて門までは送る」
「そんな、悪いですよ。道は覚えましたから。アルトにもよろしくお伝えください」
「いいや、送る。あれだ、眠気覚ましの運動もかねてだ」
「では、すみません。よろしくお願いします」
モルゲンは腕を回すと、その気になっていた。シャーロットはそうしてもらうことにした。




