リヒターでいてほしい。
「リヒト。……ううん、リヒターさん!」
「……シャーロットさん?」
シャーロットは席を立つ。リヒターがすっと離れてくれて助かった。衝突するところだった。シャーロットの瞳に迷いはない。はっきりと告げる。
「リヒターさんの大事な人は、カイゼリン様でしょう?」
「急になんですか」
「あなたがあの方を大事に思っているの、よくわかっているから。だから、お願いします。絶対にカイゼリン様の傍から離れないでください」
「だから、急ですと……」
リヒターにとっては突然のカイゼリンだった。シャーロットは無理もないと思っていた。
「気を抜いちゃ駄目って話でもなくて。リヒターさんなら。一番大事なことを見失わないって、信じているから。でも、本当にお願いします」
カイゼリンに一番近しいのは、このリヒターだ。前のループの時に彼が側にいたか、いなかったのか。リヒターがいた上で、あのような事になってしまったのか。それは不明なままだ。―ただ、リヒターがしっかりとついてくれる分、カイゼリンの生存確率も上がると信じていた。
「本当に唐突過ぎますね。私にリヒターを休んでいいと言ったあなたが」
「……それは、そうだね。だけど」
リヒターは不服そうだ。シャーロットは迷った。どこまで彼に伝えていいのだろうかと。繰り返しの日々、自分達はループしていると話すべきか。―カイゼリンが殺されることも伝えるべきか。
「……」
シャーロットは今回はそうしなかった。アルトの時に痛い目を見ていたからだ。アルトと同じ想いということはないと思っていても、迂闊には話せなかった。
「大晦日の迎賓館でのパーティー。ううん、その前々日からも開催で。ゲストさんがたくさん来るし、おかしな人が紛れ込むかもしれないでしょ?でも、リヒターさんがいれば、きっと―」
シャーロットは訴える。リヒターの言葉を借りるなら、必死だった。そんな必死なシャーロットに対してリヒターは。―虚ろな目をしていた。
「―私は、リヒトです」
「ええ、わかってはいるんです。でも―」
「……それでもリヒターでいろと。そういうことでしょうか」
リヒターは悲しそうで、それでいて泣きそうな顔をしていた。幼い子供が今でも泣き出しそうな。
「……それは」
シャーロットは誤ったのか。今ならまだ取り返しがつく。彼をリヒトと呼び直せばいい。リヒターは彼の心の内を話してくれていた。
それだけ信頼をしてくれるようになったこと。それはシャーロットにとっても喜ばしくもあった。それでも。そうだとしても。
シャーロットは未来を望む為に。―カイゼリンに生きてもらわねば困る。結局は自分のためでもあったのだ。
「私は……」
リヒターが必死だと言ってくれていた。今のシャーロットならわかる。煽っていたわけでも、馬鹿にしてきたわけでもない。心のままでいられるシャーロットの事が羨ましかった。それは自分を抑圧してきたリヒターには出来ないことだった。
「……私は」
そんな綺麗な人間ではないのに。生き汚いだけなのに。シャーロットはそんな眩しそうに見てもらう資格はないと思っていた。―後ろめたさがないであろう、カイゼリンとは違う。
「……私の言葉で、あなたを惑わせてしまったのなら。それは本当にごめんなさい。ただ、本当に大切なことの為なら、私は」
「シャーロットさん……?」
「私は、あなたに。―リヒターでいてほしい」
残酷な言葉だと、シャーロットは思った。きっと心を開いてくれていたんだ。リヒターからしたら理不尽さにも負けない、一生懸命な少女として映っていたのだろう。それはまやかしだというのに。
「……」
「……」
また沈黙だ。昔のようだった。出逢ったばかりの頃はいつだってそうだった。今も偶になるこの沈黙の時間。シャーロットは慣れてもいたし、今となっては心地良くも思えていたのに。
―今はただ、苦しい。リヒターからの沈黙の訴えがあるような気がして。勝手ながらも、シャーロットは苦しくなっていた。
「―かしこまりました。カイゼリン様の警護にあたらせていただきます」
「……はい」
これがリヒターからの答えか。彼は出会った頃の態度に戻っていた。そこには、砕けた敬語になっていた彼も。『リヒト』であった彼もいなかった。
「では、ジェム様。明日からは私も不在となります。年明けまでは、休んでいただいて結構です。英気を養ってくださいませ」
シャーロットはこれで良かったのだと思うことにした。彼に倣って、シャーロットも態度を戻した。
「うん。……いいえ、ありがとうございます。今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」
「はい、よろしくお願い致します」
自治委員会を首になるというわけではなさそうだ。シャーロットは一安心するも、何を安心することがあるのか。カイゼリンに近づく為の委員会だ。続ける気などあるのだろうか。
リヒターは送るということもないだろう。当初の頃のようだ。リヒターはカイゼリンの命の下、シャーロット達を送っていただけだったのだと。
「……」
―その程度の関係だったのだ。お互いにその程度のもの。シャーロットはそう割り切った。
「……カイゼリン様、か」
ただ一人残されたリヒター。彼は呟いた。
リヒターのこの昏い声は、シャーロットに届くことはなかった。
「ただいま……」
シャーロットは誰もいない部屋に帰ってきた。ご飯を食べる気にもなれず、そのままベッドに倒れ込んだ。
「……明後日だね。その時、モルゲン先生のお世話に」
シャーロットは呟くと、不安になってしまった。あの来訪者がまた現れるのか。あと一日ある。店に戻ることも出来るが。
「……大人しくしてる。リヒターさんがついてくれるなら」
シャーロットは今回は不安が消えないままだ。何もかもが間違ってしまったような。このままでは自分達が生き着く先は―。
「……ううん。出来ることはやらないと」
大人しくしていたから、殺された未来もあった。シャーロットは明日は朝ごはんをたくさん食べることにした。そして、動き回ろうと。そう考えたなら、不安も減ったようだ。シャーロットは眠りに着くことが出来た。




